第39話
例え無理しているのだとしても、それを自覚してはいけない、無理していると自覚すれば、きっと、もう歩けなくなる。
だから自分に大丈夫と言い聞かせて、誰かを巻き込んで死なせても、最初から全て自分の責任だと認めて、放棄してはいけない。
遠くなるイブの小さな背中には、そうした決意が込められている気がして、ノーマンは己の浅はかさに、恥を知った。
「イブ。私は、あなたを裏切りませんよ。」
小さな背中に投げかけた言葉は、イブの肩を震わせ、何も言わずに空き部屋に消えていった。
太陽が昇ると、それまで暗闇が隠していた汚いものが現れる。
大通りから一本路地に入ったアパートの周辺は、ゴミが散乱し、野鼠がちょろちょろ走り回って、風が不意に悪臭を届けてくる。
朝陽が届かないような不遇な道を、イブは青いワンピースをなびかせて、軽い足取りでノーマンの手を引いていた。
大通りまで出ると、一気に視界がひらけて、人々の雑踏、どこからか流れてくる音楽、出店屋台の溢れる活気に、まるで別世界に飛び込んだような、不思議な感覚になる。
(そうだ、ここガルボランは、観光地だったな。)
ノーマンが初めて訪れたネムレスの街、エイダと出会った町、イブと手を取り合って、駆け抜けた街。
もうずっと、遠い昔の事のように感じてしまう。
「ねぇノーマン、あの公園に行ってみましょ。」
「いいですね、行きましょうか。」
あの公園とは、二人、初めて出会った大きな公園だ。
ふと、道路の反対側に、托鉢している僧侶を見つけたが、ノーマンは横目に流して、イブと歩きだす。
思えば、祖廟からネムレスに来るまでの道中は、大変だった。
旅費はギリギリまで抑えた格安の旅だったので、物凄く時間がかかったし、到着した埠頭も治安が悪く、ネムレスに足を踏み入れる前に、この旅が終わってしまうかと思った。
最初は、こんな状況になるなんて思ってもみなかったなと、イブに気づかれないように、鼻でそっと笑う。
「ねぇ、ノーマン、あれ食べましょ!」
目的の公園に何台も停まっているキッチンカーのひとつを指さして、イブはノーマンの袈裟をつんつんと引っ張る。
その幼く微笑ましい仕草は、今だけは現実から目を逸らして、この暖かな時間に浸ろうとしているかのようだ。
それはノーマンも同じで、束の間の現実逃避に、心が揺れる。
イブが選んだクリーム飴は、弾力のある生クリームを、薄い飴で丸くコーティングしたもので、深いグラデーションの藍色に、小さな砂糖の星をたくさん散らし、美しい満天の夜空を現わしている。
食べ歩き用の棒に刺さっているクリーム飴にかじりつくと、飴のパキッという音の後に、爽やかな甘さのクリームが、マシュマロの弾力で口に広がり、初めての食感に、ノーマンの舌が唸る。
「美味しいでしょ?子供のころから、結構好きなんだよね。」
「ええ、とても。こんなお菓子があるんですね。」
「ネムレスは、腐っても大都会だもの。色んなものがあるわ。」
「そうですね。」
「ノーマンのお気に入りも、見つかるんじゃないかしら。」
「お気に入り、ですか。」
「ええ。ハマっちゃって、もう、どうしようもないものとか。」
「はは、それはまた。」
「きっと、このネムレスで見つかるわ。」
「この、ネムレスで・・・。」
手元の飴から視線をイブに戻すと、公園の中央の噴水が、たまたま大きく噴き出して、イブの背中を神秘的に飾った。
青いワンピースに、黒髪のポニーテール、雰囲気はこんなにも違うのに、あの日見た、赤いワンピースのエイダと重なって見えた。
風が流れて、イブのワンピースがふわりと揺れる。
(エイダのワンピースは、タイトだったな。双子でも、好みは違うようだ。それもそうか、双子とは言え、二人の人間だ。)
この場所で二人の少女に出会った事が、ノーマンに過酷な試練を与えたのだとしても、きっと後悔はないし、こうして二人で、食べ歩きスイーツに舌鼓をうつことで、報われている気がする。
ノーマンは、イブの中にエイダの面影を追うように、じっと見つめた。 目の前の少女が、今どんな表情をしているかも知らずに。
だんだんと、風が強くなってきた。
突風が二人の間を通り過ぎ、その勢いに顔を伏せると、まるで時間が動き出したかのように、周囲の喧騒が聞こえてくる。
少しだけ、あともう少しだけ、この現実逃避に浸っていたくて、耳を塞ごうとしたが、イブが先に現実世界に目を向けてしまった。
「あれ、何かしら?」
風に乱れた髪を耳にかきあげ、イブが人だかりを指さした。




