第42話
イブとノーマンが目指すのは、地上12階にある、一般利用可能のレストランだ。 このレストランで合流予定のワンは、地上1階から清掃作業員のふりをして、もう既に、もぐりこんでいる。
緊張が外に漏れないように、平然な表情を装う必要があるが、それはノーマンにとって朝飯前だった。
いつも大道寺祖廟で貼り付けていた慈愛の微笑を、今ここで使えばいいのだ。 感情にざわつかず、静かな水面を心に浮かべて、常に精神を一定に保って・・・。
ぞわりと、ノーマンの胸中に、不安や焦燥が首をもたげる。
祖廟でいつもできていた集中が、出来なくなっている?
美しいとされた平静の微笑は、今の表情は、どうなっている?
「ジェイ?」わずかな異変を感じて、イブがのぞき込む。
「なんでもないです、行きましょう、エヴァ。」
不思議と、心配するイブの顔を見ると、うまく笑えた。
それは祖廟で培った微笑ではなく、不安や、焦燥、緊張も、色々なものを抱え含んだままだったが、とても自然な微笑だった。
役所内は相変わらずの活気で、ランチに向かう人も多く見受けられ、その人々の流れに飲み込まれるようにレストラン行きのEVに乗り込むと、すこし、安堵のため息。
周囲を見渡せば、職員と、近隣オフィスのビジネスマン、用事を済ませたついでの一般人に、ネムレスを観光中の若者と、実に様々な人が利用しているようだ。
さて、ランチ時で人が増えつつあるこのレストランで、ワンと合流しなくてはいけない。
一体どうやって、合流するのかというと・・・。
「なぁ、なんか、様子が変じゃないか?」
EVを降りてすぐ、隣にいた男性が鼻をスンスンさせながら、不思議そうに周囲を見回している。
「そうね、何か、煙たいわね。」後ろの女性も訝し気だ。
このレストランの規模は広く、大勢が様々なシーンで利用できるように、ソファ席やカウンター席、立席に、モダンな座敷の個室まで備えている。 客席を通り過ぎた一番奥が、厨房だ。
厨房から一番遠いこのEVからでは、何が起きているのかすぐに解らなかったが、どうも厨房で小火が起こり、煙があふれ出しているようだ。 それに気づいた人々が、慌ててEVにむかってくる。
ノーマンたちは人の波にのまれないように、急いでEVから離れると、非常階段から慌ててやってきたセキュリティに弾き飛ばされそうになった。
「すみません、緊急事態ですので!」走り去るセキュリティの声が、あっという間にパニックに陥ったフロアに消えていく。
スプリンクラーが稼働し、警備ロボットが赤色灯を回して人々を避難経路に誘導しようとしているが、パニック状態の彼らには聞く耳がない。
「エヴァ、今がチャンスですね。」
「ええ、今なら誰も見てないわ、行きましょう!」
ノーマンとイブは、関係者以外立ち入り禁止の非常階段に、誰にも気づかれないように、そっと滑り込んだ。
「よかった、カギが開いてた。」
さっきの慌てんぼうのセキュリティが、しっかり扉を閉めなかったのが幸いした。 そしてもし、非常階段にいる所を誰かに咎められたとしても、避難しているのだと言い張ればいい。
はた迷惑なこの小火騒ぎを起こしたのは、ワンと、スリーだ。
火元はレストランの厨房だが、防災システムのしっかりしているオルド庁舎で小火を起こすのは、簡単なことではなかった。
ちょっとやそっとの放火では小火にはならないし、かといって大量の火薬を使って派手にやれば、セキュリティ総動員のEMG発動で、建物は封鎖され、しばらく警戒特区となってしまうだろう。
そこで、遠隔で監視しているスリーが、故障を装ってIH調理器具を漏電、電気ショートさせた所を、ワンが物理的に引火させ、さらに、ガス式の器具もハックし、ダミーの漏毒危険警報を発令させた。 漏毒しているとなれば、解除されるまで生身の人間は厨房に近寄らない。 全スタッフを厨房から追い出すことが出来るのだ。
非常階段と厨房の監視カメラは、スリーがダミー映像に切り替えているので、ノーマンたちは現場の人の目を警戒しつつ、非常階段と繋がっている厨房の防災扉をわずかに開けて、中を確認する。
厨房から人がいなくなったのを認めると、どこかで息をひそめているワンと合流すべく、音を立てないように忍び込んだ。
厨房内のあちらこちらで、ショートした回線がバチバチと音を立て、黒煙が視界を奪うほど充満しはじめている。
我々が起こした災害に巻き込まれては、元も子もないので、急がないといけない。




