24,捕食
甲高い電子音が山を駆け下っていく。
「ちょっと!、ウララ!、音!、止めて!」
「あ、そうか」
ウララは警報のスイッチを切った。途端に耳の中にしーんとした静寂が訪れ、シャモたちの騒ぐ声が聞こえてきた。
枝の切れ目から下の海を眺める。ザー…、ザー…、と、入り江の水色の海に穏やかな波が打ち寄せている。浅瀬の白い道の伸びる先に平和な辺干島が浮かんでいる。自然はこんなに美しいのに、ああなんで自分たちはへび女の化け物に追いかけられるような訳の分からないシチュエーションにいなければならないのだろう? ああ…………ニワトリうるさい。
ジーワジワジワとセミたちも鳴き出した。我が身の不幸をしみじみ味わう風雅も消し飛ぶ騒々しさにイライラと二人ともモデルの天敵である眉間の縦皺を深く刻むのだった。
「ウララ! アイリ!」
シズカが瀬合を連れて下りてきた。瀬合美津江編集員は26歳のおしゃれメガネ女子。普段おしとやかな文系女子が、思いがけず引き当てた南の島バカンスに珍しく浮き浮きとはしゃいでいたのに、今や至って常識的な認識力を凌駕する怪奇な事態に頭の中身がすっかりどこかに飛んでいって人形のようになってしまっている。
「ユーノは?」
姿が見えないのに心配して訊くウララにシズカは頭を振り、チッと舌打ちした。
「あの子は化け物どもの仲間になりたいんだってさ。あの、ぶっちゃけパンク娘が」
忌々しそうに言いながら、心配そうな視線を屋敷に向けた。
「そう……」
ユーノの性格を知るウララもその視線に付き合った。常に自分がナンバー1、仲間に対する思いやりなど全くないアイリは
「早く逃げましょう?」
と二人を急かした。
「そうね」
と、二人も低い声でボソッと答えた。ロッケンロールなパンク娘は自ら破滅の道を選んだのだ。お望み通り伝説として語り伝えてあげよう。こっちは生きてりゃこその花の命だ。
ウララを盾にアイリが続き、瀬合を引っ張るシズカが続いた。ウララはシャモたちの奇声におっかなびっくりサンダーアウチを構えて丸太の横木で土を押さえられた階段を下りていった。
砂浜に駆け出ると、ツノ島の緑の向こうからドッドッドッドッドッドッ、というエンジン音が聞こえてきて三人は希望にぱあっと顔を輝かせた。エンジン音はその場で立ち止まり、こちらが駆けていくと向こうからも岩をよじ登って葵が現れた。ウララたちを見つけて
「おーい!」
と手を振った。ウララたちも笑顔を溢れさせて手を振り、駆け寄った。
「アラームが聞こえて急いで来ちゃったんだけど、よかった?」
「よかったよかった!」
ウララとアイリは葵に手を伸ばされながら岩によじ登っていった。
「ボート、あったの?」
「うん。ユウミが運転してる。ユウミが山の裏に回る枝道を見つけてね、行ってみたら案の定隠し入り江みたいな岩の切れ込みがあって、ボートがつながれていたの」
説明しながら葵は二人を引っ張り上げ、瀬合を叱りつけながら登ってくるシズカにも手を貸した。あらっ?と気づき、
「ユーノとカノンは?」
シズカは首を振った。
「あいつらはもう化け物の仲間よ」
「化け物?」
訊きながら葵もモデルたちの深刻な顔を見てなんとなく察し、うなずいた。
「とにかく早くここから逃げ出しましょう」
瀬合を励ましながら引っ張り上げ、向こう側へ向かおうとすると、
「クェ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」
シャモたちがバサバサ羽ばたきながら、4羽、5羽と集まってきて、葵たちを向こうへ行かせないように隊列を組んで威嚇した。
「な、何、こいつら? へび女の手下なの?」
早く向こう側へ行かなくてはと焦る葵に、
「みんな、耳ふさいで!」
ウララが言って前に出て、アラームの紐を引っ張った。けたたましい音が響き渡り、シャモたちは驚きギャアギャア騒いだ。
「ほらほらどきなさい! バチッと行くわよおっ!?」
ウララが必死にサンダーアウチを突き出してシャモたちに向けながら威嚇した。
「クェーーーッ!!」
一羽が飛び上がり、バシッと、ウララの手からサンダーアウチを叩き落とした。
「イッタあーい!!」
ウララは手の甲を押さえて悲鳴を上げ、大音量に顔をしかめながら葵がサンダーアウチを拾い上げようとすると、シャモの鋭いくちばしが機械の胴体を突き刺し、見事プラスチックのボディーが砕けると、クエ〜ッ!と雄叫び上げたシャモはゲシゲシ足で踏みつけ、完全に粉砕した。
「ピピピ・・ピ・・」
電子音が止まると、人間たち一同はサーッと音を立てて顔を青くさせた。ギロッとシャモたちに睨まれ、食われるっ!……、と、命の危険を感じた。
前門の人食いシャモ、後門の…………
シャーーーッ、と、背後に白い影が躍り上がった。
口が耳まで裂け、上下に鋭い牙をはやしたへび女のカノンだった。
「シズカ〜〜〜、アイリさん〜〜〜」
残忍で凶暴な欲望にカノンはニタアッと笑った。
「覚悟しなさい〜〜」
くわあっと大口開けて白い牙を剥きだした。
「きゃあっ」
「キャーッ!!」
名指しされた二人はカノンの化け物の本性を現した恐ろしい姿に悲鳴を上げて反射的に両手で顔をかばって体を丸めた。
バサバサッとシャモたちが羽ばたいた。
「ギャアッ!!」
カノンが悲鳴を上げ、襲いかかったシャモたちもろとも背中から砂浜へ落下した。3メートルほどダイレクトに落下して、
「ギャアッ!!」
したたかに腰と背中を打って悲鳴を上げ、
「ギャアッ、ウギャアアッ!!」
襲いかかるシャモたちのくちばしと爪に悲鳴を上げて転げ回った。
「どういうこと?」
呆然と呟く葵にウララが恐ろしそうにしながら答えた。
「シャモたちはへび女たちの食料なのよ。きっと、カノンが弱いと踏んで仕返しに襲ったのよ」
「わたしたちが足止めされたのは……?」
「カノンをおびき寄せるためかも…、分からないけど……」
悲鳴を上げて転げ回るカノンにウララはジレンマを感じ顔を歪めた。
「どうしよう? カノン、食べられちゃう」
「わたしたちが食べられちゃうわよ! ほら、今のうち、行きましょう!」
薄情なアイリはさっさと外海向かって岩越えの続きに取りかかった。ウララも仕方ないかと諦めようとしたが、シズカはひどく怒った顔でじっと見下ろし、
「くそっ!」
と、岩を伝って下りだした。
「シズカ!」
ウララは悲鳴のように呼びかけた。砂浜に飛び降りたシズカは、
「おらおらトリども! 人間様舐めてんじゃないよっ!」
ひるんだら負けとばかり次々自分の腿くらいまで顔の高さのあるシャモたちを蹴り飛ばしまくった。蹴りながら、ずしりと重い肉の塊に足首が痛んで顔をしかめた。
「くそっ、くそおっ!」
シズカはギャアギャア騒ぐシャモたちを蹴り続けた。シャモたちは周りに散りながら「クェ〜〜〜〜〜〜ッ!!」と鋭いくちばしを開いて今度はシズカを敵と定めて威嚇した。
「うっ……」
シズカは5羽のシャモたちに周りを囲まれ、更にバサバサと、騒ぎを聞きつけたシャモたちが2羽、3羽と、山の斜面から下手くそな飛び方で飛んできた。美味そうな肉が2匹もいる。シャモたちはクェ〜クェ〜鳴き、獲物を仕留める隙を窺った。
「うう……」
全身無惨に血塗れで転がるカノンがうめいた。
「馬鹿カノン! しっかりしなさいよ! わ、わたしだって……」
クエ〜〜〜ッ、と大声上げるくちばしにヒッと身をすくませ、じわりと涙目になりながらシズカは言った。
「と、…ニワトリに食われるなんて、しゃ、シャレにならない死に方、い、嫌…よ……」
「クェ〜〜〜ッ」
「クェ〜〜〜ッ」
「クェ〜〜〜ッ」
凶暴な面相の大型シャモたちはいよいよ前進して間合いを詰めてきた。シズカももう駄目かと、腰が震えて座り込みそうになってしまった。
「シズカーーっ!!」
ウララの警告する声が降ってきて、ヒイッとシズカは頭をかばってしゃがみ込んだ。
シャーーーッ……
「ケ〜〜〜〜〜〜ッ!!」
バシン!とシャモが叩き飛ばされ砂浜に白い煙を噴き上げて転がった。
ケ〜〜ッ、クエ〜〜ッ。シャモたちは次々叩き飛ばされていき、悲鳴を上げ、バサバサ羽を広げて逃げ出した。バシン! 地面に叩き落とされたシャモが目を回して気を失い、砂浜からシャモたちの姿はすっかりなくなった。
「ユイ……」
シャモたちを敏捷な動きと強靱な筋力で叩き落としたのはユイだった。ユイは二人のかたわらで涼しい顔で立ち、シズカは敵か味方か警戒して見上げた。
「うう……」
「カノンちゃん。だいじょうぶ?」
なんとか起き上がったカノンは、地面に転がるシャモを見つけると怒りに目の色を染めていき、顔に赤いうろこ模様をくっきり浮かび上がらせると、
「バクッ」
シャモに躍りかかり、飲み込んでしまった。
「え?……」
シズカは今目の前で起きたことに思考がついていかず、しばし混乱し、ようやく、
「ひいいいいいいい……」
と、お尻をついたまま後ろに這って逃げた。
カノンの口……あごが、信じられない大きさに開き、大人が一抱えある巨大なシャモを、「バクッ」と、一口に飲み込んでしまった。今、そのお腹はあの姉妹のようにぷっくり丸く膨らんでいる。
「ぎゃあああっ、ばっ、ばっ、ばっ、化け物お〜〜〜っ、うわ、ぎゃああああ〜〜〜〜」
シズカはすっかりパニックになり、あたふたと、岩山に駆け戻った。
「あーら、化け物ですって。失礼しちゃうわ。ねえ?」
ユイに面白そうに言われて、カノンは重いお腹を抱えて立ち上がった。
「ついうっかり余計な物を食べちゃったわ」
カノンはウグッと喉を膨らませると、
「ゲエーーーーッ」
と、胃液にまみれたシャモを吐き出した。
「うっぎゃああああーーーーっ!!!!」
上から見守っていたウララと葵も思い切り悲鳴を上げた。
カノンはギロリと睨み上げると、長い舌を伸ばして唾液に汚れた口の周りをべろりと舐めた。がに股で必死に岩に取り付くシズカに視線を移し、
「シズカさん。助けに来てくれてありがとうね? お礼に、苦しまないように丸飲みしてあげるわ」
シュルシュル、舌を出し入れした。
「は、早く! 早くうっ!!」
手を伸ばし急かすウララと葵に、シズカも慌てまくる足を滑らせながら必死に手を伸ばした。
ニタニタ笑ったへび女カノンがその背中に近づいていく。
岩山を乗り越えたアイリは足下の海に小型のモーターボートが浮かんでいるの発見した。
「あっ、アイリちゃーん!」
芳沢と相原がほっとした笑顔で手を振った。
「なんだかすごく騒がしいけど、だいじょうぶ?」
「全然だいじょうぶじゃないわよ!」
アイリは怒って言い、岩を伝い下り始めた。幸いちょうどよく階段のようになっていて、無事ボートに乗ることが出来た。後ろのシートに相沢といっしょに座って、8人が限度ね、ちょうどよかったわと思った。座席は4人から5人分だ。今4人乗っていて、あと4人分。
一人だけ逃げてきたアイリは
「何してんのよ、ウララ、葵さん、早くしてよね?」
とイライラした目を上に向け、
「ユウミ。何かあったらかまわずすぐ発進するのよ?」
と命令した。ユウミはアイリを無視してじっと上の岩場を見ていた。しばらくドタバタと騒ぎが続いていたが、
うっぎゃあああっ、とひときわ大きな悲鳴が上がり、途絶えた。
「ユウミ! いいからもう行って!」
アイリが怖い顔で命令したが、ユウミは上を見たままギアを入れなかった。
「ユウミ! 行きなさいよっ!」
アイリは乱暴にユウミの肩を押して命令した。
ヒュン、と上空を白い影が飛び、ボートの後部甲板に飛び降りた。衝撃で沈み込み、舳先がバウンドするように飛び上がり、底が大きな波を立てた。
飛び降りたのは白い全裸の女だった。
「ユーノ!」
ユウミは驚きと安堵の入り交じった、叱るような声で呼びかけたが、
「早く出しなさいってば、馬鹿っ!!」
ユーノから逃げるように後ろベンチから前に乗り出すアイリはユウミを怒鳴りつけた。
「行ってえええっ!!!」
思いっきり怒鳴られて、その尋常ならざる形相にユウミもギアを入れ、ボートを急発進させた。
「おっと」
ユーノはサーフィンに乗るようにバランスを取って笑った。
「あーあ、お姉ちゃん。これ、泥棒っしょ? いいのかなあ〜優等生さんが泥棒なんかして〜?」
「ユーノ……」
ユウミはツノ島の周りに飛び出す岩の頭をよけて外海に急カーブを切った。よっ、とポーズを取りつつユーノはトップサーファーのように乱暴な運転を乗り切った。
「お姉ちゃ〜ん、無免許運転でしょう? あーあ、優等生が、いーけないんだ、いけないんだ〜」
小学生のように歌いながらニヤニヤ笑った。ユウミはドッドッと波を弾かせながら猛スピードでボートを走らせた。モーターボートの運転なんて、今日初めてする。
「お姉ちゃん、知ってる? この辺りの海、鮫がうじゃうじゃいるんだよ? 人間の味を知ってるから、落っこちたら、喜んで食べに集まってくるよ? 分かっててやってんのかなあ?」
ニヤニヤしながら非難するように言う。ユウミはバックミラーに映る妹の姿をちらちら見ながらボートを走らせ続けた。
「あなた、その体、どうしたのよ?」
ユーノの白い全身の肌に、赤いうろこ模様が浮き上がっていた。
「タトゥー? かっこいいっしょ?」
ユーノはニイッと笑顔で自慢した。
「お姉ちゃんも、アイリもいなくなって、」
視線を向けられてアイリはヒイッと芳沢の乗る助手席に無理やり割り込んだ。一人後ろの相沢は端にへばりついて信じられない顔でユーノの肌を見ている。
「わたしがカリスマモデルの座をいただくわ。この業界は先にやったもん勝ち。悪く思わないでね?」
ユウミはバックミラーを睨んで言った。
「人殺しまでする?」
ユーノはニッとバックミラーに笑いかけた。
「するわよ。ばれなきゃね?」
ユウミは思いきりハンドルを切り、U字ターンした。ザッバアー、と白い波を蹴り立て、あっ、と、今度こそユーノは足を滑らせて外に放り出された、かに見えた。
ユーノは縁を掴むと体操の乗馬のように回転し、足先から運転席に滑り込んできた。
「あんたこそ人殺しも平気じゃん!」
ガアッと口を開き、白い牙から透明にきらめく液を滴らせ、
「ゆうの!……」
ガブッ!、と、ユウミの首筋に噛みついた。
「アグ……」
ユウミはハンドルから手を放し、震える手でユーノの顔を押しやろうとしたが、力が入らず、ブルブル震えながら白目を剥き、がっくり、気を失ってしまった。
ユーノはよだれを垂らしながら姉の首から口を放した。
「ヒッ……」
アイリは今度は後ろに逃げた。芳沢は涙目で手を合わせて
「ユーノちゃん、い、痛いこと、し、しないで」
とお願いした。
「さってとー。なーんだ、ボートの運転なんて簡単そうじゃん?」
ユーノは遠慮なしに姉の上に座って、ハンドルを握った。運転はハンドルと、となりにアクセル→ブレーキのレバーがあるだけだ。
「お姉ちゃん、いっつもええかっこしーで、狡いんだよねー。こんなんゲームみたいなもんじゃん? キャッホー!」
ユーノは急ハンドルを切ってボートをUターンさせた。乱暴な運転に振り回されて同乗者たちは悲鳴を上げた。
「あー、落っこちちゃ駄目だよ? マジで鮫に食われたくないでしょう? 『ジョーズ』って見たことある? お腹をガブッて、マジグロイよねー?」
キャハハハハ、と笑い声を上げてあごをのけぞらせた。
アイリが後ろからその喉を両手でガッと掴んだ。ぬるっと肌がぬめり、アイリは爪を立てて思い切り締め付けた。
「ガググ……」
ユーノも姉と同じようにハンドルから手を放してアイリの手を引き剥がそうとした。アイリは叫んだ。
「何してんの! 早くこいつを外に放り出すのよ!」
芳沢と相原は思わず顔を見合わせ、
「早くっ!!」
アイリに怒鳴られ、白目を剥き泡を吐いて失神しているユウミを見て、意を決した相原が先に動いた。アイリを援護してユーノの両手首をがっしり掴んで首から引き離した。ユーノは苦しがって脚をバタバタ動かし体を暴れさせた。アイリも相原もユーノの白い蛇の肌に手がぬめり、
「「早くっ!」」
と、芳沢を急かした。芳沢も泣きそうな顔になりながら、
「ユーノちゃん、ごめん!」
と謝り、暴れる下半身を抱きかかえ、自由を奪い、三人で、
「「「せーの!」」」
と、持ち上げたユーノをボートの外に投げ捨てた。
「きゃー…」
バッシャーン、と水しぶきを上げてユーノは海に落ち、顔を浮き上がらせるとバシャバシャ海面を叩いて叫んだ。
「バッキャロー! 戻ってきやがれー!」
ハンドルをアイリが握った。島に向かっていたボートを、ゆっくり安全なカーブで旋回させ、ツノ島に沿って、辺干島へ向かわせた。
女たちはしばらく無言でいたが、ツノ島の先端を過ぎ、芳沢が二人の顔を窺いながら
「葵さんたちは……」
と訊いた。またしばらく無言が続き、アイリがブスッと、
「どうせ、もうやられちゃってるわよ」
と言った。芳沢も相原も、白輝島に戻ろうとは言わなかった。
お話戻って。
必死に岩をよじ登るシズカの足を、ガシッと、カノンが掴んだ。
「は、放せ! 放しなさいよお、馬鹿あっ!……」
後ろを見たシズカは、浜辺を歩いてくる三人の裸の女の姿にギョッとした。キョウカ、マミの姉妹に、ユーノだ。仲良くいっしょに裸で歩いてくるということは、やはりユーノもすっかり化け物たちの仲間になってしまったらしい。
「くそお……」
姉御シズカの胸にカアッと怒りがわき起こった。自分の足を掴んでニタニタしているカノン向かって、
「こらっ、馬鹿カノン! あんたいいかげんに目え覚ましなっ!! あんた自分が化け物になってるのが分からないの!?」
と叱りつけた。カノンは平気な顔で、
「うろこのこと? ちょっとした生理現象よ。生き物ならなんにだってあることだわ。普段は人に見せないから平気」
と、すっかり心まで化け物に染まってしまったようだ。
「カノン!」
ウララが掴み取った松の葉を顔に投げつけた。
「きゃっ。なにすんのよおっ!?」
手の離れた隙に葵に引っ張られてシズカは岩に這い上がった。
「さ、行こう!」
もはや後に残るのは化け物だけと、三人は岩向こうによじ登ろうとした。
「こら、待てえっ!」
カノンが岩に追いすがり、その隣を、ユイがスルスルと駆け上がり、あっさり三人の行く手に立ちふさがった。
「ユイ……」
どうやら彼女こそがリーダーのようで、三人は脂汗を垂らして逃げ道を探った。ユイは余裕のポーズでニヤニヤしている。
「くそお……」
シズカは足下に転がる大きめの石を拾い上げ、ユイに殴りかかる構えを取った。ユイはチッチッチッ、と変幻自在の新型ターミネーターよろしく人差し指と首を互い違いに振った。
「舐めんじゃないわよっ!」
本気でやらなきゃとうてい道は開けないとシズカは岩の上に立つユイに殴りかかった。脚を骨折させれば追ってこれないだろうと思い切り石を横殴りに振った。ユイはひょいと跳ぶと、シズカの後ろに頭から下りてきて、腰に手を回すと、しなやかに脚を振り下ろし、
「えい!」
と、マット運動の前方回転でシズカを空中に放り投げた。
「きゃあああああ!」
落下していくシズカはこのまま頭を打ち付けられ首の骨を折って死ぬと覚悟した。ああお父さんお母さん先立つ我が身をお許しください…………
シズカの背中と腿は太いネットにバウンドし、後ろにぐるんと振り上げられると、今度は顔から落下した。
「きゃっ」
と悲鳴を上げながら、バフンと砂地に落ち、顔を砂まみれにした。鼻がツーンとして十分痛かったが、命は助かった。落下してくるシズカをすくい上げたネットはキョウカマミ姉妹が腕を組んだ物だった。とりあえず命は助かったシズカだったが、全裸の姉妹にニヤニヤ見下ろされ、なんて恥ずかしい奴ら!と思いつつ、身の危険に後ずさった。
「あ、ありがとう。た、助かったわ」
「いえいえ。どういたしまして」
お尻で後ずさるシズカを姉妹はニヤニヤ見下ろしながらついてきた。岩場まで戻り後がなくなったのを見ると、マミが上のユイに訊いた。
「ユイ姉ちゃーん。アイリちゃんはー?」
「んー」
ユイは後ろの岩を振り返り、答えた。
「ボートに乗ってるー」
「え〜! やっばいじゃん。早く捕まえてよ?」
「え〜。わたし塩水嫌ーい。髪がゴワゴワするんだもん」
ユイは新入りのユーノを見た。
「ユーノちゃん。お姉さんがいっしょだからあなたが連れ戻して」
「はーい」
ユーノも全裸で身軽に岩を登りだした。
葵はジリ…と油断したユイの背中に迫った。させないわよ!、と、両手で思い切り背中を突き飛ばした……はずだった。クルンと横回転でかわされると、葵は背中からユイに抱き留められ、両手がむにゅっとバストを掴んだ。
「危ない! 落ちるところだったわよ?」
ニヤニヤ笑いながら恩着せがましく耳元で言った。しっかりとバストを掴み、うーん…、と考えた。
「葵さんかあ……。年の割にはメンテナンスの行き届いたいいボディーしてるのよね? さすが元モデルだけのことはあるわ。じゃあ、わたしは葵さんでいいか」
「や、やめてよ」
ユイのエッチな手を振りほどこうとし、精一杯虚勢を張った怖い顔で睨み付けた。
「あなたたちが何者かなんてわたしたちにはどうでもいいから、もう帰してよ?」
「そうはいかないわよ。用がないならわざわざおびき寄せたりしないわ」
妖しい目つきでじいっと見つめられ、葵はゾクッと震え上がった。
「わたしたちを……どうする気?…………」
葵はそれを知るのがとてつもなく怖い気がしたが。ユイはニタアッと大きく笑ってダラアッとよだれを溢れさせた。
「食べちゃうの」
んがあっ、と、ユイが大口開けたが、めいっぱい開いた顎が、ガコンッ、と、付け根が外れたように縦に更に倍に広がり、下に移動した関節が横にも広がり、下の剥き出された歯並びが真ん中から割れて左右に開いた。ユイの口は今や自分の元々の顔より大きく開いている。
葵は信じらない光景にまなじりが裂けるほど目を大きく見開き、顔いっぱいになま暖かく湿った甘酸っぱい息を吹きかけられ、べろんと伸びた長い舌と、上下のあごを結ぶエンタシスの柱のような太く膨らんだ見るからに強靱な左右の筋肉、その奥でのどちんこをぶら下げたぬめぬめした喉粘膜、そして、元々の歯並びの奥にそれとは独立して太い腱の先にニュウッと飛び出した鋭く尖った真っ白な牙を見た。
牙はまるで歯科医の手術器具のように根元からちょろちょろと透明の液体を噴き出し、鋭く尖った先を消毒していた……いや、それは、蛇の毒だろう、霧として噴き出し相手を一瞬で気絶させる、面白がってアイリに飲ませて顔面麻痺させた。
端正なユイの美人顔が、顔の2倍の口を広げた、蛇のモンスターに変身した。
葵はヒイイ…と総毛立ち、
「うっぎゃああああ」
と、普段の冷静さをかなぐり捨てた悲鳴を上げ、それは
ガブッ。
と、ユイの大口で頭から肩まで一飲みにされて、
「あ…」
と、悲鳴も飲み込まれた。葵は手足をバタバタさせたが、んぐ、んぐ、と、胴体ほどに広がったユイの喉の奥にどんどん飲み込まれていき、最後は宙にバタバタさせた足が、力尽きたのか気を失ったのか、すっかり観念したように大人しくなり、んぐん、と、靴ごと飲み込まれてしまった。
シュッと、開いていたバケモノ口が元通りしまわれ、ユイは綺麗な京美人のすました顔に戻った。ただし、お腹はシャモを飲み込んだ妹たちに比べるべくもなく、巨漢の横綱のように巨大に膨らんでいる。
「んーーーー……」
ベロリと口の周りのよだれを舌を回して舐め取って、ユイはいまいち不満なように言った。
「服のままじゃ美味しくない。失敗だったわ。裸にしてから食べるんだった」
ドドドドドドドドド、と、岩の外の海でモーターボートのエンジン音が響き、遠ざかっていった。
裸のキョウカマミ姉妹は顔を見合わせニンマリした。
「じゃあわたしたちもいただきましょうか?」
「そうだね。ユイ姉ちゃんの失敗を見習って裸にしてね?」
姉妹は残忍な目を、岩の上を向いて腰が抜けているシズカから、岩の後ろで突っ立っている二人に向けた。
「向こうからいただこうか?」
「ちぇー、けっきょくアイリちゃん逃げられちゃったみたいじゃん? じゃわたしウララちゃーん」
「わたしがメガネさん? うーん、知的な感じは、いいかも」
口をユイほどではないがあんぐり開けていたウララは、標的が自分に移ったのに気づいてハッと顔面に恐怖を張り付けた。
「きゃああああああっ」
恐怖にようやく感情を取り戻したと思ったら、瀬合は感情の針が振り切れて完全にパニックに陥った。
「海に飛び込まれたら面倒くさいわね」
シュルシュルと、大人しく見えたキョウカがそれこそ蛇のように敏捷に岩を駆け登っていき、
「あったしも!」
マミも嬉々として飛び上がった。
「きゃああっ!!」
ウララと、
「きゃああああっ!!!」
瀬合の悲鳴がしばらく続いた。
砂浜でガクガク震えるシズカに、もう一つの白い影が歩み寄り、シズカはハッと涙に濡れた顔を向けた。
「シズカさあーん。おしっこ臭いのは勘弁なんだけどなあー」
ニヤニヤ笑っているカノンの口が、ぐわっと、ユイのように広がった。
「きゃあ……」
上でも下でも、女たちの声は聞かれなくなった。
やっぱり人型の蛇たちは恐ろしい。
森から様子を窺っていたシャモたちはすごすご大人しく奥へ引っ込んでいき、なんにも考えていないセミたちだけがジーワジワと大合唱している。
やがて、砂浜に一様にお腹を巨大に膨らませた蛇の女たちが集まった。
「ユーノはどうしたの? 戻ってこないじゃん?」
「失敗したみたいね? 自分が鮫のエサになってたりして」
「ふうん。ま、いいわ。じきに回収するから。さ、白樹様のところへ行くわよ」
よっこらしょよっこらしょと、色気がだいぶ落ちた女たちが腹を抱えて山道を登っていった。
海の上で、モーターボートの女たちは途方に暮れていた。
ガス欠だ。燃料が切れてしまって、白輝島と辺干島のちょうど中間辺りで、どうにもならずにプカプカ漂っていた。
ユイの仕業だった。ボートには片道分の燃料しか入れられていなかったのだ。最初に余計な暴走運転をしないでまっすぐ向かっていればなんとか辺干島にはたどり着けたかも知れない。
このボートには屋根がない。炎天下の洋上で、女たちは日干しになってぐったりし、ユーノに噛まれたユウミは、全身が紫に、噛まれた首が黒くなって、意識は戻らず、力無く眉間にしわを寄せながら寒そうに震えていた。命が危険なのは明らかだが、これまたどうしようもない。いっそ島に残ってへび女たちと対決していた方が……今さら思っても後の祭りで、お互いイライラするのでこっそりため息をついた。
時刻は最も暑い午後2時。もう3時間も漂っている。
このまま本当に日干しミイラになってしまうのかと悲しく思っていると、辺干島の方から船が向かってきた。
顔を輝かせ、「やったー!」と叫んだ女たちだが、しかし、あの船は、果たして彼女たちの味方だろうか?
ドッドッドッドッドッドッドッ、とエンジン音を響かせて近づいてきたのは、モーターボートよりはるかに大きいが、見るからにボロっちい、古い漁船だった。
ユイと副社長が古い漁船にプチセレ一行のいらないメンバーを乗せて鮫の海に沈める計画であることを、彼女たちは知らない。




