第23話
「さて行きますか。」再び野次馬の人ごみを抜けようと歩き出すと、ぽん、とノーマンの肩を誰かが叩いて止めた。
「素晴らしい読経でした、能満慈詠さん。」
「・・・!?」
ノーマンの体が硬直する。 隠している訳ではないが、NLCに来てからは、ずっとJ・NOMANと名乗っているので、漢名で呼ばれることは、まず無い。 無いのだが、間違いなく呼ばれた。
「あなたは・・・!?」
ノーマンにうすら笑いを浮かべて見せる人物は、高級そうなスーツにアスコットタイをお洒落にしめた、中年程度の男性だ。
端正な顔立ちに刻まれた皺がダンディズムを醸し出し、その紳士な姿は、スラムであるショワンに似つかわしくない。
「誰だ、あんた?」
俺は用心棒だといわんばかりに、ツーがノーマンとの間に入る。
「私はアイザック・ウィルソンと申します。」
シルバーグレーの髪をオールバックにした男は、深々と頭を下げて名乗るので、ツーは思わずたじろいだ。
「どうして、拙僧の名前を?」
「私は大道寺が大好きでしてね。ファンとでも言いますか。お坊様の事は、よく知っているのですよ。」
「・・・拙僧たちに、何か御用でしょうか?」
「ふふ。はい、お話がございます。・・もし宜しければ、お茶でもご一緒にいかがでしょうか?」
あちらに車がございます、と手を広げた先に、真っ白のバンが停まっていた。 流石に、初見でいきなり車に乗るのは抵抗がある。
イブは不安をかき消すように、力強い視線で睨んでいる。
「拙僧に用がありますのか、彼女に用がありますのか?」
「両方です。そしてお連れ様にも、悪い話ではありません。」
紳士はチラ、とツーを見る。
ツーは、え、俺?ときょとんと自分を指さした。
「実は、キムさんを殺した犯人を、私は知っています。」
紳士は手でさえぎるようにして、三人だけに聞こえる声で、そっと耳打ちをした。 三人の表情が、かたまる。
ノーマンの漢名を当たり前のように知っており、今まさにほしい情報を持っていると耳打つのは、悪魔のささやきか。
誘う車に乗れば、行先は地獄かもしれないが、今、この誘いに乗らなければ何も進まないかもしれない。
ノーマンとイブは決断ができず思い悩んでいると、ツーが勢いよく口をひらいた。
「だれだよ、犯人!教えてくれ。なあ、行こうぜ!」
ツーは願ってもないと言いたげに、ノーマンの肩をたたいた。
「ちょっと待って、ツー!怪しいわよ、こんな・・・。」
「怪しいったって、じゃぁこれから何すんだよ?探してたんじゃないのか?なんか、手掛かりとか。」
「そうだけど・・・っ!」
「これがその手掛かりってやつだろ!」
そうだ、これは手掛かりだ。
ノーマンはまたしても、自分を戒めた。
今朝、マチルダに叱られたばかりだというのに、不甲斐ない自分を改めるように、ぎゅっと強く瞼を閉じ、ゆっくり開く。
今、目の前にいる紳士の言葉は、悪魔の囁きかもしれないが、この男は自分たちの知らない情報を確実に持っている。
たとえ罠だったとしても、自ら飛び込んで得ようとしなければ、この街では何も得られず、翻弄されるだけだろう。
「ウィルソンさん、ぜひ、お聞かせくださいますか。」
「ええ、もちろんです。さ、どうぞ。」
ノーマンたちは、彼の後に続いて清潔な白いバンに乗り込んだ。
白いバンの後部座席は向かい合って座る形で、とても広かった。
シートの左右に小さなテーブルがあり、グラスと灰皿が置けるようになっている。
紳士の隣にツー、向かい合う形でノーマンとイブが隣同士に座ると、紳士は運転手に適当に車を走らせるよう指示をした。
「改めまして、私はアイザック・ウィルソンです。」
「・・・J・NOMANです。」
ウィルソンが右手を差し出すので、ノーマンは応えて握手する。
ウィルソンは車内備付の棚からグラスを取り出すと、小さな冷蔵庫から冷えたグリーンティーを淹れて、全員に渡す。
「能満さんの口に合うと良いのですが。」
ウィルソンはグラスを軽く掲げ、乾杯のポーズをとる。
まず先にウィルソンが口をつけたのを見て、続いてツーがグリーンティーを口にすると、美味しかったのか、ぱっと表情が明るい。
「あの、拙僧のことは、どうぞノーマンとお呼びください。」
「おや、これは失礼。では改めまして、ノーマンさん。」
アイザック・ウィルソンと名乗るこの男は、最初から愛想の良い爽やかな笑顔を見せてはいるが、その瞳の奥は昏く、薄気味悪い。
「ノーマンさんの事は、ユージーンから聞いていました。」
「え?大家さんから?」
「はい。彼とは、付き合いが長いもので。」
少なくとも信頼できる人物である大家と、面識があるというだけで、緊張した胸がほっと綻ぶ。 伝手というものは偉大だ。
ウィルソンは、大道寺を信仰していた時期があり、その縁で大家のユージーンと知り合いになったそうだ。
それからNLCに大道寺の留学生が来たら、いざという時は助けになれるように、留学生の情報をもらっているのだという。
「ですがまさか、ブラウン姉妹と一緒にいるとは。」
「・・・私たちの事を知っているの?」
ブラウンとは、エイダとイブのラストネームだ。
大家は、[情報屋の大御所]と呼ばれていたことから、イブたちの情報も容易く入手出来たのだとうかがえる。
大家とウィルソンが旧知の仲なら、情報は全て筒抜けだろう。
「ずっと、私たちを監視していたの?」
「いいえ、まさか。そんなに暇じゃないですよ。最初は、大道寺から留学生がくる、とだけ聞いていました。」




