第16話
少し前にあんな事件があったというのに、規制線もはられておらず、何もなかった顔をしている渦中のクロコダイルは、何度も塗り重ねられたようにまだらな黒色で、怪しく光っていた。
恐らくこれは、人の血だ。
きっと、イブだけではない、沢山の人の血を、何度も何度も浴びて、黒く固まってしまっているのだろう。
まるで拭えない呪いの様だ。
「エイダは、ここで、串刺しになったの?」
今にも泣き出しそうに震える声が、押し出される。
ノーマンは掛ける言葉が無く、そっとイブの手を握った。
握り返すイブの手は、ひどく弱弱しい。
「坊主と少女が、イケナイ事でもしてんのか?」
いつの間にか、背後に五人の男たちが、厭らしい笑みを浮かべ、嘲る声音で絡んでくる。 あっという間に囲まれてしまった。
「ショワンへようこそ!観光ですかぁ?」
「い~い場所、知ってるよ?ツアー代くれたら連れてくよ!」
「おすすめのナイトクラブはどうだ?」
男達は地元の若いギャングのようだ。 地元民じゃない人間を見るや否や、金銭を得てやろうと、ハイエナのように寄ってくる。
ノーマンは涙目のイブを庇うように前に立ち、ガレージ屋を待っている筈のランダを視線で探すと、あろうことか、丁度やってきたガレージ屋と仲良くバイクを走らせ去っていくところではないか。
(なんて間の悪い男なんだ!)思わず心の中で悪態をつく。
イブが慌ててタブレットで連絡しようとすると、男の一人がイブの手首を掴んで阻止する。
「おぉっと。可愛い細い腕だね、お嬢ちゃん。」
「はなしなさい!」
すかさずノーマンが間にはいって振り払う。 ランダに連絡する余裕が生まれない。 こういう時、体内埋め込み式のスペック携帯
だと助かるのだろうな、と無駄な思考がよぎる。
誰か助けはないかと周囲を見渡すと、広場の外からこちらを見ている警察の姿があるが、腕を組んで仁王立ちで動こうとしないし、ノーマンが見ている事に気が付くと、背中を向けてしまった。
(どうする・・・!?)
金は持っていないし、持っていたとしても、一度渡してしまえば骨の髄までしゃぶりつくされて、終わりは無いだろう。
悩んでいると、男の一人が、ノーマンの袈裟に手をかけた。
「なぁ、坊主の袈裟っていくらで・・・・っ」
がつん!
鈍い音がしたかと思うと、突然、男が地面に転がる。
ノーマンの右手はじんじんとした痛みと熱を持っている。
(殴った・・・私が!?)
咄嗟の事だった。 ノーマンは、男を殴り倒したのだ。
自分でも信じられない行動と、坊主が暴力をふるった事実に、この場の誰もが硬直した。
「ノーマン!」
イブの声にはっとする。 いつかの日とは逆に、ノーマンはイブに手を引っ張られて、走った。
すぐに男たちが追いかけてくるが、身軽なイブと健脚なノーマンは速く、不健全な男たちは、見る見るうちに離される。
200メートルほど引き離されると、男たちは諦めたようだ。
まだ、あの日、イブを襲ったランダたちの方がしつこかった。
「ああ、あなたといると、走ってばっかりね。」
はぁはぁ肩で息をしながら、イブはずるずる地面に座り込む。
(ここは、どこだろうか?)
息を整えたノーマンが周囲を見渡すと、アジアンテイストな看板と、提灯、モダンな店が並んでいる路地で、どこか懐かしい。
「もう、こういう肝心な時にいないんだから、あのおじさん。」
あのおじさんとは、ランダのことだ。
「それは同感です。」とノーマンが呟くと、イブのタブレットがランダからのメッセージを受信した。
【ガレージの住所送っとくぜ。】の一文と、マップの位置情報。
イブはぶつぶつ文句をいいながら、先ほどの出来事を返信した。




