第9話
秘密
はぁはぁと肩で息をする。 久しぶりにこんなに走ったので、足と肺がどうにかなってしまいそうだ。
ノーマンと少女は廃墟と化したモーテルに逃げ込んでいた。
たまたま逃げ込んだ訳ではなく、途中から少女が道を指示して辿り着いたモーテルで、少し生活感が感じられる部屋だ。
「ふ、ふざけないでよ・・・はぁ、こんなに走ったの、子供の時以来よ!」
まだ息が整わない少女が悪態をつく。
ノーマンは気まずそうに小さく笑う。
「けど、ありがとう。助かったわ。」
少女は近くの棚から飲み物を手に取ると、ひとつ、ノーマンに投げてよこした。 やはり、ここは少女の隠れ家のようだ。
「さっきの人たちは、何なのでしょうか?」
「さぁね。人さらいか何かでしょ。よくある事よ。」
少女も慣れた手つきで飲み物を取り、喉を潤す。
「お坊さん、名前は?」
「ノーマンです。J・NOMAN。」
「ノーマン!?ああ、何てこと。先に名前を聞くべきだった。」
「あの・・?」
「あなたが、私が探していた人だったのね。ごめんなさい。」
少女は汚れたソファに座るノーマンの前で、深々と頭を下げる。
「いえ、そんな。・・・あんな事があったのでは、仕方のない事です。」
あんな事とは、エイダの死だ。
少女は困ったように微笑むと、ノーマンの隣に腰かけた。
「エイダにあなたの事を聞いて、探していたのよ。」
「君は、エイダとそっくりだ。」
「エイダは、私の妹なの。双子のね。 私は[イブ]よ。[EVE]で、イブ。よろくね、ノーマン。」
「はい、よろしく、イブ。」
イブはノーマンの顔をのぞき込むようにして、不器用な笑顔を見せると、右手を差し出し握手を交わした。
「エイダと昨日会ったでしょう?」
「ええ。昨日、あの公園でお話ししました。」
「エイダが、あなたに見せたいって言ったもの・・・それは、何か聞いた?」
「どうしたらいいか分からないもの、と言ってましたね。役所にも相談したけど、誰も相手にしてくれないと。」
「役所に?!・・・そう、バカなんだから!」
イブはエイダと同じ、少し釣り目でまん丸な瞳に、悲しみの色を映すと、ぐっとこらえる様に目を細めた。
エイダよりずっと大人びて見えるが、まだあどけない少女だ。
「エイダは・・・本当に亡くなったのですか?」
「ニュース、見てないの?・・・事実よ。」
「それで、拙僧に何かできることがおありか?」
ノーマンの言葉に、イブはまた訝し気な表情をしてみせた。
「ネムレスにそんなお人よしはいないわ。初対面の人間に手を貸そうなんてお人よしは、今どき坊主でもいない。そんな事を言うのは、詐欺師くらいのものよ。」
あの時、公園で急にイブが怒った理由はこれだった。
無知な少女を騙そうとしていると、イブは勘違いしたのだ。
「拙僧は本当に、何か力になれたらと。」
「お人よしね。このネムレスで、その言葉は厳禁よ。たとえ坊主でも、一週間も居ればそんな言葉言わないわ。」
さては新参者ね、とイブはノーマンを鋭く睨みつける。 その視線は叱咤ではなく、注意喚起の色を持っていた。
「まぁいいわ、ノーマン。ありがとう。」
イブは適当なお礼を言うと、ノーマンにポンと小さな機械を投げてよこす。 思わず受け取ると、それは手のひらサイズのタブレット端末だった。
「これは?」
「あなた、連絡先の一つもないんですってね。エイダから聞いたわ。だから、それ、あげる。」
タブレット端末を触ると、本人登録画面になり、自動的に設定が進んでいく。 あっという間にタブレットの持ち主がノーマンに登録されてしまった。
「しかし、こんな・・・。」
「もう何年も使ってないものだからいいの。初期化もしてある。お坊さんは持っちゃダメなの?それとも使い方がわからない?」
「いえ、大丈夫です。・・・ありがとう、イブ。」




