追われる狼は、盲目の私に愛をくれる
「月の見えない夜だった」で始まり、「わからないままでいいよ」で終わる物語。できれば1820字以内で!という縛りで挑戦しました。
挑戦した結果、1000文字オーバーしたけど、いいかな?いいよね。いいよいいよ。
月の見えない夜だった。
といっても、部屋の窓を閉めに来たメイドが「先ほどまで満月が出ていてとても綺麗でしたよ」と言っていただけだ。
いつも真っ暗な私の視界には、いつだって月は見えない。
急に、冷たい夜風が吹いた。風の音とともに、遠くで鳴く獣の遠吠えが聞こえる。
それから。
「うわ! 人……!?」
窓の方から声が聞こえた。若い男の知らない声。
「あなたはだあれ?」
驚いて焦るような声に、警戒心が少し薄れていた。変わり映えのしない毎日に湧いた、ちょっとした事件。
冷たい風が頬を撫でて行ったけれど、私の胸はどきどきと熱くなった。
「……え、誰って……いやアンタ、目が……? ここに住んでるのか……?」
「ええ、見えないの。もしあなたが悪い人なら、すぐに人を呼ぶけれど」
ベッド横にあるベルを一振りすれば、即座にメイドがやってくる。
心配性で過保護なお父様の、指示通りに。
「……いや、呼ばないでもらえると助かる。まさかここに人がいるとは思ってなくて。少し、休んだら出て行くから」
私の部屋は一番屋根に近い場所。
「そう? でも代わりにお願いがあるの」
「……な、なんだよ」
「また、来てくれないかしら。こんなに楽しい気分になれたの、久しぶりなの」
お父様の耳に入れば、窓に格子を付けられるだろうか。
悪いことをしている気分になれるのも、ときめく要因かも。
彼は、戸惑ったようだった。息を呑む音が聞こえた。
自分でもおかしなお願いだと思う。きっと断られる、と思っていたら、だ。
「——いいぞ」
そんな予想外な答えが返ってきた。
頬がぐっと上がった。私は今、久しぶりに笑っているのかしら。
彼はひと月後に現れた。約束通りに。
雨が降っていたようで、窓が開かれた瞬間、雨の音と濡れた土の匂いが部屋中に広がった。
「久しぶりね、ライノ。来てくれてありがとう」
「……約束しただろ」
「そうだけど、貴方にとってはただの面倒ごとだと思うから」
ライノは静かに侵入すると、部屋を一巡し、結局窓の下に座った。床の軋む音が普段より大きいことにさえ心が躍る。
濡れてもいいかと聞かれたから、ベッドの上の毛布を差し出した。今日は寒い日だったから、少しでも暖まってほしい。
彼とは他愛もない話をした。
等間隔に並んだ街灯の明かり、商店街のにぎわい、公園にある噴水の水飛沫。
ライノが聞かせてくれる外の話は全部、お父様もメイドも話してはくれない、私には貴重で素敵な話。
でも私が話せることは、この部屋での出来事だけだから、外を知るライノが退屈しないかばかり気になった。
「あの、また、来てくれる?」
「……ああ」
「いいの? 私は楽しいけれど、貴方には退屈ではない?」
魅力的な世界を知っているなら、こんな小さな部屋のことなんて、きっと面白くない。
「……楽しいぞ? 俺はこんな屋敷に住んだことがないし。街に俺の話を聞いてくれるやつなんか……いや、それに、こんな夜に穏やかに過ごせることは、ないんだ。嫌だったら、今日だって来てない」
「じゃあ、約束ね! また来て」
翌朝、花瓶が倒れて絨毯が濡れているとメイドが慌てていた。
その近くに置いてあった毛布について聞かれた私は、たまには窓の近くで毛布に包まれたかったのだと苦し紛れに言った。雨に驚いて花瓶を倒してしまったのだとも。
返してもらった毛布は一つも濡れていなかった。
それから、何度かライノはやってきた。決まって満月の夜で、たくさんの街の話を聞かせてくれた後、夜明け頃にはさっと出て行く。
私はメイドに月の形をよく尋ねるようになった。
「どうしたんです。最近、月が気になるようになりました?」
「う、うん。あなたが満月だとか三日月だって言うから」
「ふふ、でもあまり外に興味は持たれませんように。とくに、満月の夜には大きな狼が出ると街で噂になっていますから。——外は、怖いところですよ」
メイドはいつもこう言うが、ライノから聞く外は楽しそうだ。
この部屋を出てみたい、なんて言えば、お父様にまた叱られるかな。
メイドの話には適当に頷いて、次の満月を楽しみに待つ。
◆
「狼だ! 狼が出たぞ! なんだってこんなところに!」
そんな喧騒が、屋敷中に響き渡った直後だった。
「っ、お嬢様、決してドアを開けてはなりませんよ。大丈夫です。また来ますから」
メイドが顔を出して、ベルを回収すると、そう言い残してまたバタバタと出て行った。どうやら突如現れたらしい狼の対応に追われているようだ。
慌ただしさの最中、コンコンと窓が鳴る。
今日も満月。ライノだ。
「いらっしゃい、待ってたわ! ごめんなさい、少し屋敷中が慌ただしくて。見つかったら大変よ。すぐに入って」
するりと入ってきたライノの息は、荒かった。
汗の匂いと、少しの鉄の匂いも。
差し出したタオルは「汚してしまう」と受け取ってもらえなかった。
「大丈夫? 体調が良くないかしら。もしかしてどこか怪我を?」
ゴロゴロと鳴る喉はとても辛そうだ。
手当もできない私は、屋敷の喧騒の中、この密会が見つかりませんようにと祈るばかりだ。
「いや、ここにいれば……平気だ。今日はあまり長居できそうにないな、すぐ出て行く」
「いいの、たぶんしばらく人は来ないわ。警備隊が来ている間は、絶対に」
お父様もメイドも、来客時にはこの部屋に立ち入らない。
人に見られてはいけない私は、いつも部屋で一人、声を出さず物音を立てず、じっとしていた。
でも今はライノがいる。
それが不思議で、響くライノの息遣いにもドキドキする。絶対に奪われたくない。
「あの、手を握ってもいい? 不安なの」
屋敷はまだ、騒がしい。遠くで地面を踏み荒らす複数の足音が鳴り続いていた。
「……いいぞ。ほら」
時折呻き声を上げるライノだが、私の手を握る手は、殊更に優しくて、ほっとした。
大きな手も、毛皮のような温もりも——たとえ爪が大きく尖っていたとしても——ライノの存在が安心をくれる。
私も何かあげられているだろうか。
毛が指の間を撫で、くすぐったさに引っ込めようとした手を掴まれた。力は無い。そっとだ。
「あなたの顔が見たいわ」
「……見えないだろ」
「大好きな人の姿って見てみたいものなの! もし触ってもいいなら、わかるのよ、私にだって」
「いや……俺の顔は、醜いから」
「そうかしら? 醜いとか美しいとかそんなのどうせ私には見えないのよ。ただ知りたいの!」
近くでグルルルと喉が鳴る。獣のように。
そっと、私の手からふわふわの毛が離れていく。草の匂いも、少し混じる血の匂いも、一緒に。
でも、いなくなる気配はない。今はそれで満足だ。
ライノの緊張がぐっと緩むのがわかった。小さく鼻を啜る音も耳に届いたけれど、私には見えないから。
口を引き結ぶ私の頭を、温かくて大きな手が撫でていった。
「いいや——ずっと、わからないままでいいよ」




