噴射令嬢ポレットの果てしなき罵詈雑言
「ごっふぅ!」
しん、と静まり返ったホールに、私の発した非常に汚い噴射音が響いた。
今日は第二王子の婚約者のお披露目があると内々に噂されている舞踏会で、来場者は妙齢の男女ばかり。
お披露目云々の前にもう随分前に婚約はなされていたのだから今更だと思うのだけれど、要はそういう名目で、若い男女が場の空気に盛り上がり縁を結べば良い、という大人たちの策略なのだろう。ご苦労なことだ。
そういうわけで私、いや、対外的にはわたくし、ポレット16歳もその一人として参加していたのだが。
静まり返る直前に響いてきた声は、その第二王子のものだ。
聞き間違いじゃなければ「其方との婚約は破棄する!」とか言っていなかっただろうか。
今時そんな、大衆小説みたいな台詞を大真面目に吐く王子が実在するの?!
いや、ちょうど口に含んだばかりだった果実酒を噴射した私に言われたくないだろうけども!
私の発した噴射音のせいですっかり注目はこちらだ。
まったく、また変なふうに注目される羽目になってしまったではないか。
「なんだポレット、居たのか」
「ゲホッ、ちょ、まって」
「待つのはいいが、見せ場を奪われた王子がものすごい形相でこちらを見ているぞ」
滲む視界にハンカチがある。貸してくれるようなので、遠慮なく借りることにした。
「ポレット!また其方か!」
「ゲホッ、……ああ苦しかった、果実酒が目から出るかと思いました」
「無視するな!」
まったく、相変わらずキャンキャンとうるさい子犬だ。
あれで王子だと言うんだから世も末だわ。むしろ最近の大衆小説的に、王子は愚かでなければいけない決まりでもあるのだろうか。どちらにしても世も末だ。
声がする方に顔を向ければ、まるで示し合わせたように私のいる場所から王子のいる場所まで道が開ける。
王子は、……誰だあれは。記憶にない女性を片腕に抱きながら吠えているけれど、その向かい側でなんとも言えない顔でこちらを見ているのは、彼の婚約者のクリステルではないだろうか。
さっき宙に浮かんだハンカチと共に誰かが私に話しかけてきていた気がするけれど、まぁいいか。
こうなってしまっては逃げるわけにもいかない。
思い切り噴射した果実酒は幸い無色だったので、己の衣装にもあちこち飛んだ気がするが目に見えた汚れはないし、帰ったらメイドのエマに怒られそうだけれど、とりあえず。
「申し訳ありません、あまりにも愚かな発言が聞こえてびっくりして。
わたくしうっかり果実酒を噴射してしまいましたわ」
「令嬢が酒を噴射するな、非常識な」
「あら、現在進行形で非常識な振る舞いをしていらっしゃる王子に、そんな指摘をされるとは思いませんでした」
「何が非常識だと」
「正式な婚約者でもない女性の肩を抱くのが王子の常識なのですか?
随分爛れた常識をお持ちですこと」
令嬢たるべくニッコリ微笑めば、ぐぬ、と憎々しげな顔で睨まれるけど。
貴族学院時代、この方一度も自他ともに認める本の虫たる私に勉学で勝てなかったので、こうやって睨まれるのも、もう慣れたものなのよね。
私は運動はからっきし駄目だけれど、令嬢は別に運動は出来なくてもダンスさえなんとかなれば問題はない。
私の場合、踊っているくらいなら飲み食いがしたいし、可能ならば休憩室に備え付けてある本を読みたい、という残念仕様なので学校の課題以外で踊ったことはそもそもないが。
「王子ぃ」
「……ごほん、残念令嬢ポレットのせいで邪魔されたが、もう一度言う。
私はクリステルとの婚約を破棄し、マリーヌと結婚する!」
勝手に人の異名を作るな。
それはさておき、甘えたような顔で王子にしなだれかかっている女性がマリーヌなのだろうか。
あまり社交的でない私ではあるが、それでも王子周辺の人間の顔に記憶がないなど本来ならばありえない。
私の曽祖父は先々代王の弟で、つまり私は公爵令嬢なのだ。
公爵である父には本妻である奥様の他に我が母が第二夫人として居るが、母親によって子供が差別されることもなく、そのおかげで兄が三人もいる上に五番目の娘な私はだいぶ自由に育った自覚はある。
その結果暇さえあれば自宅の書庫に籠り、気が向けば祖母の残した小さな畑の薬草を手入れし、そして思いつきでその薬草を煎じてはあまりの不味さに悶絶する私を、お父様はそれでも大事な社交の場には引っ張り出してくださっていた。
無理に婚約者を決める必要はない、ただ女性の社交はちゃんとしなさい、そうおっしゃって。
非常に、とてつもなく、ありがた迷惑だったけれど。
なので少なくとも侯爵家位までの同世代の令嬢の顔ならば、記憶しているはずなのだけれど。
それにマリアーヌ、じゃなくてマリーヌだったか。マリアーヌならば子爵家の栗毛のお嬢さんがそういう名前だった気がするけど、マリーヌ、名前にも心当たりがない。
「クリステル、あの方は一体どなたなのかしら?」
「……男爵令嬢なのだそうよ」
「……は?」
「もともとは貿易商なのですって」
「は?!」
え?!なにそれどういうこと?!
男爵令嬢が公爵令嬢から婚約者を奪い、あまつさえその相手が王子ですと?!
「うるさいぞポレット!」
「いや煩いのはあなたでしょ」
ちょっと考え事してるんだから黙っていてほしい。
貿易商、ということは功績を認められ男爵位を得た元平民ということか。
それ自体はなんにも問題はない、むしろそれだけの功績をたてられた彼女の家はすごいとは思う。並々ならぬ努力の末だろう。素直に賞賛に値する。
しかし、何度でも言うが今吠えている子犬は王子なのだ。御年16の一国の王子。
あれが王位を次ぐ可能性は果てしなく低いし、あれの兄弟が王位を継げば爵位を得て城を出ることになるだろうが、それでも現王がご顕在の間は王子という立場で城に住まう以上その伴侶も当然国の顔たる存在になる人であって、どう頑張ってもぽっと出の元平民がなれる立場ではない。
私はこんなに残念仕様だけれど、それでも物心つく頃から勉学に礼儀作法にと、必要なことは片っ端から叩き込まれて育てられてきた。
私の隣にいるクリステルも同じだ。高位の貴族とは須らくそういうものなのである。
そして彼女は私の記憶に間違いがなければ、王妃様の手助けが出来るよう、王族独自の教養や作法、はては外国語まで身に着けてきたはずだ。
私のように異国の本が読みたいという自己欲求を満たす理由で学ぶそれとは、全然違うだろう。
貿易商の娘なのか孫なのかは知らないが、彼女が仮に語学に優れていても、他全部が足りないのでは話しにならない。
「聞いているのかポレット!」
「聞いていません」
「聞け!」
「ではお伺いしましょう?今時大衆小説でもそろそろ飽きが出てきたと言われるこの展開、王子は一体何をお望みなのです?」
「飽き?!」
「そもそも婚約者でも何でもない女性の肩を抱いて突っ立っておいでですけれど、"自分は婚約者がいるのに浮気してた大馬鹿者です!"という宣言にしかなっていないのをご理解いただけてますか?」
「其方もマリーヌを侮辱する気か!」
「……クリステル、あの方いつから言葉が通じなくなったのかしら。
それともわたくしが公用語を話していないのかしら」
「ちゃんと公用語を話しているし、殿下に話が通じないのはいつもの事よ。もうあなたは黙って」
あら、どうしてクリステルまでげんなりしたお顔を?
クリステルとは同じ年の公爵令嬢でそれなりに付き合いがあったので、気安い関係だと思っていたけれど、そう思っていたのは私だけだったのだろうか。
首を傾げた私の前にクリステルがすっ、と背筋を伸ばす。
「殿下、婚約破棄とのこと、この件は陛下はご存知なのですか?」
「なぜ陛下が引き合いに出されなければならぬ」
ぇえー、そこからなのです?
王子と公爵令嬢の婚約に、両家の親が関わっていないわけがないでしょうに。
自分の独断で婚約破棄なんかしたら、自分がどういう立場に立たされるか解っていないのかしら?
クリステルとの婚約は、要はクリステルの家は第二王子に付きます、ということなわけで。
それをこの仕打ちだ。クリステルの父親がまともな人間なら、この第二王子の後ろ盾でいようなどとは思わないだろう。
まぁ、政治の世界は色々あるので、クリステルと第二王子の婚約も布石の一つでしかないのかもしれないが。それならそれで汚点にしかならない関係など、無駄でしかない。
それにしてもこの王子、自分の後ろ盾に反旗を翻した自覚すら、もしかして無い?
「常々馬鹿だと思っていましたけれど、本当に馬鹿だったのですね」
「ポレット」
あらいやだ、口に出てた。
そんな私に、けれどクリステルは困ったように微笑む。
「まぁでも、ポレットの言うとおり、恥ずかしげもなく浮気の公表、更には大衆の面前での婚約破棄宣言という、わたくしを貶めるその行い。馬鹿だと言われても仕方がありませんわね」
「ふん、そうやってマリーヌにも偉そうに暴言を吐いて苦しめたのだろう」
「なんの事でしょう」
「しらを切っても無駄だ。其方がマリーヌに対し履いた暴言の数々、しかと聞き届けているぞ」
クリステルは決しておとなしい性格はしていないのは確かだけれど、暴言?
暴言を吐くくらいなら、理詰めで追い詰めそうだけれど。
「その暴言とは?」
クリステルの問いかけに、王子が胸を逸らす。
「其方マリーヌに、男爵令嬢では王子の伴侶は荷が勝ちすぎる、作法が身についていないと貶し、自分の主催する茶会にはマリーヌがどんなに頼んでも絶対に呼ばない。そして私に馴れ馴れしく話しかけるな等高圧的に申したそうではないか!」
ビシッ、と指をさして決めポーズのつもりなのか知らないけれど。
呆れた顔をしたクリステルが私の隣に一歩下がった。
もう彼女は王子に何か言う気が失せてしまったのだろう。それとも他の思惑か。
ちらりと彼女を見やれば小さく頷かれたので、私は遠慮なく口を開いた。
「指をささないでくださいませ」
「其方は関係ないだろう?!」
「関係ないです。ただ今王子の仰ったクリステルの発言は父が公爵位である娘の立場として当然のものばかりで、一体何をそんなに得意げになっていらっしゃるのか全くこれっぽっちも全然解らないのですけれど。大体作法も身についていない身でお茶会に出られないことなど、幼い子供でも知っていることですわよね?恥をかくのは本人ですし、主催としてもそんな混沌と化すお茶会など避けて当然でしょう?
婚約者の居る異性、しかも男爵位の身分の者が王族に馴れ馴れしく声をかけるな、など更に当たり前すぎることですけれど、頭大丈夫ですか?
それを踏まえた上で、ええと、マリーヌさんでしたか、これの一体どこが暴言なのか説明してくださる?」
「え?!」
「ポレット!……其方までマリーヌを虐める気か?!」
「はい?……これが虐めだったら、王子がクリステルにしているこの仕打ちはなんですか?暴行ですか?」
「なん」
「浮気の挙句なんの罪もない令嬢に言いがかりをつけ、おまけにその愚かな発言でわたくしまで二次被害で果実酒を噴射する辱め、一体これが虐めでなくてなんだというのです?
わたくしがマリーヌ嬢にしていることなどただの質問ですよ。それを虐めというのなら、こちらへの虐めはもはや暴行でしょう」
「どんな理屈だ!それに其方は自業自得だろう!」
「いいえ、あんな馬鹿馬鹿しい発言が耳に入らねば、わたくし今頃果実酒と美味しいお料理に舌づつみを打って壁の隅で大人しくしておりましたよ。確実に王子のせいです」
まったく、せっかく美味しそうなテリーヌやコンフィがあったというのに全く食べられていない。味を確かめ、学ぶべき点があれば我が家の料理長に提案する気だったのに。誠に遺憾である。
ふと、私の肩に手がかけられる。
振り返ればクリステルが諦めたように小さく笑って首を降った。
「殿下がポレットに口喧嘩で勝てないのは、今に始まったことではないでしょう。
それにポレット、あなたドレスに果実酒をこぼしたのではなくて?」
「それはそうですね」
「わたくしも場を騒がせてしまいましたし、本日はこれで失礼させていただきますわ。
ポレットも参りましょう?」
「ではエスコートをいたしますよ、ポレット嬢」
そう言ってす、と手を出してきたのは。
「ウィリアム、居たの」
「さっき咽た君にハンカチを差し出していたの、僕なんだけど?」
全く視界に入っていませんでした。
このウィリアム、侯爵家の三男で私とはまた違った意味で奔放な人間だけれど、同学年ゆえに付き合いはそれなりに多い。
何故か出没する場所が重なりやすいらしく、学院の図書館でも裏庭でも随分遭遇したものだ。
そんな彼がおどけたように肩をすくめた。
「正式に破棄されていない以上、今も婚約者である王子の前でクリステル嬢をエスコートすると何かと差し支えるだろうけれど、ポレット嬢はそもそも婚約者がいないので問題ないでしょう?」
「人をダシに退場しようとしないでくれるかしら」
そう言いながらも私は彼のエスコートをおとなしく受けることにした。
もうここにいても何もいいことはない。どうせ数々のお料理を食べることも出来ないのだし、さっさと退場したほうがいい。
「わたくし達が騒いでいる間にしっかり食事を取って、お腹も膨れたから帰りたいとか、そんなところでしょう?」
「ご名答。どのみち親に言われて仕方なく来ていただけだしね。
君がいるとは思わなかったから、来てよかったとは思うけど。
ポレット嬢がいる場所ではだいたい珍しいものが見られるからね」
「驚きの茶番劇とか?」
「そう。君がいなければあんなに面白い展開になっていないよ。
まぁ、ポレット嬢自体が珍しい存在だけれど」
「わたくしを珍獣扱いするの、やめてくださる?」
「わたくしの前でいちゃつくのも、やめてくださる?」
「「いちゃついてませんが?!」」
思わず振り返ってそう言えば、クリステルの後ろで閉まるホールの扉、クリステルがその音にホッとしたように肩の力を抜いた。
「……お父様の許可もなく、婚約破棄を受け入れるわけにもいかなかったの。
あなた達のおかげでうまく濁して立ち去ることが出来て、本当に助かったわ」
後日、娘を馬鹿にされたことに激怒したクリステルの父と公爵家を敵に回したくない陛下の間で彼らの婚約は無事破棄と相成った。もちろん第二王子有責で。
「まぁ、当然ですわよね」
「そうだな」
そう言いながらもどこか煮え切らない態度の父を怪訝な思いで見ながら、私は紅茶とともに用意された焼き菓子に手を伸ばす。
「それで、そんな話を聞かせるためにわたくしをお呼びになったのですか?」
「お前は当事者でもあるだろう。それにこの話には続きがある」
当事者というより、私は巻き込まれただけの被害者なのだが。まぁいいかと私はティーカップを傾ける。
程よい温度に茶葉の香りが芳しいそれを口に含んだ瞬間だった。
「ポレット、お前に第二王子との縁談が出ている」
「ごっふぅ!」
「なっ、何をしている!」
「それはこちらのセリフですが?!何と言うタイミングでふざけたことをおっしゃいますの?!」
あああああ、今度は紅茶!
私には噴射の呪いでもかかってるの?!
背後にいるエマから凍えるような冷気が漂ってくるのだけれど?!
父の話はこうだ。
件の婚約破棄の報告と、それに際し私への罰はないという通告書。それは当たり前である。
しかし何故か同時に王妃様名義で、私と第二王子の婚約話が文書で届いたのだそうだ。
曰く、第二王子をしかり飛ばせるその度胸と、父親同士がはとこという遠縁の親戚のよしみどうか面倒を見てくれないか、とのことだった。
あれを野放しにできないと思う王妃様の気持ちは理解できるが、理解は出来るが……!
私がそれに即刻「却下」を言い渡したのは言うまでもない。
あの王子にまかり間違っても求婚なんかされたら、今度こそ顔面めがけて吹き出す自信があるわ!




