17,邪魔者は消せ
ブッチ・熊田は工場の2階、事務所に副社長を訪ねた。
「ミセス・ビッキーの親書はどうなっているであるか? 社長さんにはいつ会えるであるか?」
ユイは経営のことは知らないと親書を受け取らず、副社長に渡してあった。別に何か秘密事項が書かれているわけでなく、同じコラーゲンサプリを展開する会社同士、栄美丸本舗とパートナーシップを組む気はないか?まずは会談を持ってお互いの経営理念や将来の展望などお話ししませんか?という、女性経営者同士お茶会に誘うような穏やかな呼びかけだ。てっきり本社で会えると思っていた社長は離れ小島に引っ込んだきりで、名前だけの名誉職のようなものかと思えば、重要な決定事項は社長のご意向が絶対であるということで、では連絡はどうするのかと問えば、あちらからの連絡待ちということで、どうにもルーズな業態だ。
もともと白金家は離れ小島に祭った白蛇の神様の巫女のようなものらしいから、そうした田舎の信心深さがそのまま会社組織にも継続しているらしい。まるでカルト教団の商売みたいだ。
困った顔でふにゃふにゃ言い訳するばかりの副社長ではらちがあかず、親書を返してもらうと、ホテルに帰ったらユイに託して母上殿に渡してもらうよう改めて頼むことにした。
ぷりぷりしながら事務所を下りたブッチは、辺りの目を盗み見て、工場の裏へ忍び込んだ。
ブッチも工場見学させてもらったが、見せてもらえたのはやはりテレビでお馴染みの清潔な精製パートだけで、自分の舌が感じた「蛇臭さ」の秘密はそこにはなかった。
精製過程前の、もっとレアな原材料の加工工程が見たい。
ブッチはメタボの体型に似合わないすばしこさで従業員たちの目をかいくぐり、非常階段と梯子で屋上に上がった。
四角いダクトがあっちこっちに走り、大きな換気扇がいくつも「ゴオオー」と回り、むっとする脂肪臭さを舞い上がらせている。
ブッチは換気扇の網の上に身を乗り出し、フンフンと鼻を鳴らして脂肪の湯気を嗅いだ。ニタアッと気持ち悪く笑い、
「あるである、蛇の臭みが、たっぷりするである」
頬肉で押し上げられたキツネ目を鋭く走らせて中へ忍び込むルートを探した。出入り口のドアは鍵が掛けられ入ることは出来ず、より強い蛇の臭みを求めて換気扇を嗅いでいった。
工場は漢字の「区」から「メ」を引いた形をしている。左の縦棒が海を向いた正面、上下の横棒が後ろに伸びている。案内された精製工程は玄関のある正面棟にある。後ろの2棟のうち正面向かって右の1棟は完成した製品をパッケージして、運び出すためのトラックが内側の広場に並んでいる。正面棟から左の棟へ回っていくと、換気扇の蛇臭さがどんどん強くなっていく。
歩いていくうち、ブッチは足の下から何かしらゾゾッと身をおぞけさせる得体の知れない、ぜん動を、感じた。細長い建物が、1本の大きな蛇のように、それ自体地面をズルズル移動しているような、妙に気色悪いおぞめきを足裏に伝い感じるのだ。
「なんであるか、これは?」
正面からクワッと襲いかかるマムシをあっさり素手で捕まえるブッチーが、内部から伝わってくるざわざわしたおごめきにゾッと冷たい汗をカッと真夏の炎天下で太った額にいっぱいに浮かべるのだった。
端まで来た。こちらは左岳の緑の斜面がすぐそこに接するように迫っている。
なんであろうか?
建物の端が、コンクリートの塀の外に飛び出している。
いったいどういう造りだろう?
ブッチは首をひねりながら、フェンスのない縁から重い体で転がり落ちないように気を付けながら、そーっと下を覗き込んだ。山の灌木の緑の葉を茂らせた枝が建物に接している。ようく見ていると、葉の間から、下の地面に、何やらにゅるにゅるとした動きが見える。
更によおく目を凝らして見ていると、地面を目がチカチカするような細長い模様が何本もにゅるにゅると動いている。
「うっ、……である」
地面に茶色い川が流れ、白いコンクリートの建物に流れ込んでいる。
茶色い川の正体は、まだら模様の、無数の蛇たちだった。
よおく見ていると、入ってくる者、出ていく者、入り乱れてにゅるにゅる川に波を立てている。
「蛇どもが、工場の中で何をしているであるか?」
ブッチは側面に回って壁を見下ろした。上の方に小さなガラス窓が並んで、ガラガラと1枚ずつ開いている。開いている窓からムッと物凄い青臭さが立ち上っている。
「この気温で中は蒸し風呂状態であろう。好都合であるが、わしの体重ではちときついであるな」
ブッチは縁に手を掛けて足を壁に伝い下ろさせていった。高さは7メートルほど、落ちたら体重100キロのブッチは簡単に「ボキッ」と足の骨を折りそうだ。足は窓枠を越えるが、このぶらさがった状態から潜り込むのは不可能なようだ。ブッチは左手一つになると、右手に携帯電話を持って外側からカメラを窓の中へ向けて出来るだけ下の様子が入るように数枚撮影し、動画に切り替えて1分間撮影した。
「フー、疲れたである。よいしょ」
携帯をお尻のポケットに入れて右手を縁に戻し、頑張って屋上に這い上がった。
「ヒー、参った参った」
自分の体重で真っ赤になった分厚い手を振って冷やした。
「さて、どうなっているであるか?」
写真を見ると、窓の下の細い通路と手すりの格子の向こうに、ほんの細くだが下の様子が写っていた。
蛇たちの海だった。
何百、ひょっとしたら何千の、マムシたちがうねうねと折り重なっている。
「ここはいったいなんであるのか?」
ブッチは首をひねり、動画を再生した。写真で見た細い床に、折り重なった蛇たちがうねうね動き、のたりくたりと、互いに身で身を洗う濃密な密集ぶりだ。うろこの肌が汗をかいてぬめぬめ黒光りしている。
「だから、なんであるのだ?」
この下はまるで蛇たちの巣のようだ。工場の中に蛇の巣を作ってやって、なんになるのだろう?
ブッチはもう一度動画を再生し、凝視した。
蛇たちの中にお腹の膨れた者たちがいるのが分かった。周りの蛇たちはその蛇を狙ってぐねぐね巻き付き、体をこすりつけているようだ。卵を身ごもった雌……ということでもないだろう、食べ物、おそらく野生のニワトリ、を腹に収めているのだろう。その満腹蛇を中心に芋洗いのごとき密集したうねうね絡まり合い。やつらはいったい何をしているのか?
蛇たちのうねる床が、それこそ蛇の目の鉄網になっているのが分かった。ほんの隙間から一瞬写るだけなのではっきりと分からないが、黒く濡れてぬめっているようだ。
ブッチはハッとした。
「そうであるか、これが、『真珠輝』の原材料であるか」
秘密を覗き見たブッチはニヤリと笑った。
そのブッチの不気味な笑いを屋上に、離れた連絡用スピーカーの塔に設置された監視カメラが捉えていた。
警備室から回されたカメラの映像をデスクのパソコンに映し、猫犬顔の古松副社長が瞼を重くした陰険な目つきで見ていた。
「いずれにしろ邪魔者は消せ、でありましょうなあ」
古松副社長は内線電話を掛けると指令を出した。
「ターゲット確認。やれ」
ブッチは工場で得られる真珠輝の秘密はこんなものだろうと思い引き返すことにした。いずれにしろもはや工場製品の真珠輝などミセス・ビッキーの眼中にはないだろう。こっちはあくまで商売上の乗っ取り相手に過ぎない。
この棟に下へ下りる梯子や階段はないようで、正面の棟へ向かい歩き出したが、
「うん?」
今通り過ぎた換気扇からブーーンという羽根の回転音が聞こえなかったのに気づいた。
振り返ったブッチに、蓋の金網から鎌首もたげた大きなマムシが「シャアッ」とピンクの口に鋭い白い牙を剥きだして飛びかかった。
「ふんっ!」
ブッチは太い腕を素早く動かして噛みつかれる寸前に蛇の首を捕まえたが。
「ギャッ!」
蛇は一匹ではなかった。こっそりダクトの陰を這ってきていた別の蛇がブッチの裾の短いだぶだぶパンツから露出している丸々太ったふくらはぎにガブッと噛みついた。
ブッチは噛まれた左足を振ってマムシを振りほどこうとしたが、すさまじい痛みに力が出ず、逆にしなやかな鞭のような胴体に右足に絡みつかれ、ドッと転倒してしまった。
「うーーむ……」
掴んでいた一匹まで離してしまい、とても反撃はおぼつかずブルブル無念に指を震わせた。ズキン、ズキン、と、そこに心臓が出来たみたいに噛まれた左のふくらはぎが大きく脈打ち痛みを全身に供給した。
シャシャシャシャシャシャシャ。
蛇の勝ち誇った笑い声を聞きながら、目も、耳も、感覚が遠く暗くなっていった。
「神経毒……である…………」
マムシの属するクサリヘビ科には噛んだ相手を麻痺させる神経毒を持つ種類もいる。ブッチは自分を噛んだ相手を目でまともに確認することは出来なかったが、それはコンクリートを保護色にした白い肌をしていた。
「う、ううむ…………」
意識が混濁していく。降り注ぐ太陽が眩しくて堪らず瞼を閉じた。そのまま目を開くことなく、急激に低下していく体温にブルブル震えながら、ブッチは気を失った。
ブッチが完全に意識を失ってから、2人の作業服の男たちがやってきた。
「あーあ、担架を持ってくるんだったな。こんな子ども横綱みたいなおっさん、外へ運び出すのたいへんだぜ?」
ブッチは夕方になって左岳の蛇観音様への参道脇の木の根元に倒れているのを地元のお年寄りに発見され、若い人に頼んで島で唯一の病院、辺干医院に運ばれ、島で唯一の医者、藪坂先生に診察された。
「マムシに噛まれたんじゃなあ。よそもんが不用意にお山に入りよってからに。血清を打ってみるが、どうもだいぶ時間が経っておるらしいからして、効果があるか分からんのう」
「会社のお客さんが蛇に噛まれたんですって?」
古松副社長もブッチが辺干医院に運ばれたと聞いて駆けつけた。
「先生、容態はいかがですかな?」
「ああ…、いけんかも知れんなあ。ま、手は尽くしてみるが……一応な」
二人は陰険な目でベッドで紫色に膨れて虫の息のブッチを見下ろし、視線を交わすと怪しくニヤリと笑った。
「まったくお気の毒に。やぶ蛇でしたなあ」
「ほんにまあ、こんな藪医者にかかって、運のないこっちゃ」
ははは、と二人は乾いた笑い声を上げた。




