25,帰ってきた男
話はさかのぼり、前日、白輝島に到着してから居残り組とお帰り組に別れた、お帰り組のその後。
マイです。お久しぶり!な感じがするのは気のせいかしら?
辺干島に帰って来ちゃいました。
ぶっちゃけ蛇のことはもういいかなあ……って。辺干医院っていう小さい診療所にブッチーを見舞ってやったんだけど……シャレにならないわ。丸々堅太りしていた顔と体が、ぶよぶよ紫色に、蜘蛛の巣みたいに黒い線が浮き上がって、呼吸も虫の息でご臨終間近のよう。ばっちいから近くに寄るのはよしたわ。医院の藪医者、もとい、藪坂先生によると発見が遅れて手は尽くしたもののいかんともしがたいとのことで、残念そうな顔をしていた。おじいちゃんがヤブなせいでこうなったとは思ってないから、まあそう落ち込まないで。まっ、いい人生だったんじゃないの? ミセス・ビッキーの料理人になっていろいろ美味しい物もいっぱい食べられたんだろうし、よく分かんないけど。どうぞご冥福を。
というわけで、島で秘密を嗅ぎ回ると平気で消されるということが分かったのでわたしは大人しく猫を被っていることに決めた。
不安なのはカグヤとムツミだ。二人はユイとユリエさんに蛇の仲間にされてしまった疑いが濃厚だ。ナユハさんはぺろぺろ匂いを嗅いだけれど女の艶めかしい匂いしかしないで蛇の臭みは皆無だった。カグヤとムツミがわたしといっしょに帰ってきたのはわたしへの友情とばかりは思えない。特に美白肌フリークカグヤのあっさりした態度はやっぱり怪しい。気を付けなくては。
ホテルに帰ってくるとわたしはのんびりバカンスの続きを楽しむことにした。
ま、表向き。
白輝島で何が起こるか分からないのだ、そっちと連動してこっちでも何か仕掛けてこないとも限らない。
わたしは信頼できる仲間を集めることにした。まずはナユハさん……なんだけど……。
ナユハさんはラウンジのテーブルで香坂望美サブマネージャーとノートパソコンを開いて何やらおしゃべりしていた。わたしはカグヤとムツミがいないことを確認して近づいていった。二人はわたしの読めない西洋言語のファッションのホームページを開いて熱心に研究中のようだった。コギャルに毛の生えたようなわたしとは雲泥の遠い世界の人たちだ。
「あの、ちょっといいですか?」
わたしは既に腰が退けた変な愛想笑いを浮かべて話しかけた。
「なに?」
二人とも笑顔を向けてくれたが、邪魔すんなオーラがビシバシ感じられる。わたしはたじろぎながら、これも二人のためだ、いずれは感謝されてモテモテよ?と自分を鼓舞して、ぶっちゃけばらしてやった。
「わたしたち、命の危険に直面しているかも知れません」
二人ともはあ?という顔をしている。わたしは思いきり深刻に、従業員たちも気にして声を潜めて言った。
「ユイとその一族は蛇の化け物なんです。島の人たちも狂信的にその蛇を信仰しています。ブッチさんが襲われたのはその秘密を暴こうとスパイしていたからなんです。白輝島に渡ったみんなはきっと蛇の仲間にされてしまいます。わたしたちも仲間にされるか、でなければブッチさんみたいに殺されてしまいます。今のうちに逃げ出す用意をしましょう?」
ナユハさんが感心したように言った。
「マイちゃんって、こんな面白い子だったんだ? へえー」
笑顔でうなずいているが、目はブリザードのように冷たい。生真面目な香坂さんも
「はいはい、そういうおふざけはお友だちのムツミとでもやってなさい」
と、しっしっ、とあからさまに手で追い払う仕草をし、ナユハさんも冷たく笑って高級ヨーロピアンファッションのホームページに戻り、あからさまにわたしを無視して香坂さんと楽しそうに話しだした。はいはい、どうせこんなこっちゃろうと思ってましたよ〜だ。はあー……。
誰も当てにならない。わたしは孤独な戦いを始めた。
わたしがやるべきことはこの辺干島からの脱出手段を確保することだ。基本的に島はわたしたちの敵だと考えるべきだ。福栄島の海津港まで5キロメートル、連絡船で25分程度の距離。最悪手こぎボートでもなんとかなりそうだ。追っ手が掛かったらアウトだろうけど。やはりスピードの出るモーターボートが欲しい。
島一周させてもらった川崎さんの遊覧ボートでもいいが、ホテルからすぐ目に付くところに係留されているから見張られているとすぐに発見されそう。
こちらの港にはわたしたちの操縦できそうなめぼしい船は見当たらないから、わたしはお昼を食べるとレンタサイクルで反対の外町港に行ってみることにした。
15段ギアでヒーヒー言いながら坂道を上った後は、港までほぼ一直線の下り坂をヒャッホーと駆け下った。ジリジリした日差しに髪の毛をなびかせる潮風が気持ちいい。自転車で坂道を下るときは枝道から車が出てきやしないか気を付けなくては駄目よ? 幸い日中町中の商業活動は活発ではないらしい。
湾を見下ろす堤防に着いて、しばらく眺めて、振り返ってみる。雛壇に平屋の家が並んでなかなか風情があるじゃない? これはこれで観光名所になるかもね? さて。
弓状の堤防に沿ってゆっくり走りながら湾を観察する。コンクリートの埠頭がこちらは浜から沖に向かって縦に伸びている。いくつか漁船が係留されて、漁師さんが船や網の手入れをしているようだ。浜にはござが敷かれ、またお洗濯物のように横紐に、魚の干物が並べられている。わたしどっちかって言うと肉派なんだけどね。美味しそうよ?
うーん…、どうもパクれそうな手頃な船は見当たらないわね。いっそナユハさんを人身御供に差し出して漁師の兄ちゃんでも味方に引き込もうか?なーんていけないことを考えていると、沖から一艘の漁船が戻ってきた。埠頭で手入れをしていたおっちゃんと兄ちゃんも眺めている。カメラマンの高橋さんなんか機械に詳しいだろうから漁船くらい運転できないかしら?ヘアメークの釜田さんなんか手荒ればかり気にしてなよなよしてるけどあの人って偽装オカマよねえー、なんて考えながら下を眺めていたが、はてな? なんか埠頭の漁師親子の様子が変だ。背伸びするみたいに帰ってくる漁船を眺め、二人で何か言い合って、あ、今息子の方が浜に走ってきて、やっぱり船を見ていた干物の見張り番のおばちゃんに何か言って……誰々が帰ってきた!とか言ってる?、今、階段を駆け上がってきて、わたしに気づいてハッとした顔をしたが、今はそれどころじゃないらしくちょっと立派なコンクリートの管理センターみたいな建物に駆け込んでいった。
なんだろなー?と思いながら見ていると、センターからドヤドヤおっちゃんたちが駆け出してきて、双眼鏡を構えた一人が船を確認して、
「ああ、間違いない、カガチの長太郎だ。あいつ、戻って来たんか」
と言った。
さて誰でしょう? 新しい登場人物のようです。何やら波乱の予感がしてウキウキです。
おっちゃんたちは浜に下りていって、埠頭の先まで走っていくと、おーいおーい!と手を振って船を着けるよう指示した。船は素直に横付けし、白髪頭で色黒の若い女の子はちょっと遠慮したい怖い顔をした爺ちゃんが運転席から出てきて、ブスッとした様子のままロープを係留柱に巻き付けて船をつなぎ止めた。
面白そうなのでわたしはじっと聞き耳を立てている。漁師さんたちは声が大きいからありがたい。
「長太郎! おまえ、島にはもう帰ってこないんじゃなかったか?」
「何しに帰ってきたんだ? まあたろくでもねえことしようってんじゃねえだろうなあ?」
「うるせえ! この蛇のフンどもが!」
おっとこれは長太郎さん、漁師の皆さんが驚いた顔で恐れ多い奴だ!といきり立ってますよ? なかなか期待できる爺ちゃんのようだ。
「騒ぐな!腰抜けども! おまえらがなんと言おうと俺は蛇への恨みは忘れんぞ!! おまえらこそ、いつまでうんだらろくでもねえこと続けとる気じゃあ!?」
大人数相手に長太郎爺ちゃんの迫力が勝っている。よっ! 長太郎! 日本一!
漁師たちは何か後ろめたいところがあるように気まずい顔を見合わせて、今度は下手になだめるような調子で言った。それでも声が大きいからありがたい。
「おめえの気持ちも分かるが、それもみんな島のためでねえか? 気持ちはみんなおまえといっしょだで」
「てめえといっしょだ? ふざけるな!」
長太郎爺ちゃんは相手の胸ぐらを掴んですごんだ。相手も気分を悪くしたようで言い返した。
「ちゃんと平等に選んだんでねえか? 後のことは後のことだ、しょうがねえだろう? 自分んところが当たっちまったからって、たまたまだ、今さら恨むのは筋違いだろうが?」
「おう、そうだろうぜ、俺も村の多数決には従ったさ。だが俺は最初っから反対しておった、それを違うとは言わさんぞっ!!」
長太郎爺ちゃんにすごまれて漁師のおじさんたちはまた気まずそうに黙り込んだ。
どうやら過去に何かあったらしく、正義は長太郎爺ちゃんにあるようだが、それは島にとってはものすごく迷惑なものらしい。
「てめえらいいかげんに目え覚ませ! 蛇なんかに頼った生活はもう捨てるんだ! 人として、まともにならんか!」
一喝されてみんなうつむいてしまったが、未練たらたらでお互い何か言ってやれよと目で言い合っている。女のわたしが言うのもなんだけど、女々しい奴ら。
怒ってばかりでもらちがあかないかと長太郎爺ちゃんは説得口調に転じた。
「本当はおまえらもまともな生き方に欲が出てきたんだろう? 例の『真珠輝』っちゅうこらーげんさぷりが思いの外上手く行って、このまま行けるんじゃないかと、そう本気になっておるんじゃないか?」
「ま、まあ……、上手く行くに越したことはないが……なあ?」
「そりゃそうだがよお、それだって白へび様のお力あってのこっちゃねえのかい、なあ?」
「そう……だよなあ?……」
またお互い顔色を探り合って、田舎者はこういうところが嫌らしい。声高にわあわあ騒いで威勢のいいことを言っているが、いざという場になると途端に相手の顔色を見だし、仲間外れになるのを極端に恐れるのだ。都会に比べてうんと共同体意識が強いのでしょうがないんだろうけどさ。
「ミセス・ビッキーに話をつけてきた」
ええっ!?、と、わたしも漁師のおっちゃんたちといっしょに驚いた。
そんなわたしを長太郎爺ちゃんがジロリと見上げ、漁師たちも倣ってわたしを見た。
「ありゃあ今来ている『ぷちせれ』とかいうモデルのお嬢さんじゃないのか?」
そうでーす。
長太郎爺ちゃんがこっちさ来いと手招いた。うーん…。どうやら爺ちゃんは蛇に恨みがあるようだし、味方かも知れない。わたしは自転車を降りて埠頭に下りていくことにした。
「こんにちは。モデルのマイです」
わたしが挨拶すると漁師たちは都会の洗練された綺麗な美少女が眩しいようにおずおずと頭を下げた。長太郎爺ちゃんは呼びつけたくせにかえって怪しむ顔で、
「白いのう。おまえさん、ヘビの一族じゃああるまいなあ?」
と訊いた。わたしはいえいえと手を振って。
「地が白いんです。証拠の写真なら雑誌にいっぱいありますよ?」
「そうかい。ま、仲間ならのこのこやってきたりせんか。すまんな。気を悪くせんでおくれ」
「いえいえ。じゃあズバリ訊きますけど、お爺ちゃんは白金の一族の敵なんですね?」
「うん? なんじゃ、おまえさん、白金家の女どもについて何か知っておるのかい?」
「白金ユイって、ズバリ、白蛇の妖怪でしょう?」
「ほほう。うむ、その通り、妖怪じゃ」
爺ちゃんはニヤリと不敵に笑い、どうだ?というように漁師たちを見回した。
「どうやらこのお嬢ちゃんの方がおまえらよりよほど度胸が据わっておるようじゃないか?」
爺ちゃんはわたしを同志と認めた目で満足そうにうなずいた。
「ここで立ち話もなんだ、漁協に行ってお茶でも飲もうかい。ほらおまえら、行くぞ?」
爺ちゃんはわたしを伴って意気揚々歩き出し、漁師たちは顔を見合わせながらぞろぞろ金魚の糞みたいについてきた。




