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07,ぬめる「SS」

 カノンはドアを開けた。

 スーッとユイは入ってきた。

「お邪魔しま〜す」

 中に入れてしまってから本当によかったのだろうかとカノンは彼女が怖くて仕方なかった。

「どうしたんですう? 何をそんなにビクビクしてるんですかあ?」

「べ、別にビクビクなんて……」

「そうですかあ?」

 ユイは舌を出し、しゅるしゅるしゅるっ、と動かすと、半開きの口の中でれろれろと舌先を口蓋になすりつけて味見した。

「警戒臭がたっぷりしてますよお?」

「あ、あなた、なんなの?」

 ニタニタ笑うユイを遠巻きに部屋に駆け込むと、カノンは密閉容器に入れた粉末を持ってきてユイに差し出した。

「ごめんなさい。これ返しますから許してください」

 頭を下げてどうぞと両手で掲げる。

「ああ、それ。もういいわ。カノンさんにあげる」

「いえ、けっこう。いりません」

「遠慮しないでえ?」

「遠慮してません!」

 カノンはそうっと顔を上げてユイの表情を窺った。ユイは口の端を上げてニタニタ笑っていて、カノンはぞうっと顔を下に向け直した。脂汗がじわっと浮いてきて、まるっきりヘビに睨まれたカエル状態だ。

「それねえ、いずれは皆さんに分けてあげるつもりだったんですよお?候補者を選別するために」

「候補者?」

「そう。わたしたちの仲間にしてあげる。その粉は一次審査パスの二次試験用。適性を見るための試薬よ」

「わたし、仲間になれなくていいから、元の体に返して?」

「あーん、それは無理。もう手遅れ」

「そんなあー。こんな体じゃお嫁に行けないわ?」

「かわいがってあげるからうちにお嫁に来なさい?」

 カノンは別の意味でもゾゾッと身の危険を感じた。

「嫌よ。わたしはノーマルなの。ね、お願い、あなたの秘密は誰にも言わないから、わたしは元の体に返して?」

 カノンは容器を床に置くと手を合わせてお願いした。

「わたしの秘密って、なあに?」

「そ、それは…………」

 んーー?と、ユイはカノンの顔を覗き込んだ。じっとり汗をかいたカノンはたまらず、突如玄関向かってダッシュした。

「きゃっ」

 しゅるんと脇をすり抜けて、ユイが玄関に先回りして立った。カノンは呆然として立ちすくんだ。ユイはわざわざカノンの脇の下をくぐるようにすり抜けていったが、すぐ間近を仰向けの顔が笑ってまともにカノンを見ていった。ユイがどういう動きで自分をすり抜けていったのかカノンには理解できなかった。

「どうして逃げるんですう?せっかく仲間にしてあげようと言うのに? ほら、この白く輝く肌、あなたもこうなりたいんでしょう?」

 ユイはボレロの下の裸の腕を撫で上げて見せた。あんなに美しく光り輝いて見えていた白い肌が、今はぬめぬめとして、気持ち悪い。

「い、嫌よ、この、バケモノ女!」

「あーら、ひどい。傷ついちゃうわあ」

 と言いながらユイはニタニタ笑っている。カノンはゾゾオッとおぞけだった。

「きゃあっ!!」

 こうなったら窓から大声で叫んでやる。薬物スキャンダルだろうが化け物の仲間にされる危機には代えられない。居間に駆け込み、カーテンをザッと引き、鍵に手をかけようとしたところで、

 スルッ、

 と、ユイの顔が下から伸び上がってきた。

「きゃあっ!」

 顔にくっつきそうに真っ白な顔がせり上がってきて、カノンはたまらず飛び退き、足がもつれてそのまま尻餅をついてしまった。ニタニタ、ユイに見下ろされ、

「あわあわあわ」

 と、後ろを向いてはいつくばって逃げた。腰が抜けたなんて、お婆ちゃんかマンガの世界だと思ったが、かっこを取り繕う余裕は全くない。こうなったら何がなんでも玄関から脱出しなくては。

 スーッと横を動く歩道に乗ったみたいに移動して、ユイがまたも先回りした。

「どいて!」

 今度はカノンも必死で腰が抜けながらユイの腰にすがりつき、精一杯体重をかけて横にどかそうと頑張った。

 ぬるん。

「あっ」

 横に手が滑ってカノンは床にべたんと倒れてしまった。手のひらがべったり、手首から肘の辺りまでぬるぬるした液で濡れている。むうっとした青臭さ生臭さにカノンは「くわっ」と頭の中身が飛び上がったように目玉がひっくり返った。

 く、くっさあ〜〜〜〜………

 なんなの? いったいどこからこんなぬるぬる液を出したの?

 必死に意識を奮い立たせ、ぬるぬるの床で滑らないように腕を突っ張らせ、見上げると、

「はあーっ」

 大口開けたユイが湿ったガスを吐き出した。

「きゃっ」

 牙!…

 顔にまともに浴びたカノンは反射的に目を閉じ、鼻腔につんと危険な臭いを感じたかと思うと、頭の中身がヒヤッと縮み上がり、手を滑らせ、頭を打つまでもなく今度こそ昏倒した。


 ※ ※ ※ ※ ※


「う、う〜〜ん………」

 カノンは目を開けた。電灯が点いた明るい天井が見え、頭と背中は柔らかい布の上にあり、カノンは寝室のベッドの上に寝ているのであった。

 ぼんやりする頭で何があったか思い出そうとする。妙に頭がスカスカする気がする。24時間爆睡した後みたいだ。

 胸には布団が掛けられ、めくって起き上がるとパジャマを着ている。

 お風呂に入って………、どうしたのだったか?

 突然ブルッと寒気が走った。


 ユイ!


 カノンは床に立ち上がると、おろおろと金属バットを探して、そんな物持っていないことを思い出した。

 あの、バケモノ女!…………

 カノンは金属バットの代わりに通販で買ったバンブーブレードを手に取った。素人が扱う武器としてはダーク・モール操るグリップが中央のダブルブレードレーザーソードタイプになって難易度高すぎだが、飽きっぽいカノンはエクササイズの途中これでバトントワラーごっこをやっていて額とすねを打ったという怨念のこもったブツなので、今はその暗黒面の破壊力に期待することにする。また自傷するのはごめんだが。

 そお〜っと居間を覗く。ユイの姿はなかったが。

「あっ!」

 テーブルから床に白い粉がカーブに沿って放射状に巻き散らかされ、その先に密閉容器の瓶が転がっていた。

 粉は半分溶けて、べっとり周囲に染みを作っている。

 確かこの瓶はユイに差し出し、廊下に置いたはずだったが?

「ユイ?……」

 右手にグリップを握ってバンブーブレードを突き出し、左手は理力を操るように開いて構え、キッチンへ進んでいった。いない。

 じいっと気配を探り、静寂を感じ、カノンはほっと構えを解いた。

 なんだか全部夢だった気がする。そういえばあれだけ臭かった臭いが今はしない。ああ、あれは悪夢だったわ、と思いながら、カッと大口開いたユイの顔を思い出した。一瞬だったが、その開いた口の中に、上下に、4本の鋭く長い牙が生えているのが見えた…気がする。

 あんなに長い牙、ドラキュラだって自分の口の中怪我しちゃうわよ。

 夢だったのだと思った。あんなバケモノ、現実にいるわけない。

 ほっとして、バンブーブレードをボヨンボヨンと振ってみた。あ〜、二の腕に来るわ。

「あーあ、きったないわねえ」

 居間に帰ってテーブルと床を拭かなくちゃと思った。改めて眺めて、

 この薬はヤバイわ。

 と思った。きっとあれは全てこの白い粉の見せた幻覚だったのだ。

 人間やめてバケモノになりますか?

 冗談じゃないわよ。とにかく、これからあの子とは距離を置いた方がいいわね。

 拭き掃除に使うタオルを取りにバスルームにつながる洗面所に行った。棚から乾いたタオルを3枚ほど取り、これも必要ねと洗濯機の隣に置いてあるトイレ掃除などに使うバケツを取った。水をくもうとバスルームに向き合った。

 バスルームは上がった後で換気扇の音がブーンと聞こえ、曇りガラスの向こうは真っ暗だ。

 カノンは一瞬ゾクッとし、まさかね、と思い直し、臆病な自分を笑いながらドアを開けた。まだ湿った空気がもわっと溢れてきた。ちょっと暗いが洗面所の灯りで十分。節電節電と。プラスチックの靴を履いて中に入り、シャワーの蛇口でバケツに水を入れようとして、ふと横を向いた。

 バスタブの縁からユイが顔を覗かせてこっちを見ていた。

「うぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃああ〜〜〜〜〜っ!!!!!!」

 カノンはバケツを放り上げてすっころんだ。水を入れる前で幸いだった。

 ユイは薄暗い中、バスタブの中で白い裸身をのたりと動かして縁に腕を付いた。

「あわわわわわわわわ」

 カノンは再びすっかり腰が抜けてしまった。

「ゆゆゆゆゆゆゆ、ユイ。あああああなた、いいいいいったいそんな所で何してんのよ?」

「んーー?」

 ユイは顔を横に、縁にはいずるように動かしてニタニタ笑った。

「この広さって言うか狭さがちょうどよく気持ちいいのお〜」

 端まで行ったユイの顔はくるっと向きを変えてまた縁を這いだした。

「服濡らしちゃったからお洗濯物に出しちゃった。洗ってね? 着替えもカノンちゃんの貸してね?」

「ふふふ、服なんていくらでもあげるから出てってえ〜〜!!」

「お泊まりさせて? 女の子同士仲良くいっしょに寝ましょ? ここで」

 ひいい〜〜!っとカノンはおぞけだった。ヘンタイよ、ヘンタイ! バケモノのヘンタイよお!!

 ああ、くそっ、わたしのバンブーブレード!

 カノンはとにかく身を守るため抜けた腰でバスルームを這い出ようとした。

 スルスルスル。

 薄暗がりの中、白い長い物がプラスチックの壁を這い、カノンの目の前、入り口をふさいで降り立った。

「あわわわわわわ……」

 真っ白な全裸のユイが立ちふさがり、ニタニタ、カノンを見下ろしている。

 ひい〜〜ん。

 カノンはすっかり心がくじけて泣き顔になり、下半身の感覚がなくなってお漏らししそうだった。

「喜んで? あなたが寝ている間にわたしの仲間にしてあげたから」

「嘘よ……、わたし、あんたみたいなバケモノじゃないもん……」

 うっうっ、と嗚咽がせり上がってきてカノンは涙声で反論した。ユイはフンフンとカノンの上で鼻を鳴らし、長い舌をしゅるしゅる出し入れした。

「カノンちゃんの体の臭いに混じって仲間の臭いがする。ほら、カノンちゃんも意識すればわたしの中に自分と同じ臭いがするのが分かるはずよ?」

 うっ、うっ、とカノンは顔を歪めて涙をこぼした。消えたはずの臭いがはっきり鼻に嗅がれ、その中に、ユイの甘い苺の体臭と、特にはっきり引っかかる、つんとした花の蜜のような臭いがした。花の蜜のようだが、それは植物の物ではなく、動物の内部の特別の器官から分泌された物だった。

 うわあ〜〜ん、とカノンは泣いた。

「わたしの体に、何したのよお〜〜〜?」

 スルン、と宙を滑るように動いて、ユイが後ろからカノンの首に抱きついてきた。つるつるのほっぺたをすり寄せ、耳元に甘く囁いた。

「ほら見て? あなたもわたしと同じ肌になれたのよ?」

 ユイは腕を伸ばしてカノンの手を取り、自分の腕とカノンの手の甲を比較して見せた。

「ホルモンは目にも効くの。よおく、見て?」

 カノンの手の甲はユイと同じ真っ白な、薄暗がりの中でも発光するような透明さを持っていたが、それだけではなかった。よおく、見ていると、透き通って、皮膚の下を通っている赤い血管まで見えてくるようだった。

 その血管は、赤い半円が連続して、模様になっていた。

 ひいっ…とカノンは息を飲んだ。赤いうろこ模様が、自分の皮膚の下に浮き上がっている。仲間であるユイの腕にも。思わずギョッと自分にすり寄るユイの顔を見て、その肌にも同じような赤いうろこ模様が浮いているのを見て戦慄した。

 これが…、自分の顔にも…………

 それを見たら気が狂うと思った。

「うわあ〜〜〜ん」

 カノンは悲しくて大泣きしてしまった。ああ、美しい自分の人生が、終わってしまった。ユイは舌を伸ばしてぺろぺろ美味しそうにカノンの涙を舐めた。

「綺麗よ、カノンちゃん」

「うわああ〜〜〜〜ん!!!!」

 カノンはますます大泣きした。ユイはだだっ子をあやすように抱きしめ、揺するように体をすり寄せた。

「平気だってばあ。だって、ほら、普段のわたしは普通でしょ? これは、仲間にしか見えない印よ? 他の人の目には、あなたはただのツルツルピカピカの美白美人」

「ほんとう?」

 カノンはしゃくり上げながら少し希望を見いだして訊いた。

「本当よ。でもあんまり興奮すると普通の人にも見えちゃうから気を付けてね?」

「うわああ〜〜〜〜ん!!!!」

「平気だってばあ」

 ユイは抱きしめた手でいい子いい子してやった。元気づけるように楽しそうにないしょ話するように囁いた。

「ね? カノンちゃん、アイリちゃんになりたいんでしょう?」

「う……、うん……」

「だったらさあ」

 クスクス笑いながら。

「食べちゃいなよ、アイリちゃん」

「ええ!?」

 カノンは驚いて体を引き離すように振り向いた。

「食べる? アイリさんを?」

 ユイは笑みを浮かべた顔でうんとうなずいた。

「そうだよ。食べちゃって、アイリちゃんを自分の物にしちゃいなよ?」

 まともな人間に戻れないならいっそ……。カノンの中にバケモノの自覚が生まれ、ユイは誘惑して甘く囁いた。

「大好きなんでしょう?アイリちゃんが? 大好きな人は……美味しいわよ?」

「美味しいの?アイリさんが?」

 うん、とユイは大きくうなずいた。

 どんな味がするのだろう、アイリさんは………

 カノンは自分を拒絶したアイリの顔を思い出し、その綺麗で憎らしい顔をガブッと丸飲みするのを想像した。

 食べてみたいかもお、アイリさん…………

 うっとり夢想する横顔に目を細め、ユイはカノンのパジャマの胸に手を差し込んだ。

「カノンちゃんも濡れちゃったね? 脱いで、仲間同士スキンシップしよう? 気持ちいいよお?」

 カノンはなすがままパジャマを脱がされていき、まるでヘビがのたくるように、床に倒れると二人で白い肌を絡ませ合って、ぬらぬらと、スキンシップを楽しむのだった。

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