第2話
長年仕えてきた師匠のこの顔に、佳院は弱かった。
「留学先如何によっては、もう二度と会えないかもしれません。会えないだけならまだしも、死んでしまうかもしれないのに!」
この時代、仏教はすべて「大道」という名に改められ、寺院もすべて「大道寺」に統一された。
慈詠の所属する「大道寺祖廟」は、数多の仏様が静かに眠る特別な安寧の地であるが、一定の修行を収めると、留学という名目で、この小さな島国から出ていかなくてはならない。
「すべて、御仏の御心の儘に。」
大勢の人が集った夕暮れは、美しかった。
緋色の夕日が本堂を美しく染め上げ、慈詠の背中を熱くさせる。
祖廟の幹部たちが儀式的な装いのもと、慈詠にうやうやしく巻物を渡すと、互いに深く礼をしてから、そっと巻物を解く。
すると、慈詠の穏やかな瞳が驚いたように見開かれ、その一瞬のわずかな緊張が、本堂内に響くように、しんと静まり返った。
「慈詠は、留学先にNLCを選ぶ。名を、能満慈詠。J・NOMANとする。」
読み上げが終わると、人々のひそひそ声が堂内に溢れた。
[NLC]の単語がいたるところから聞こえてくる。
慈詠のそばで、大人しく控えていた佳院も、その手をぎゅっと握り、肩を小さく震わせて「どうして」と悲しそうな声を零すが、慈詠には、皆がざわつく心が解らなかった。
NLCとは、この島国とは全く違う、多種多様な人間達が世界中から集まる、大都会だ。
本当は紛争地帯とか、不毛な土地や貧困地域、未開の地や、医療に乏しい地域だとか、そうした冒険チックな留学がしたかったのだが、結果は、全世界から人が集まる、ただの大都会だった。
まるで肩透かしをくらったようだ。
「寂しくなりますね。」
荷造りは、必要最低限で簡素なもので、袈裟の替えはなく、小さな頭陀袋に、水筒と栄養食、数冊の経典、それと、三角の被り笠。
「慈詠様・・・どうか、お気をつけて。」
「ええ、佳院も、どうか健在で。」
「お帰りはいつ・・・、いえ・・・。」
留学に正式な終わりはない。
留学と言ってはいるが、基本的にただ外の世界を放浪する旅だ。
慈詠が本当に望んでいた、紛争地帯や不毛な地が留学先だったとしたら、その地域で活動する団体に連絡して受け入れてもらい、保護され、団体の一員として動いただろう。 しかしNLCはただの大都会なので、保護してくれる団体など存在しない。
だからこそ佳院は心配で堪らなかったのだが、慈詠は、外の世界で大道がどこまで通用するのか、試してみたいというワクワクする思いを、胸いっぱいに抱えていた。




