05,モデルの奸計
カノンは考えた。あのサプリが手に入るのは嬉しい。ものすごく。
しかし、それは8月のことだ。今はまだ6月だ。まだ2ヶ月も待たなくてはならない。それにみんないっせいに白くなったら、自分が目立たないじゃない?と。
カノンは大親友として聞き出したユイの携帯に電話し、彼女の家に遊びに行くことにした。
エントランスのセキュリティーでユイの部屋番号1202を押し、
『はーい。ああ、カノンちゃん』
の声にカメラに向かって笑顔で話しかけた。
「遊びに来ましたー。入れて?」
プチセレセレクトの人気スイーツ店の箱を掲げて見せる。
『ハーイ。どうぞー』
重いガラス戸が開き、
「おじゃましまーす」
とカノンはホールに入った。しめしめとほくそ笑みながら。
エレベーターで12階に上がり、1202号室の呼び鈴を押す。「リンゴーン」と中で音がして、ガチャリとドアが開いた。
「いらっしゃーい。どうぞー」
笑顔のユイに迎えられ、
「おじゃましまーす」
とカノンは入った。
「ユイも『リオパレス12』なんだね。わたしもよ?」
「そうなんですか。いいですよねー?『リオパレス12』」
「ねー?」
20代OLでも頑張れば借りられるプチ高級マンションでお馴染みの「リオパレス12」だ。老舗高級マンション「ライオンハウス24」のバッタもんじゃないかという悪口なんて知らんぷり。バイタリティー溢れるヤングレディースのステイタスブランドなのだ。
もっとも、この子はどうせ親に金出してもらってるんだろうけれど。
一瞬のしらっとした視線をさっと笑顔に切り替えて
「わあ、眺めいいねえ!」
とズカズカ窓辺に寄ってロケーションチェック。町その物はどうってことないが、新宿副都心が青くそそり立っている。ただ今時刻は土曜の午後2時。天気は薄曇り。
「すみません、時間がなくってなかなか整理できなくって」
引っ越しの段ボール箱がまだ部屋や廊下のあちこちに出ている。フン、案外だらしないのね。
「あれー? ユイって大学2年生じゃなかった?」
「ううん。1年。わたし4月生だから」
「あ、そうだったんだ? じゃあわたしが1つお姉さんか」
「そうなんです。よろしくお願いします、お姉さま。わたし長女なんで、年上の人に甘えられるのってすごく嬉しいんですう」
「へー。ご兄弟は?」
「妹が3人います」
「へー、なんかすごそうね?」
ユイは『?』と笑顔で首をかしげた。カノンも笑い返しながら、
こんなのがあと3人もいるのかしら? 顔の造りはどの程度の物なのかしら?
と、美人四姉妹特集なんてされたらたまったもんじゃないわと考えた。
「はい、これ。菊香堂のカヌレ。いっしょに食べよう?」
「はい。じゃあお茶入れますね? 紅茶でいいですか?」
「うん」
ユイの家を訪問する理由をカノンは「ユイみたいな肌になりたいから少しでも多くあなたの生活のことを知りたいの。どんな物を食べてるとか、教えてくれない?」と頼んだ。
ユイは居間とカウンター式の窓の開いた壁で仕切られたキッチンでお湯を沸かしている。来るのは分かってるんだからお湯くらい沸かしておきなさいよねと思ったが、ユイは大きなティーポットを温め、お茶っ葉を散らし、本格的なお茶の入れ方をしていた。ムムム、さすがは社長令嬢、侮れないわね、とカノンは思い直した。
「お待たせしました」
銀のお盆に高そうなティーセットを載せて運んできて、じょぼじょぼじょぼとポットを高く掲げてお茶を注いだ。高そうな葉の香りが湯気と共にふわーんと甘く立ち上った。
カノンは箱を開け、出された花の絵皿にカヌレを1つずつ取り分けた。
「それ新発売のフロストシュガーだって。人気で一つしかなかったの。食べてみて?」
ニコニコお友だちスマイルで勧めた。
カヌレとは。「ギザギザ」の意味であり、フジツボのような形に特徴がある、正式名称カヌレ・ド・ボルドー、かのフランスはボルドー女子修道院で古くから作られていたという由緒正しき焼き菓子である。カスタード生地をバターを塗布した金型で焼くため、中はしっとり、黒光りする外はカリッと香ばしい、たいへん美味なお菓子である。
カノンは自分の皿にはノーマルな焦げ茶色の物を、ユイにはその上にサラサラたっぷり白い粉末を降りかけた物を取り分けている。
「いただきまーす」
ユイはプリン大のカヌレをフォークで割り、中の黄色いふっくらした生地が現れ、一口大にカットした物を突き刺し、お皿にこぼれたシュガーを拭いて、口に含んだ。
「うーん! おいしいー!」
ユイはほっぺに手を当ててもぐもぐと口を動かした。
「よかった」
お上品を気取ってゆっくり紅茶をすすっていたカノンはカップを置くと、自分もフォークで切り分けて一口食べた。
「あ、ほんと、おいしー」
自分のセレクトしたおみやげに満足そうに微笑んだ。
しばらく目的である食事のことなど話していたが、次第にユイの様子がおかしくなってきた。気づいたカノンが心配そうに訊いた。
「どうかした? なんだか顔色が悪いけど」
ユイは白い肌を青ざめさせ、額にじっとり脂汗を浮かべ、なんだか妙にお尻を落ち着かなく揺らしている。
「ごめんなさい、ちょっと失礼します」
と、お行儀悪く中座してトイレに入ってしまった。すぐにザーッと水を流す音がしたが、待ってもユイは出てこない。優雅にお茶をすすっていたカノンはフフッと微笑んだ。
「わたしの白い粉も効くでしょう? プロモデル御用達食べ過ぎたときの強制排除超強力便秘薬『ドカンとスーパーエクスプレス』よ。中身がスッカラカンになるまで効き続けるわ。覚えておきなさい。さて」
椅子から立ち上がるとキッチンに向かった。
「やっぱりあればここでしょうね、食事にも混ぜて使っているって言ってたから。フン、アイリさんにあげちゃったあなたが悪いのよ。せっかく特別に親友になってあげたのに」
カノンは棚の調味料類を次々調べていった。彼女の目的はもちろん白金家特製のコラーゲンサプリである。美白を保ち続けるユイが自分用のサプリを確保しているに違いないと睨んでいるのだ。砂糖、塩、コショウ、美味の素、?。
調理用の引き出しケースにストックされた白い粉。砂糖、塩はラベルが貼ってあるが、もう一つ、名前のない大量の白い粉がある。カノンは指を舐めて突っ込むと、張り付いた粉を口に含んだ。ねっとり。味の濃いヌルヌルが舌に張り付き、浸透していく。
「やっぱり! こんなにたくさん!……」
カノンの顔がお宝を目の前にした海賊のように輝いた。
ザッバアー…、と水音がして、今度はドアが開いた。
「失礼しました。カノンさん?…… あっ!」
キッチンで調味料のケースを抱えたカノンを見つけてユイの顔がいっそう青ざめた。この場合非難されるべきはカノンの方だろうが、彼女の方が機先を制した。
「ユイ! これはどういうことよ? これ、自家製のサプリじゃない?」
ユイはうろたえて言い訳した。
「ち、違うの、それは……」
「何が違うのよ? もう無いなんて言って、こんなにたくさん独り占めしてるじゃないの?」
カノンの剣幕にユイはおろおろするばかりで言い訳を重ねた。
「ほ、本当に違うの。それは、その、汚い物なの。不純物がいっぱいで、地元の慣れた人じゃないと合わないのよ」
「へえー、そう?」
カノンはますますニンマリした。
「つまり、もっと効くってことね?あなたの肌みたいに? これ、ちょうだい」
「そ、そんな、困るわ」
「いいじゃない、どうせ8月に帰省すればまたたくさんもらってこられるんでしょう? 2ヶ月くらい我慢しなさいよね?」
人のキッチンを家捜ししてむちゃくちゃ自分勝手な100パーセント強盗だが、美白肌の魅力に取り憑かれた彼女にはそんなまともな善悪の判断など消し飛んでしまっていた。
「いいわね? これからも仲良くしてあげるから、親友にこれくらい譲りなさいよね?」
ケースを抱えたまま居間に帰るとさっさとバッグに詰め込み、
「それじゃ。ありがと」
と、逃げるように出ていってしまった。
バタンと閉じられたドアを見つめるユイは。
「あーあ。ひっどい子」
あごを反らせて白い喉を伸ばすと、
ゴキュキュキュキュ、と、下から上へ絞り出すように動かし、
「ンゲロ」
と、何か口から吐き出した。丸い固まりは床に落下せずに長い舌の先にぶら下がっている。ユイはそれをつまみ上げ、かざし見た。
「目的のために平気で親友に下剤を盛るなんて、なかなかいい根性してるじゃない?」
それは噛んだガムの膜に包まれたような茶色い固まりだった。想像するに、それは下剤を盛られたカヌレではないだろうか? 彼女はそれを飲み下してはいなかったのか? しかしどうやって? まるで口から万国旗を引き出す手品師みたいだ。
ユイは吐き出した固まりを流しの排水口に捨てると、足下のペダルを踏んだ。ふたが閉まり、中でシュッとゴミの吸い込まれる音がした。
「決ーめた」
青ざめた顔がまるっきりの演技だったユイが愉快そうにほくそ笑んで言った。
「アイリちゃんにしようかと思っていたけれど、やっぱりカノンちゃんにしようっと」
何かのご褒美をあげるような口振りだが、そのニタリとした笑みからはあまりありがたいご褒美ではないようだ。
「そんなことないわよ?」
まるで物語のナレーションに答えるごとく上機嫌で独り言を言った。
「とーっても、気持ちいいんだから。うふふ」