32,辺干島の攻防
夜10時50分頃。
ブッチはホワイトパールホテルに見事ユリエを捕獲した長太郎たちの前に姿を現した。
厨房の大型冷凍庫に凍り付いたユリエを入れて鍵を掛けた長太郎は、現れたブッチに驚いた。
「ブッチ殿!」
「長太郎殿。ついに心を決めたであるな?」
うむと長太郎は大きくうなずき、
「ブッチ殿、マムシに噛まれて瀕死の重体と聞いたが?」
と多少いぶかしく顔色を窺った。
「この通り、すっかり快復したである。わしは伊達にミセス・ビッキーの料理人は務めていないである」
「そうですか。いや、さすが。頼もしい限りですな」
「見事ユリエ様は捕獲できたようであるな?」
「おう!」
「悪い報せである。マイちゃんがモモカに返り討ちにあったである。工場で無数のマムシたちに襲われて、駆けつけたときには既にいかんかったである。かわいそうに、見るも無惨な最期であったである」
「しまったあああ! 甘く見ておったあああ!…………」
長太郎は自分のせいとばかり深く嘆き後悔した。
「おのれ、ヘビの女め! もう容赦はせんぞお!!」
「モモカたちはここに帰ってきていないようであるな?」
「うむ……。わしらの襲撃に気づいたか……」
この時マイをやっつけてテンションの上がったモモカと二人はカラオケボックスで大盛り上がりしていた。
カグヤの携帯が鳴った。香坂マネージャーからだった。
「もしもしー、カグヤでーす」
モモカの熱唱に片耳押さえて声を大きくして答えた。
『どこにいるの? ホテルじゃないわねえ?』
「ムツミちゃんとモモカちゃんといっしょに町のカラオケボックスでカラオケしてまーす」
『ムツミとモモカちゃんもいっしょにいるのね? マイは?』
「マイちゃん? さあ? ホテルに帰ってません?」
『そう? 捜してみるわ。あなたが一番年上なんだから、あんまり羽目外すんじゃないわよ? あんまり遅くまで夜遊びしてないで帰ってきなさいよ?』
「はあーい。それで? 用は?」
『葵さんの代役で所在確認だけ。ちゃんとプロのモデルの自覚を持って、規則正しい生活を心がけるように!』
「はあーーい。気をつけまーーす」
カグヤはべーっと舌を出して電話を切った。モモカが文句を言った。
「なんで出ちゃうのよ? 無視すればいいのに」
「だってえー、お仕事の話かも知れないもの」
「どうでもいいわよ、そんなもの。どうせみんなキャンセルになるから」
「うん……」
カグヤはちょっと不満そうな顔をした。ヘビの仲間になってもモデルの仕事を辞める気はさらさらなかった。こんなキラキラした楽しい仕事を辞めてなるもんですか!と。
「ほら、次歌っていいわよ」
「うん」
カグヤはモモカからマイクを受け取って何も考えないで楽しそうに盛り上がっているムツミにも誘われてデュエットした。
モモカは歌い疲れた喉をジュースで冷やし、マイが行方不明という情報にほくそ笑んだ。
そうね、わたしもユイ様に東京に連れていってもらってモデルデビューさせてもらおうっと、と思った。
電話をかけ終わった香坂マネージャーに視線を向けられ、
「町のカラオケボックスである」
とブッチは長太郎とうなずき合った。他の老人に目で尋ね。
「カラオケボックスは2つあるが…」
「行けば防犯カメラですぐ分かる。カラオケルームとは好都合だ。三人一気に始末できる。移動される前に仕留めるぞ」
用は済んだとばかりゾロゾロ出ていく老人たちを、ロビーに呼び出されて電話をかけさせられた香坂マネージャーは不審の目で見て、最後に残ったブッチに訊いた。
「いったいどういうことなんです? あの子たちが危険だって言うから。始末とか仕留めるとか、話が違うじゃない? 警察に通報するわよ?」
「言っても信じてもらえないである。ここはどうかわしらを信じていただきたいである。皆さんのためである。詳しくは後ほどマイちゃんから聞くである」
ではごめん、とお辞儀して、ブッチも出ていった。
なお不審の目で見送る香坂と同じく、フロントマンも不穏な目で見送り、出ていってしまうと、急いでどこかに電話をかけた。
老人たちは軽トラックに乗員オーバーで荷台にまで乗ってまず一つ目のカラオケボックスに向かった。荷台に長太郎といっしょに乗っているブッチは言った。
「わしは反対である。ムツミちゃんとカグヤちゃんはヘビになりきっていないかもである。その場合超低体温は非常に危険である。凍傷の危険も大である。作戦を考え直していただきたいである」
長太郎も不満そうに言い返した。
「その二人はマイちゃんを見殺しにしたのだろう? もう立派にヘビの仲間じゃわい」
「マインドコントロールされているだけである。かわいそうである」
「分かった分かった。なんとかする」
と言いながら長太郎はこれと言った考えも浮かばないように不機嫌にあごを突き出した。ブッチは後ろの窓から運転席の後ろに黒い厚手のビニール合羽が掛かっているのを見つけた。それを指さし。
「よろしい。わしが中に突入して二人を保護するである」
「おおそうか。すまんが頼む」
と、作戦もまとまった。ブッチの分厚い脂肪なら超低温ガスもある程度耐えられるだろう。
軽トラックはカラオケボックスの駐車場に止まった。
結果は、ビンゴだった。
フロントの兄ちゃんを脅して各部屋の防犯カメラで楽しそうに盛り上がる三人の姿を確認し、部屋のドアの前にそっとボンベを携えて集まった。ブッチがビニール合羽にゴム手袋姿で先頭に立った。目で合図しあい、ノックした。
「ドリンクお代わりのサービスでーす」
「はーい」
なんにも考えないムツミの声が返事し、ガチャリとドアノブが回った。
それ!、とまずブッチが突入しようとしたとき、左右の部屋のドアが開き、わあっと、バットや竹刀を持った男たちがあふれ出した。老人たちはギョッと浮き足立った。
「このジジイども! 白ヘビの娘様方に手をかけるとは不届きな奴らだ! 覚悟しろっ!」
目の色変えて、年寄りだろうと容赦なく凶器で殴りかかった。
「むむっ、よすである! ハイヤアー!」
ブッチが盾となっていきり立って襲い来るおよそ20人の男たちを得意のヒップホップ拳法で叩き伏せていったが、左右から襲う敵に一方がカバーしきれず、老人たちはボコボコに殴られ悲鳴を上げた。堪らず老人の一人が液体窒素のバルブをひねり、冷却ガスを噴出させた。
「うわあっ、冷てえ! 殺す気かあ!?」
「おめえらこそ年寄りなぶり殺す気じゃろうが!?」
他の年寄りたちも加勢に窒素ガスをまき散らし、白い煙が充満し、わあぎゃあと、廊下は大騒ぎになった。
部屋のドアが開き、大口開けたヘビの顔で牙を剥きだしたモモカが飛び出した。わっと驚く長太郎に飛びかかり、
「おまえが先導者か!?」
ガアッ!と牙を立たせ、ガブッと筋張った首に噛みついた。
「ぎゃあっ!!」
長太郎はとっさにバルブを開いたまま、ドッと倒れ、白い超低温の煙が味方の老人たちに吹き付けられた。
「ひいっ」
老人が抱えていたボンベをゴン!と足の上に落として
「ぎゃあっ!」
と悲鳴を上げた。廊下はますます大混乱。ガアッと牙を剥くモモカに、
「ま、参りました! こ、降参します!」
老人たちはボンベを置いてあえなく万歳した。
クーデター失敗。
「どくである!」
モモカに突進してきたブッチは、ひらりと身を反転させると、床に倒れて苦しむ長太郎を拾い上げ、脇に抱えると、
「キエエエーーーーーーッ!!!!」
奇声で敵を威嚇して走り去った。
「ま、待てえっ!」
数人がバタバタ後を追っていった。
「フン」
モモカは小馬鹿にして笑うと、ジロリと老人たちを睨み付けた。
「羽場」
目を止められた羽場は「へへえーーっ」と床に額をこすりつけた。
「どういうことか、詳しく聞かせてもらうわよ?」
「へへえーーっ」
羽場は、もうわし、殺されるな、と鼻水垂らしていた。
長太郎を抱えたブッチは店を飛び出るとひたすら走った。長太郎が喘ぎながら言った。
「胸……、血清……」
ブッチは建物の陰に素早く隠れて追っ手をやり過ごすと、長太郎を下ろし、上着の胸ポケットを探ってケースを取り出し、中から注射器を取り出した。首を噛まれたのではどこに打ったらいいか分からず、とにかく噛み跡からちょっと下に打った。心臓に毒が達してしまえばあっと言う間に全身に運ばれてしまうだろう。
長太郎はがっくりと意識を失ってしまった。
「一大事である」
ブッチはマイの携帯にかけた。
「モモカ襲撃は失敗に終わったである。島民のシンパに情報が漏れて待ち伏せされてしまったである。長太郎殿がモモカに噛まれてしまったである。血清を打ったが、極めて命が危険である。ユリエ様にどうしたらよいか訊いてほしいである」
ユリエとマイがすぐに駆けつけてくれた。同じ町中で大した距離もなく走ってきた。
ユリエは牙から注射器に自分の毒を垂らし、もう一度注射させた。
「わたしたちはたいていの蛇の毒に対する抗毒液を作ることが出来るわ。これで毒は消せると思うけど、体のダメージまでは快復できないわ」
長太郎はうーんとうなりながら、いくらか落ち着いたようだ。
「助かったである。しかしこれで長太郎殿は駄目であるな。長太郎殿がやられてしまっては島民の説得は難しいである」
ユリエがすっくと立ち上がった。
「いいわ。わたしがモモカと決着をつける。それでユイに宣戦布告することになっちゃうけど、仕方ないわね。マイ。あなたはムツミちゃんとカグヤちゃんを元に戻してあげて。やれる?」
マイは力強くうなずいた。
「もち! あの二人、うんとお仕置きしてあげるわ!」
現れたユリエとマイにユイシンパの島民たち、モモカ、ムツミとカグヤは驚いた。
「マイ。ユリエさん……。凍らされたんじゃなかったの?」
モモカにギロリと睨まれ、信じられないようにユリエを見ていた羽場は慌ててブルブル首を振った。
「おあいにく様でした。わたし、あなたみたいに簡単に騙されるお間抜けさんじゃないの」
笑われてモモカはきいっといきり立った。ユリエの方が先にぴしゃりと言った。
「決闘を申し込むわ。わたしたち女たちだけで。男たちは下がらせて。あなたも、あんまりひどい顔を人に見せたくはないでしょう?」
「へえー、本気なんだ?」
モモカは憎々しく笑うと、
「おまえたち! 店から出て行きなさい! わたしが、呼ぶまで入って来るんじゃないわよ?」
と命じ、男たちは恐ろしそうにゾロゾロ出ていった。ソファーにふんぞり返ったモモカの足下に正座させられていた羽場も慌てて起き上がって、転げるように部屋を出ていった。
ユリエはモモカを廊下へ誘った。
「わたしたちには少しでも広い方がいいでしょう? マイちゃん、ここで二人を頼むわよ?」
「オッケー」
フン、と勢いつけて立ち上がったモモカは、ピンピンしているマイにいぶかしく思いながら廊下へ出ていった。アッカンベー、と見送ったマイは、二人の友人と向き合った。
「マイちゃん」
ムツミがニコニコして言った。
「嬉しいよ、戻ってきてくれて。これで、わたしたちが直接やっつけられるわ」
ムツミとカグヤは揃ってカアーッと野獣のような顔で牙を剥きだした。まだ蛇のように耳まで裂けたような大口は開かず、犬歯の裏から伸びた牙も先が飛び出た程度だったが。
二人はマイが何か武器を隠し持っているのだろうと警戒して左右から回り込んで挟み撃ちにした。逃げ場を奪い、いっせいにガアッと襲いかかった。
ヒュンッ、と素早く避けられて、カグヤとムツミはゴッチーンと額をぶつけた。
「イッターイ! カグヤさんのドジ!」
「ムツミちゃんこそ間抜けよ!」
言い合って、怒りの顔をいっせいにマイに向けた。
「はあーーー」
マイは二人の顔に息を吐きかけた。
「うっ」
「あっ」
途端に二人は意識を失ってお互い寄りかかるようにして床に沈んだ。
「ちょろいちょろい。さあて、役得を楽しませていただきましょうか」
マイは手を合わせてムフフとエッチに笑い、二人の下にしゃがみ込み、舌なめずりすると、まずムツミから、邪魔なスカートを引き下ろし、露出した肌に、長い舌を伸ばし、差し込んでいった…………
「ううん………」
ムツミがうめき、マイはムツミの体内から生暖かい『蛇の玉』を抜き取った。
「へえー、これが『蛇の玉』」
感心し、もう一人、カグヤもスカートを引き下ろし、体内へ舌を突き刺し、舌先でえぐって、『蛇の玉』を抜き取った。
廊下ではドタンバタンと完全なへび女二人が格闘する派手な音が響いてきて、やがて、
「きゃああっ、やめて! それだけは、勘弁してええええっ!!!!」
と泣き叫ぶ声が上がり、
「ひいいいいいっ!!!!…………」
と、この世の終わりのような悲しい悲鳴が糸を引き、静かになった。
ドアが開き、ユリエが入ってきた。
「こっちも終わったみたいね?」
ユリエはニッコリ勝利に微笑み、廊下からはモモカの、
「ひどい……ひどいわ…………」
という恨めしい泣き声が聞こえてきた。マイはあーあと思いながら、
「ムツミ、カグヤさん」
と二人を揺り起こした。寝ぼけた顔で起き上がった二人は、
「あれえ? マイちゃん。おはよう? えーと…、なにしてたんだっけえ?」
と、今まで自分たちが何をしていたか、記憶がなくなっているようだった。
「はい、これ。二人の分」
マイに差し出された物に二人は「ええっ!?」と顔を輝かせた。
それは、パチンコ球の3倍くらいある大きなピンクの真珠だった。
「えー? これなに? どうしたの? 天然物? わたしたちにくれるの?」
思わぬプレゼントに二人はきゃあきゃあ喜び、灯りにかざし見てきめ細かなピンクシルバーの輝きにうっとりした。マイはユリエと悪戯っぽい笑顔を見合わせ、
「正真正銘天然物よ? ただし、鑑別書はつかないけど。大切にしてね?」
と言った。
ユリエはマイにモモカの『蛇の玉』を見せた。大きさは変わらないが、モモカの物の方がずっとピンクが濃く、鉱石のように透明度と輝きが強かった。
「何千万円もしそうね?」
ユリエはため息をつき、
「そうね」
と同意した。廊下で泣いているモモカのところへ行き、
「はい。あなたの物よ?」
と、かたわらに置いた。
「普通の16歳に戻るのね。どっちにしても、あなたはヘビになるのは早すぎたわ」
モモカは悔しそうにじっと自分の真珠を見つめ、握りしめた。
ユリエは店を出て、どよめく男たちに宣言した。
「今からこの島はわたしが支配します。逆らう者、不満を言う者は容赦なく粛正します。いいですね?」
皆、へへええーー……とひれ伏しながら、不安そうにお伺いした。
「あのー…、白樹様とユイ様は……?」
「白樹様にわたしが手をかけるわけないでしょう? 安心なさい。ただし、ユイは追放します。あれは島の秘密を危うくする魔女です。ユイ追放におまえたちも協力しなさい」
ユイ様を追放? 島民たちはざわざわと不安に揺れた。
ブッチに負ぶわれて長太郎がやってきた。
「ブッチ殿に聞きもうした。わしらをだまくらかしたお手並みお見事。モモカに噛まれたわしまで命をお救いいただき心より感謝いたしもうす。その御身を狙いながら図々しいお願いではありもうすが、どうかわしめも白輝島へお連れくだされ。ユイとの決着、この手でつけねば生涯悔いが残りもうす。どうか、温情をもってお許し願いたい」
まだ青黒い顔で長太郎は訴え、頭を下げた。ユリエは年寄りの容態を心配そうに眺めたが、
「いいでしょう。あなたもその心がけ見事です。ユイ追放のため、協力しましょう」
と、白輝島へ連れていくことを約束した。ユイの実父である長太郎がいた方が島民たちが言うことを聞くだろうという計算もあってのことだろう。
ブッチも言った。
「わしも当然行くであるが、わしもちと考えがあるである。わしも準備がしたいであるからして、出発は少し時間が欲しいである」
ユリエはうなずき、皆にも言った。
「白輝島への出発は明日の正午とします。大人数で行っても混乱するだけでしょうからわたしの選んだ精鋭だけで向かいます。他の者はこの島が混乱せぬよう意志の徹底を図ること。以上、解散」




