第69話
大道に臨むもの
ネムレスが世界に注目される程の事件を起こしてから、十五年程経った今年、ちょっとしたお祭りがあちこちで開催されていた。
今期の総選挙で、歴代初の女性市長が誕生したお祝いだとか。
しかし政治というものは、その市街町村に住む者にしか関係がないもので、観光者や、留学生には露程の興味もないのだが、彼女は特別な存在らしく、その噂は島国にも届いていた。
いつだったか、ネムレスの中心都市、オルドの市街庁舎がテロによって破壊された時、地下に初代市長ジョン・ドゥに関する資料や彼のDNAが保管されていた事が判明し、なんと、彼女はジョン・ドゥの血筋だという事が判明したのだ。
それから紆余屈折、彼女は祖先と同じように、ネムレスの市長へと成りあがったというわけだ。
そして今、他の余所者と同じように、そこまで政治に興味を持てない大道寺の留学生が、ガルボランの埠頭に降り立った。
夜に到着したというのに、まるで昼間のように明るい波止場は、全体的に白い建造物で統一され、犯罪抑止効果の認められた青い街灯がいくつも建っている。
船を降りればすぐに、セキュリティの詰め所が目に入った。
降り立ったばかりの観光客が地図を片手に立ち寄ると、詰め所の人間は嫌な顔をせずに、笑顔で道案内をしている。
うわさで聞いたが、この波止場は昔はすごく治安が悪く、犯罪の温床だったらしいのだが、今は亡き前市長が改善案を残していたので、前市長を支持していた大勢の若者の訴えにより、案が通ったのだとか。
人は死ぬと、ある一定の権力を持ち、美化され、色々なわがままが通りやすくなるらしい。
何故そう思ったか?それは、乗ってきた船のパンフレットにそんなような事が書かれていたからだ。
船旅の最中、暇つぶし程度に読んでいたそれを、そっと近くのごみ箱に入れると、夏物の黒い袈裟をまとった僧侶は、埠頭からすぐの所に建てられた留学生案内所の扉をくぐり、中の職員に会釈してにっこり笑顔を向けた。
案内所は吹けば倒れそうな簡素な造りだが、中は意外に広く、立派なソファも備えられ、清潔で快適な空間だった。
「どうも、お待ちしていましたよ。ええと、大道寺祖廟のお坊様ですよね。」
「はい、よろしくお願いいたします。」
「では、お名前を頂戴してもよろしいですか?」
「カイン・カールマンです。」
「はい、はい。カイン様ですね、長旅、お疲れさまでした。」
職員は手元の資料を確認すると、カインと名乗った僧侶にカードキーと案内パンフレットを手渡した。
「留学中、ご滞在いただける宿泊施設と、ご案内です。」
時代はあっという間に変わり、大道寺の留学といえば、それまで過酷な修行を指していたが、今では安全第一、観光客のように平和的に見聞を広める、ただの旅行となり下がっている。
このカインも、大道寺で一定の修行を終え、卒業旅行か修学旅行のように、ここ、ネムレスに来ている始末だ。
カインはカードキーと案内を受け取ると、懐にしまいこんだ。
荷物は、既に宿泊施設に届けられている。
職員が今日はもう遅いので、お休みくださいと気遣ったが、カインはにこりと笑うだけで答えず、宿泊施設とは逆のガルボランの繁華街へと向かった。
繁華街はこの埠頭を抜ければすぐで、埠頭から人がどんどん流れていく。 人の流れに任せて進むと、観光客向けの出店が多く立ち並ぶ、カラフルな光で溢れる広場に出た。
煽情的な香りが漂うここは、まるでこの世の楽園に思えた。
プロジェクションマッピングが建物を彩り、ホログラムの男女が街角で踊り、空にはドローンと花火が飛び交っている。
カインは街中の客引きに足止めされながらも、目的の場所へ足早に進んでいく。
進めば進むほど、先ほどの喧騒が嘘のように闇に包まれ、申し訳程度にぽつんぽつんと佇む街灯が、怪しさを増す。
僅かな街灯が作る深い闇の中に、なにか悪いものが潜んでいそうで、カインは走る速度と変わらない程の早歩きになった。
「あ、ここかな?」
少し大きめの街灯に、古びた二階建てのアパートが見えた。
ジジ、と夏の羽虫が街灯に纏わりつき、灯りを明滅させている。
『キンコーン。』
アパートのチャイムはレトロで、おもちゃのような音がした。
カインは周囲を飛び交う羽虫を手で払いながら、アパートの主を待っていると、殺虫剤を手にした男が扉から顔をのぞかせる。
「あ、どうも。大道寺の方ですね。」
「はい、夜更けにすみません。」
「とりあえずどうそ、虫がすごいので。」
早く中に入るように促す男は、ぎょっとするほど背が高く、がたいのいい大男だった。




