第70話
大道寺から話は通してあるから大丈夫だとは思うが、すこしの緊張と警戒心をもって、カインは促されるままに室内へと滑り込む。
玄関から真っすぐ進んだ先はリビングで、廊下には水回り、そして寝室と思しき部屋の扉があるだけの、簡素な造りだ。
案内所が指定した宿泊施設とは、天と地の差があるだろう。
「いやはや、古くてすみません。どうも、昔、大道寺に縁があったおじさん、おじいさん?が管理してたアパートなんですけどね。どうも、このまま、改装もせずに残してくれって言うもんで。」
「そう、ですか。」
「まぁ、こんなところでよければ、いつまでも滞在して下さい。大道寺の宿泊施設のほうが、よっぽど良いと思いますけどね、あ、ええと、お名前なんでしたっけ?」
「カイン・カールマン、業・佳院です。」
「カールマ・・・業?またそれは、えらい名前ですね。」
「はい、私は、過去の私の行いを戒めるために、この名前をいただいたんです。」
「そうですか。それは、それは。」
業、カルマとは、宗教学者なら知っているだろう言葉で、過去の自分の行いの事を指す。 自分の行いが招いた結果や未来は、善も悪も、すべて自分が背負わなくてはいけないのだ。
名前を聞いただけですぐに理解したこの大男は、大道寺に所属していたのだろうが、今はそれを聞くべき時ではないだろう。
「それにしても、ここまで大丈夫でした?治安、悪かったでしょう。」
「ええ、けど、セキュリティもちらほら見かけましたし。」
大男はカインを気遣うが、これっぽっちも心配などしていない表情で、コーヒーサーバーを操作している。
確かに繁華街からここまでの道中、路地は昏く、流石に治安が悪いと思ったが、ここガルボランは全体的に治安がいい。
ネムレスのスラム街、ショワンなんかは警察とずっと仲が悪く、しょちゅう冤罪逮捕やテロ行為、制圧に武力行使が盛んで、観光客はまず近寄ることはない。
そういえば、少し前にもショワンの有名なギャングの息子が冤罪逮捕を証明して出所したと、報じられていた。
これからますます、警察との抗争が過激になるだろう。
「カインさんが読まれた論文、どうでした?」
大男がコーヒーを机の上に置くと、かぐわしい香りに包まれた。
「はい、あれは実に興味深いものでした。ただ、少しオカルトが強いといいますか、信憑性には欠けるものかと。」
「ですよね。けど、他の論文も読むと、全部が妄想とも思えないんですよね。やぁまさか、ジョン・ドゥのDNAはオルド庁舎が崩壊する前に暴かれていた、なんて。」
「AIがその情報を得て、ずっと子孫を探していたなんて、まるでガラスの靴のお伽話のようです。」
「けど、それを裏付けるような、関係者と思われる人物の著書が秘密裏に裏取引されている。カインさんは、それを探しに来たのでしょう?」
「ええ、そうです。大道寺の爺様たちには、内緒ですけどね。」
「はぁ、わざわざ内緒に?修行の一環だといえば、問題ないのでは?」
大男の言葉にピクリと眉を潜ませたカインは、コーヒーを一口すすると、小さく口元だけで微笑んだ。
「そのデータをおこしたのは、私の師匠かもしれない。」
「は、お師匠様?」
「はい、師匠の名前は、能満慈詠。知っていますでしょう。」
口角だけを上げて笑うカインは、鋭い目つきで大男を見つめる。
腹をくくったようなその表情に、ごまかしはきかないと悟った。
「・・・データの著者名は、J。ただ、Jの一文字だけですが、ネムレスの大変な騒動の時にネムレスにいた留学生の一人に、J・NOMANという人物が居ました。」
「ええ、そうです。だから、私は・・・。」
カチャ、と音を立ててカップを置くと、カインは深く息を吐いて天井を仰ぎ見た。
古めかしい蛍光灯に、蜘蛛の巣がひっかかっている。
愛しの師匠は、この欲望うず巻くネムレスで、蜘蛛の巣にかかった獲物のように絡めとられてしまったのだろう。
ならば私は、その糸を業火の炎で燃やして救ってあげるのだ、たとえその炎が地獄のもので、代償にこの身を亡ぼすのだとしても、何の後悔も残さず燃やし尽くしてくれるだろう。
「能満慈詠の手記を、探しに来ました。」




