初──2
──受付で聞いた情報によれば、月光草も夜咲草も街の北の森に生えているらしい。
それを聞いたとき、思わず「北ってどっちですか」と訊ねてしまった。受付の女性──美人ではないが可愛かった──は、とても優しい口調で指をさして方角を教えてくれた。……恥ずかしくなかったとは、口が裂けても言えない。
しかし、これでわかったことがある。太陽は南を通っていた。つまりここはこの星の北半球だということである。
(あ、もしかしたらこの世界って球体じゃなかったりして)
だとしたら世界の端はどうなっているのだろう──などというどうでもよい考えにいたって、ルラは思考を切り替えた。今は依頼を受けているのだ、こんなことは考える必要はない。
森に踏み入り、辺りを見渡す。薬草の見た目やどのような場所に生えているのかという知識はあるため、あまり苦労はせずに見つけられるはずだ。
「えっと……、湖の近くだから……」
──月光草も夜咲草も、澄んだ清らかな湖の近くに生える草だ。まずは湖を見つける必要がある。
ルラは歩き回ろうとして、あることを思い付いた。そう、魔法である。魔法を使えばよいのだ。
「んーと……」
想像するのは地形図。目を閉じて口を開く。
「“地形探索”」
何となくで魔法を唱えれば、成功したらしい。脳内にこの辺り一帯の地形が思い浮かんだ。便利なことにおおよその距離感までつかめる。一番近くの湖の場所をだいたいで記憶して、目を開いた。
(魔法って便利すぎる……)
魔法の便利さを今更ながら実感し、だが、街の位置もこれを使えばわかったということに気がついて、肩を落とした。どちらに行くべきだったのかと悩んだ自分が馬鹿らしい。
柔らかい腐葉土の上を歩いて、木々の木漏れ日に照らされながら、草木の匂いを嗅ぐ。
「……生きてるっていい」
唐突に感じた漠然とした思い。──病院の小さな一室の圧迫感のある真っ白な壁よりも、歩いても歩いても変わらない森や草原の景色の方が、冷たい人工的な蛍光灯や白熱灯の明かりより、太陽の暖かな日差しの方が、薬品臭いあの場所特有の臭いよりも、草木の花の甘い香りや腐葉土のどこか生臭い臭いの方が、──肌で感じて、生きているということが実感できる。
閉鎖的なあの小さな空間での機械的な生活より、広い大地の上でのびのびとした自由な生活の方が楽しい。
「転生、か……」
あの女性は一体何者だったのだろう。しかし、その疑問の答えは、 疾うの昔に出でいる。
「女神様、ねぇ」
生い茂る木々の隙間からちらりと見えた、真昼の月が、一瞬、きらりと光った気がした。
──湖は、呆気なく見つかった。あの脳内地図は便利すぎてつまらない。距離感までを把握するだけではなく、「何となく」な記憶としていつまでも脳に残っているのだ。
「……地図を買おう。うん、そうしよう」
ルラがしたかったのは、手探りの冒険だ。何から何までわからない状態で、それを楽しむための旅。魔法を使えば快適な旅ができることはわかったが、それでは意味がないのだ。
しかし今日のところは仕方がない。
それほど大きくない湖は、半刻もあれば一周できるだろう。
(にしてもきれいな湖だわぁ)
水は澄みきっていて、底まで透き通って見える。鮮やかな赤の小魚たちが群を成して泳いでいる姿や、不思議な形をした水生植物の姿も見えた。
だが、魚がいるということは、この湖は川との繋がりがあるはずで、しかしながら、湖に入っていく水の流れも、出ていく水の流れもないのである。
(どうなってんの、この湖……)
この森は河の氾濫原の後背湿地なのだろうか。そしてこの湖は三日月湖……?
三日月湖というものは細長かったはずだ。だが、この湖は丸い。
よくよく調べてみると、湖から何か川の跡らしきものが続いていた。好奇心でたどってみる。僅かに草本類や地衣類らしきものが生えているその上を歩いてしばらくすると、川にたどりついた。小さいがなかなか水量のありそうな川だ。
──あの湖は、もともと沼か何かだったのかもしれない。魚類のいないあの場所と、大雨か何かで増水した川が繋がって、ついでに魚が入り込んできた、ということか。
「……あれ、何で私こんなこと調べてるんだ?」
ルラは納得したところでようやく気がついて、もと来た道を戻っていった。
──月の夜に花を咲かす月光草、月女神の刻に花を咲かす夜咲草。似ているようで似ていない名前のその二つは、見た目は全く違うのだ。
群青の混じったような白い花を咲かす月光草は、双子葉類。葉脈は網状脈であり、背丈の低い植物だ。
一方、鮮やかな桃色の花をつける夜咲草は、単子葉類。葉脈は平行脈で、背丈は高いものでは大人の膝の高さよりも高くなる。
ルラは運良く群生している月光草を見つけ、葉を摘んだ。無論、注意事項に書かれていたとおり、目測で三センチ以上のものを選んでいく。
「大量大量」
二十枚近くとれたことに満足して、ルラはその場を後にした。
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