兎
「どっちいけばよかったんだろ……」
適当な方角に足を踏み出した少女は、今更ながら後悔していた。歩けど歩けど草原が続くのだ。
暑くもなく寒くもなく、ほどよい気温。草原の植物は、甘い香りのする花をつけている。季節的には春なのだろうか。何にせよ、夏や冬でなくてよかった。ここは、夏ならば熱い太陽光に晒され、冬ならば寒い風に晒されるであろう草原なのである。
しかし、あの女性がくれたこの身体は、この気温にあった服を纏っていた。夏や冬であったら、それにあう服装になっていたのかもしれない。
薬の材料になる野草を摘みながら、前へ前へと進んでいく。歩き始めて数時間が経過しているはずだが、未だに魔獣や動物に遭遇していない。もし狂暴な生き物に遭遇したら、自分はその生き物を倒すことができるのか、と不安になる。
「まあ、その時はその時さ」
──他の命を犠牲にしなければ、人は生きていくことはできないのだ。こうして野草を採るという行為も、 植物という生き物の命の一部をもらい受けているのだ。それを考えれば、自らの意思で動くことのできる生き物──動物や魔獣の命を奪うことも、罪悪感を抱きながらもできるだろう。
草原が広がるだけであった景色の端に、あるものが映りこんだ。──道だ。舗装は全くしていない。それも轍がある。
女性からもらった知識によれば、この世界には自動車というものが存在しない。ならば移動手段は、と問われれば、馬車や馬、中型から大型の頭の良い魔物である。つまり、この轍は、馬車によるものなのだ。
道の延長線上に目を向ければ、街らしきものが朧気に見えた。思わず小さくガッツポーズを決める。少女は口元を緩ませて、馬車道を歩き始めた。
馬車道を歩き始めて暫くして、ぐぅ、と何かが鳴る音がした。──少女の腹の音だ。
「お腹すいたなぁ……」
草原にいた少女は、排泄はできても食事はできなかったのだ。排泄という行為も少々勇気がいったが。それにトイレットペーパーなどというものが存在するわけがないために、水属性魔法を応用させて股を綺麗にしたのだった。
閑話休題。
腹が減ったが、食べるものがない。──考え込む少女の前方数十メートル先の丈の長い草が揺れた。ひょこり、と草の間から顔を出したのは、可愛らしい真っ白なウサギ。
普通の女性、それも十代の少女ならば、可愛いだのなんだのと口にするところだろう。だが、少女の口から飛び出した言葉は全く違った。
「──肉っ!」
──腹を空かせた少女にとって、あれは食料だ。食料以外の何物でもない。
少女の声に驚いて跳ねて逃げ出そうとしたウサギに、少女は魔法を使うこともなく飛びかかった。捕まえたそれの首の皮を持って持ち上げた少女は、不敵に笑う。
風属性魔法でウサギの首を撥ね、女性からもらった知識に従って解体し、血抜きをする。──こうして少女は、初めて虫以外の動物の命を奪ったのだった。
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