28,逆襲の罠
ムツミとカグヤが仲良くしていてくれるのでわたしは行動がしやすい。二人で何してんのかなあ? 二人ともヘビになっちゃってるからなあ……えへへ、と、わたしは腐女子的妄想を楽しむ。親玉のヘビを退治すれば二人とも元に戻るのかな?
都会の女の子にはきつい長距離サイクリングをしてきたわたしは夕食前にジャグジー風呂に入ることにした。日が沈むのは夕食の後だ。
お風呂は各室あるが、ホワイトパールホテルはプールのない代わりに大浴場とジャグジーがある。ジャグジーは女性専用だけと実に気持ちいいえこひいきをしてくれている。わたしは円形の浴槽を独り占めし、うーんと手足を伸ばした。わき上がる泡の水流に全身を包まれて心地よいことこの上ない。いやあ極楽極楽。
カラカランとドアが開いた。
「あら、この時間まだ誰もいないと思ったら。ご一緒してよろしい?」
わたしはドッキーンとない胸が高鳴った。ユリエさんだ。
「どうぞどうぞ」
ユリエさんは形ばかり前をタオルで隠してやってきて、わたしの向かいに回って、足を浸けると縁に腰かけ、タオルをかたわらに置いた。ジャグジーは女性用大浴場から入ってこれる。こっちに体を洗う設備はなく、あっちで体を流してくるのがエチケットだ。ユリエさんの真っ白な凹凸豊かな体が昼の光で艶めかしく輝いている。……なんだかすっかり18禁の雰囲気だけど、女同士で、お風呂で裸になるのは当たり前のことですからね? むふふ。
「これ、ちょっと恥ずかしいわよね?」
ユリエさんは背後を振り返って言った。壁一面海を臨む全面ガラス張りだ。
「海の沖からしか見えないはずだけど、なんだか、ねえ?」
「ねえ?」
女二人仲良く苦笑いを見合わせる。確かに際に寄るのは相当恥ずかしい。床は少し先があって下からは覗けないはずだけれど、空に向かってスッポンポンを晒すのは、開放的で気持ちいいと言えば気持ちいいけれど、わたしヌードに関してはそんな自信ないのよね。
というわけでわたしは実に羨ましくユリエさんの体を観察する。ユリエさんはわたしにニッコリ笑いかけるとお尻を下ろして肩まで浸かり、
「お隣いいかしら?」
と寄ってきた。フレンドリーに微笑みかけ、肩をくっつけてきて脚を伸ばす。わたしは実に幸せ気分だけれど、緊張する。そりゃそうなんだよねえ、あーあ……
「ね、お互いマッサージし合おうか?」
わたしと同じ趣味のユリエさんの申し出に
「ご遠慮します。抜け出せなくなると困りますから」
とご辞退申し上げた。
「ううん、つれないんだからあ」
と言いながらユリエさんの上機嫌は変わらない。わたしはお座敷猫みたいな目をした色っぽい横顔を窺いながら訊いた。
「あのー…、ユリエさんって、おいくつですか?」
んー?と睨むとユリエさんは笑って言った。
「女に年なんて訊くものじゃないの」
「はーい。ごめんなさい、お姉さま」
「調子いいわね」
ユリエさんは後ろに腕を回してわたしの首を抱き寄せコツンと頭をくっつけた。
「ねーえ、マイちゃん。ここでわたしといっしょに暮らす気ない?」
「どこか就職口があるんですか?」
「うん。このホテルで働けばいいわ。わたしのエステの助手をしてくれると嬉しいわ。好きでしょ、あなた、ああいうの?」
うーん……、とわたしはマジで考えてしまった。
「魅力的なお誘いですけれど、まだ東京でモデルのお仕事に未練があります」
「そうお? 残念」
ユリエさんはわたしを放してくれず、わたしもそのままじっとしていた。
「気持ちいいわねえー」
ユリエさんの手がさりげなくわたしのお腹を撫でた。
「あら。でべそ」
ムッ、とわたしは気を悪くした。ユリエさんはアハハと笑って
「ごっめーん」
とますますわたしに馴れ馴れしくくっついてきた。
「じゃあお詫びにわたしの年を教えてあげる。わたしの年はね、」
じっとくっつきそうな近さから怖いような目つきで覗いて、ユリエさんは言った。
「120歳よ」
わたしはしばし無言の後、訊いた。
「じゃあ、お姉さんは? お社様は?」
「姉の本名は女司部(めしべ)って言うの。ま、それも元々の本名じゃないんでしょうけれど。さあねえ、わたしも知らないわ。150は越えてるでしょうね。最初に白樹様の娘になった人だから」
ユリエさんは再びわたしの頭を抱いて頬をくっつけている。わたしは身じろぎもできないで姉妹の秘密を暴露するユリエさんの真意を推し量りかねている。
「わたしも以前は白輝島に住んで女司部姉さんといっしょにずーっと白樹様にお仕えしていたの、ユイが新しい娘として迎えられて、追い出されるまでね。寂しいわたしは白樹様からいただいた卵でモモカを産んだの。あの子はわたしの娘。よかったら、あの子は東京にいっしょに連れていってくれないかしら?」
「それはいいですけれど」
わたしは、やっぱりユリエさんは悪い人じゃないだろうと思った。
「ユリエさんもいっしょに来ません? ユリエさんならカリスマミセスモデルになれますよ?」
「うふふ。ありがとう。でも、そうねー…、この島を離れて新しい生き方をするには、年を取りすぎちゃったかな?」
「関係ないでしょ? あなたには?」
ユリエさんはうふふうと悪戯っぽく笑ってわたしを抱きしめ、思い切るように放すと、寂しそうな顔で言った。
「わたしもヘビの血がうずくのよ、白樹様がお目覚めになるときはね。だから、あなたも気をつけてね?」
「モモカちゃんはだいじょうぶなの?」
「うーん…、だいじょうぶ、とも言えないわね。あの子はユイに憧れてるし……。だから、この島からもユイからも引き離したいの。だから、連れていって?」
「ユリエさんは、どうしても駄目なの?」
「駄目なの。どうしても」
ユリエさんはあくまでヘビとしての運命を受け入れる気なのだなと思った。
「分かりました。それでは、わたしが夕食を誘います。その後外へ連れ出して、ここへは帰しません。それで、いいですか?」
「うん。いいわ。ありがとう」
わたしは泣きたくなってユリエさんに抱きついた。エッチな気持ち抜きだ。ユリエさんは優しくわたしの背中と頭を撫でてくれた。わたしはユリエさんの首筋に顔を埋めながら、子ども時代のノスタルジックな気分を感じた。ああ……、お母さん………は埼玉でピンピンしてるけどさ。アパートのすぐご近所で。姉妹みたいな仲良し母娘よ。なんだか……、やっぱりエッチな気分になってしまったわ。あーあ、台無し。でも、いいわ…………
ジャグジーから上がると、わたしは長太郎爺ちゃんの携帯に電話してモモカを保護する許可を求めた。
「多分、ユリエさんは抵抗しないと思います。モモカちゃんを無事にこの島から連れ出すことが条件なんでしょう」
『そうかい。敵ながらあっぱれな女じゃな。分かった、モモカのことはおまえさんに任せる。わしとしても若い娘まで手に掛けるのは気が進まんからのう。ま、そう気に病むこともあるまいて。母親だって眠らせるだけじゃ、ミセス・ビッキーはへび女たちを人体実験するなんてこたあしやせんよ』
「そうなんですよね?」
別に悲愴な気分になる必要もないんだ。ちょっと眠ってもらって、お引っ越ししてもらうだけだ。案外ユリエさんにも新しいいい人生が開けるかも知れない。
「じゃあそっちは手伝えませんからよろしく。ユリエさんに手荒なことしちゃ駄目ですよお?」
『心配ご無用じゃ。そうなったらやられるのはわしの方じゃわい』
ワッハッハッ、と爺ちゃんは笑った。
『お嬢ちゃんこそ気いつけるんじゃぞ? 相手がヘビだということを忘れるでないぞ?』
「はあーい。じゃあお互い健闘しましょうね?」
『おう。頑張ろうぞ』
電話を切ったわたしは気が楽になって前向きな気分になった。
夕食前、わたしはユリエさんたちの泊まっている部屋にモモカちゃんのお誘いに訪ねたが、モモカちゃんはどこかに遊びに行っていていなかった。ユリエさんの顔が眩しくて、きっと何もかも上手くいく!と自分の心に言い聞かせた。
モモカちゃんは捜すまでもなくムツミとカグヤといっしょにいた。三人でカラオケしていたそうだ。夕食ごいっしょにのお誘いも向こうで勝手にそういう約束になっていた。
夕食は5時から9時の間のご自由な時間に食堂においでくださいということになっていて、わたしたちは5時半の約束で集まった。まだプレオープンでわたしたちご一行しか泊まり客はおらず、半数以上がいなくなった今、食堂は本当に閑散としていた。ナユハさん香坂さん、それに男性カメラ班は早々に食べてしまって、ナユハさんをモデルに夕焼けのスナップを撮るんだと。こっちにはなんのお誘いもなかったぞと。ま、わたしとしてもよけいな気を使わなくて済むからありがたいけど。もう一人の男性、なよなよしたホモのふりして本当は男そのもののヘアスタイリストの釜田さんも「えー、そうなのん?」と夕焼け撮影隊に加わることにした。彼はビーチで地元の女の子たちと楽しくやっていたらしい。夜の予定はいいのかな〜?
今日のメインディッシュは最高級佐賀牛のステーキ。サービスいいなあ。白輝島のみんなはどんなご馳走食べてるんだろうね?、なーんて会話をしつつ楽しく四人でお食事。わたしはさりげなく、わたしたちも食べ終わったら夕日を見に行こう?、と誘う。
「うん、いいよ。じゃあ一応ユリエおばさんに訊いてみるね?」
と言うモモカちゃんに、
「うん。そうだね。部屋に戻って訊いてくるといいよ。きっとだいじょうぶだと思うけど」
とわたしは言った。もしかしたら、万が一、最後のお別れになるかも知れない……ま、万が一ね、あくまでも。
日が沈んで寒くなるかも知れないからとわたしたちも部屋に戻って上に羽織る物を持ってきた。
エントランスホールで待っているとモモカちゃんが
「お待たせしましたー」
と笑顔でやってきた。無事許可はもらえたようだ。二人でどんな会話したんだろう?
6時20分、わたしたちはホテルを出発した。
「ね、夕日が海に沈むところを見たかったら外町だよね? 自転車で行ってみない? 昼間行ってきたけど、ほぼ一直線ですぐ着けたよ?」
とわたしは誘いを向けた。ほぼ一直線なのは本当だが、心臓破りの坂道であることは言わない。
「えー、わたしパス。そこまでして興味ないし」
と自分の美容にしか興味のないカグヤがまず言い、
「帰り暗くなっちゃうと怖いしねー?」
とムツミも同調し、
「工場の向こうの左岳をちょっと登ればきれいに見えますよ?」
とモモカが余計な現地情報を教えてくれて、モモカ案が採用されることになった。ちぇっ、暗くなるのを見越して、たまたま通りかかった漁師のお兄ちゃんに船でぐるっと送ってもらうふりしてさっさと福栄港に拉致し去ろうという完璧なシナリオだったのにさ。どうやってホテルから遠ざけておこうか?
でも考えてみたら長太郎爺ちゃんはどうやってホテル内のユリエさんの部屋に液体窒素を仕掛けるんだろう? ホテルの従業員はきっとユイ傘下の白樹様シンパで固めていると思うんだよね? 作戦考えてるのかな?
まあいいや、こっちも考えなくちゃ、と思いつつ、わたしたちはモモカちゃんに案内されて工場の向こう目指して歩いていくのだった。
下賀池長太郎と羽場始め老人五人は、西の空が赤く焼け出す頃、ボンベを積んだ軽トラックでホテルを臨む丘の道ばたに乗り付けた。双眼鏡で情報のユリエの部屋を捜す。あった。5階建ての3階の中央の窓に、ユリエの姿を発見した。ちょうどカーテンを引き、部屋の灯りをつけた。ついた灯りは、しばらくして消えた。食堂へ食事に向かったのだろう。
7時半、再び灯りがついた。空は山の上にまだ暗い水色が残っているが、天頂から東の空は星が瞬いている。
さらに容疑者を追う刑事のように張り込みを続け、10時過ぎ、灯りが消えた。部屋が暗いままなのを見て、
「行くぞ」
と、10時30分、軽トラックはホテルの前へ移動した。
長太郎たちはなんの工夫もなくボンベを抱えてエントランスから入った。何やら物騒なタンクを抱えた作業着の老人たちに、フロントスタッフは何事かと泡を食って駆け出してきた。長太郎はギロリと睨み、
「騒ぐな!」
と一喝した。
「わしらは正義の味方じゃ。迷惑はかけん」
ズカズカと階段向かって歩いていき、工場長の義父として顔の利く羽場が
「すまん。本当に迷惑はかけないから」
と、苦しそうに言い訳した。
わずか2階分の階段だが、老人たちはヒイヒイ息が上がった。海の男現役バリバリの長太郎は平気な顔だ。皆を上がり口に待たせて、ユリエの部屋のドアの前に立った。ドアは深い茶色の、一見木製に見えるがステンレスに化粧板を張った頑丈な物だ。ふうむと渋い顔をした長太郎だったが、すぐに仲間に来るよう手で合図した。一応研究してきた長太郎はステンレスのちりとりをドアの下に当てた。防災目的でドアの下には新聞が入るくらいの透き間が空けられているのだ。そこにちりとりを当てた長太郎はそれを別の老人に任せ、厚い革手袋をはめた手で2人がかりの大型ボンベのノズルに装着した特殊なホースの先をちりとりに当て、栓のハンドルを回した。気化した−196度のガスが流れ出し、真っ白な煙を上げた。重い煙は廊下に溢れ出していく。
「ええい、これではらちがあかん」
長太郎はせっかちに栓を大きく開くと、ボンベを傾け液体のままの窒素をホースから流れ出させた。白い煙が隙間から室内に流れ込んでいくように見えた。
これは大変危険な行為である。液体窒素は常温で700倍に膨張する。酸素より重く密閉された室内では下から上へ溜まっていき、呼吸が出来ず窒息する。普通の人間にこれを行えば殺人行為だ。重いボンベをエレベーターを使わず階段で運んできたのもこのためだ。ボンベも完全密閉しては内部の圧力が上がりすぎて爆発の危険がある。その為完全密閉できないように作られている。窒素は無味無臭であり、エレベーターのような狭い密閉空間では気づかない内に窒息してしまう危険がある。温度が高くなれば当然漏れが多くなる。長太郎の海兆丸の船倉は釣った魚の貯蔵庫も兼ねて冷凍設備がしてあるのだ。
ヘビ一族に深い恨みのある長太郎はあごを突き出した怖い顔で作業を続け、ドアや壁がひんやり汗をかいてきたのを見て、ようやく液体の流入を止めた。大きなタンクが、もう半分傾いている。
「おい、フロントから合い鍵借りてこい」
命じられて羽場が青い顔で走っていった。しばらくして同じく青い顔をしたフロントマンといっしょに帰ってきた。
「いったいどういうことなんです!?」
悲鳴のように訊く男性に、長太郎はニヤリと笑って言った。
「中でユリエ様が窒息しておられるかも知れんぞ? 早く開けて確かめてやれ」
「なんですってえ!?」
男性は大慌てでドアを叩いて呼びかけた。
「ユリエ様、ユリエ様! ご無事ですか……痛っ」
ドアを叩いた手をさする男性に、
「おお、すまん、張り付いて皮がはがれるぞ? ほら、さっさと開けろ!」
恫喝して、鍵を開けさせた。
「どけ。油断するなよ?」
老人たちは緊張した面持ちで消火器型のホースを構え、長太郎を先頭に、羽場の開けたドアの中へなだれ込んだ。わあっと白い煙がいっぱいに噴き出し、老人たちはゲホゲホ咳をして逃げ帰ってきた。びっくりしたようにゼエハア息をして、
「しっ、死ぬぞっ!」
と怒った。長太郎もさすがに煙の納まるのを入り口で待ち、壁のスイッチを探って灯りをつけ、透明になってきた室内に踏み込んだ。部屋はワンルームで、左手に洗面所とバスルームのある向こうにベッドが並んでいる。ホースを前に構えながら、長太郎は奥へ進んだ。
「うっ…………」
長太郎は驚きのうめきを発し、構えていたホースを下げた。
ベッドの上にユリエが凍っていた。
胸の上まで薄掛けを掛け、白いネグリジェを着て、マイの言うとおり覚悟していたように目と口を閉じ、穏やかな表情をしていた。大きかった胸が多少しぼんで、顔も頬がこけ、肌が頭蓋骨に張り付くように薄くなっていた。
「失礼」
長太郎はゴワゴワになった薄掛けをめくり、ユリエの胸に耳を当てた。心音は聞こえなかった。やり過ぎたかと少し後悔した。蘇生が可能か、ちゃんとした施設で行わなければ危険だろう。
「厨房にでかい冷凍庫があるだろう? そこに運ぶんだ」
フロントマンがあわあわと駆け込んできてユリエを覗き込み、ひええ〜、と恐れおののいた。
「な、な、な、な、な、
なんてことをしでかしてくれたんだ!? 祟りが起きるぞ! 白ヘビ様の祟りが起きるぞおっ!!!!」
「うるせえよ。今さら手遅れだ、あきらめろ」
長太郎は不敵に笑い、老人たちにも改めて宣告した。
「見ろ! これでもう後戻りは出来ねえぞ!? 白金の女どもと、白樹様を、島から追い出すぞっ!!」
時刻は日没からもう3時間過ぎている。マイたちは戻ってきていない。
あれから、どうしたのだろう?




