13,出発
ブッチ・熊田はミセス・ビッキーに経過報告のためお屋敷に戻った。久しぶりにミセスのためにコックとしての腕を振るい、夕食のテーブルに出されたのはマグロの頭フルコース。奥様が食べやすいようにコラーゲンたっぷりの目玉と唇が切り分けられている。天然黒マグロ、目玉の直径12センチ。奥様は目玉の裏側をスプーンでぐりっとえぐってプルップルのゼリーをちゅるっとおすすりになる。レアな唇の裏のゼラチンをソースに頬肉のステーキをパクリ。脂が豊富なのでワインは赤。ポリフェノールたっぷり。締めはわさびたっぷりのヅケマグロ茶漬けでさっぱり。
食べ終わるとお付き女中の美雪にブッチーを呼ばせて報告させた。
「へび女?」
さすがのミセスも突拍子のない話に呆れたような顔をした。
「白金ユイと母親の社長一族は白蛇の一族であるようであります。白金ユイの美白肌の秘密はサプリその物ではないようであるであります。彼女の愛人のモデルが同じ美白肌を手に入れているのであるであります。美白肌は人から人へどのレベルの接触でか感染するのであるであります」
「なに? それは移される物なの?」
ミセスの目はマグロの目玉のDHAで爛々と光り輝いた。
「ブッチー。それをなんとしても手に入れなさい。物の正体がなんであってもかまいません。きちんと保存して、わたしの所へ持ってきなさい」
「御意。であるであります」
ブッチーが一礼して、たいへん満足なご様子のミセスの前から辞去しようとすると、ミセスの斜め後ろにすました顔で控えていた美雪が、ギョッとして、真っ青になってうろたえた。
「お、奥様、ブッチーさん、あ、あれ、あれ!」
震える指でブッチーの後ろの観音開きのドアを差すと、ドアはいつの間にか透き間が開き、そこからスルスルと、寄せ木細工の床を美雪でなくてもギョッと身のすくむ大きな、2メートルもある、茶白黒のまだら模様の大蛇が這ってきて、ブッチーをよけて長いテーブルの横に回ってきて、ぐいっと前半身を棒のようにもたげ、テーブルの上に頭を着地し、スルスルテーブルクロスを這い上がってテーブルに上がり込んだ。
まだらの大蛇は頭をもたげミセス・ビッキーと向き合った。ミセスはヒクリと眉を動かした。
「行儀の悪い。躾のなってない蛇ね」
蛇は口の先の丸い隙間から舌を出し、
「シャシャシャシャシャシャシャシャシャ」
と威嚇する音を発した。
「おおおおおお、奥様……」
美雪はミセスをかばうように体を差し入れミセスを退避させようとしたが、手がブルブル震えてミセスの細い肩をガタガタ揺さぶってしまった。目を白黒させたミセスはうるさそうに美雪をどかせ、挑むように蛇と睨み合った。
「おまえは白金家の使いの者か? わたしにいったい何が望みだ?」
蛇は脅すように二三度頭を前後に振り、胴をしならせてクルリと後ろを向くと、今度はブッチーを
「シャシャシャシャシャシャ」
と威嚇し、カッと口を開けて牙を剥き出すと、突然飛びかかった。S字に曲げた胴体をピンと伸ばし、空中を槍のように飛び、ブッチのぶくっと膨れた胸めがけて牙を立てようとした。
ゴッ、と風が巻き起こった。
ブッチのメタボ腹がぶるんと大きく震え、コマのように一回転した体が前を向き直ると、その手にはしっかり蛇の首を捕まえていた。体をバタバタさせて無念の様子の蛇の喉を親指でぐっと押して口を喘ぐように開かせ、剥き出された白い牙を見てブッチーはニヤリと笑った。
「奥様。明日の朝はウナギの蒲焼きなどいかがであるでしょう?」
「ふむ」
ミセスは目を細めて宙をのたうつ蛇を眺めた。
「そうね。味見してみましょうか?」
「御意。であるであります」
ブッチーはそのメタボな体に似合わず素早い動きをするようだ。ニヤリと笑うブッチーに、メカニカルな蛇の顔にも恐怖の色が浮かんでいるようだった。
近畿地方ではウナギのことをマムシと呼ぶのだとか。
※ ※ ※ ※ ※
マイです。
8月。
プチセレモデル一行は長崎県は南の島、蛇島……正確には辺干(へっぴ)島へ10日間のバカンスに出発した。
で、いきなりですがわたしたちはここ五頭列島の五島の南端福栄島の港にいる。
一つ発見。わたしは飛行機が苦手だったのだ。うー、頭痛い。ゲロゲロー。というわけでここまでの旅の様子はカット。みんな楽しそうでいいわね。ゲロゲロー。
東京からのアクセスだけ説明すると、
羽田空港11:15発→長崎空港13:00着
長崎空港14:35発→五頭福栄空港15:05着
というわけで、ここまでわずか4時間。わたしみたいな飛行機駄目人間でなかったらてんで近いものだわ。
でもこれで終わりじゃないのよね、これからわたしにとっては船地獄が待ち受けているのよ。「株式会社 真珠輝」の工場は福栄島の南西の沖にある辺干島にあるんだけど、現在わたしたちがいる福栄港は北東にあって、ぐる〜〜〜っと、回って行かなくちゃならないのよね。んな辺鄙なところに工場作って全国展開の鮮度が命の美容液なんて商品になるんかい!と頭痛と胸のムカムカで怒りがこみ上げてきちゃうけど、全国のご家庭への配送センターは長崎市にあって、冷蔵施設完備のフェリーで4時間ほどとか。十分遠すぎるわい!
しかしまあ既にお迎えの船が待っているというので副社長のおじさんに案内されて……埠頭に下りていくと……何よこれ?
漁船…………
●松●夫みたいな猫犬顔の副社長が泣き笑いしながら
「我が島の連絡船です。型は古いですがスピードは出ますから、島まで1時間15分も掛かりませんよ」
と自慢した。時間の刻みが細かいわよ。連絡船って、確かに漁船にしては大型だと思うけど、思いっきり磯の香りがしてるじゃない? ほら見ろ、おしゃれなモデルたちが思いっきり顔をしかめて退いてるぞ!
「ごめんねみんな」
さすがにユイは場の空気を感じて気の利かないおじさんに困った顔をして仲間とスタッフに謝った。
「でも島を巡る景色はすごくいいから! 天気もいいし、気持ちいいわよ?」
と、一生懸命会社のイメージダウンをカバーする。
「そうね」
と大人のウララが気を取り直した笑顔で言う。
「本当に遠くに来た感じがしていいじゃない? なんだかスリルありそうで面白そうよ?」
ね?とリーダーの二人に振る。
「そうね。島巡りの遊覧船みたいね」
さすが大人のオールマイティーモデル、ナユハさんは穏やかな笑顔で前向きに捉え、
「イメージと違うわね」
シズカは大人げなく言わずもがなな本音を言った。わたしも本音を言えばシズカに一票入れたいところだ。
「はい、みんな、写真撮るよ」
カメラマンにカメラを構えられるとみんな反射的にプロモデルのいかにも楽しくてしょうがない笑顔になって仲良く肩や腰を抱き合って素敵な連絡船をバックにわきあいあいの集合写真に収まる。ブスッとしたシズカを除いて。わたしもプロモデルの端くれとして笑顔に参加するが、さすがに顔色悪くてわたし的にはこの写真はエヌジーね。
いよいよ覚悟を決めて乗り込まなくてはいけなくなって、待合室の階段を下りて近づいてくる者があった。ブッチ・熊田だ。
「ちょっと待つである。わしも同乗させてほしいである」
相変わらず勘違いしたヒップホップファッションで、ますますおしゃれなバカンス気分が遠のくから重量オーバーを理由に是非断ってもらいたい。
「すみません、これはうちの会社でチャーターした物で一般の方は」
小●副社長が迷惑そうに断ると、
「わしはミセス・ビッキーの使いの者でブッチ・熊田という料理人である。料理の腕にはかなり自信があるである。連れていくとお得である。とにかくミセスの親書を読んでほしいである」
と、ブッチは副社長の頭越しにユイに訴えた。みんなの先頭で船の渡し板に乗っていたユイは、
「いいわよ。どうぞ」
とブッチの取り出した封書も見ないで許可した。
「ありがたいである」
ブッチは一礼し、「ミセス・ビッキーだって」とざわめくモデルたちにニッコリ気持ち悪く笑いかけた。わたしは、ゲロゲーロである。




