第16話 父王の沈黙――王の間で聞く声
朝、王城の最奥。
私は厚い扉の前に立っていた。
王座の間。そこには、父王――この国の支配者がいる。
脚本庫をひなたに引き出したことも、間章を制度化したことも、まだ父の口からは一言も聞いていない。
「殿下……」
背後でリリアナが小声で囁く。「王の間へは、普通なら呼ばれないと入れません」
「だから行く」
「怖くは」
「怖い。――けど、“隣”がいる」
アレンが剣を軽く叩き、クロエは小さく笑った。
「隣の声チーム、総出ですね。じゃあ行きましょう」
扉が軋み、冷たい石の匂いが押し寄せる。
広間は広すぎて、歩く音が自分のものじゃないみたいに響く。
王座に座すのは、一人の男。
白髪に近い髪、深い皺、冷たい瞳。――父王。
沈黙の王
父は私を見下ろし、しばし黙ったまま、杖を軽く叩いた。
「……静かだな」
低い声が広間を満たす。
「王子よ。なぜ静けさを乱した」
静けさ。――脚本庫を晒したことを言っている。
私は膝を折り、視線を逸らさず答えた。
「静けさは、声を閉じ込めて得たものです。私はそれを開いた」
「王の静けさは、民の安らぎだ」
「違う。民の声を塞げば、安らぎは幻になる。だから私は輪を選んだ」
父の瞳がわずかに揺れる。
「……愚かだ。声は争いを生む。沈黙は、争いを遠ざける」
「遠ざけても、残る。声は消えない。――あなたも知っているはずだ」
広間に、短い沈黙。
杖の先が石を叩く音が、やけに重く響いた。
父王の過去
「王は昔、声に溺れた」
父の言葉は低く、しかし深かった。
「評議を開いた。民の声を聞いた。……だが、声は互いに食い合った。誰も譲らず、血だけが流れた」
彼は目を閉じた。
「妻――お前の母は、その渦に呑まれて死んだ」
空気が凍る。
母。私が幼くして失った人。
私は拳を握りしめた。
「だからあなたは沈黙を選んだ」
「そうだ。沈黙を編めば、誰も死なない。声を閉じれば、国は保たれる」
アレンが一歩踏み出した。
「殿下の母上は……沈黙で守られたんですか?」
父は答えなかった。
その沈黙こそが答えだった。
名を呼ぶ
私は立ち上がり、胸の札を握った。
「父上。母上の名を、ここで呼んでください」
父の瞳が揺れた。
「……禁じられた名だ」
「禁じるのは、忘れるためですか? 沈黙で母を殺したままにするためですか?」
広間の空気が震える。修正力が入り込もうとしているのが分かった。沈黙を守ろうとする力。
「呼んでください。――母の名を」
沈黙。
杖の先が震えた。
父は、深く息を吐いた。
「……セリア」
名が呼ばれた瞬間、空に白いひびが走り、砕ける音がした。
修正力が一部、剥がれ落ちた。
母は、沈黙から取り戻された。
父子の問答
父の声は低く、かすかに震えていた。
「……セリアの死を、私は恐れた。再び声が争いを生むことを」
「声は争う。けれど、声は重なる。私はそれを見た」
「重なりなど、いつ崩れる」
「崩れてもいい。崩れた後に、また重ねる。沈黙は一度で終わるが、声は何度でも繋がる」
父の瞳が、わずかに柔らいだ。
「お前は……王の器ではなく、読者の器かもしれぬ」
「それでいい。――読者は、推しを救う」
沈黙。
やがて父は杖を立て、ゆっくりと頷いた。
「……ならば見せよ。声で国を保てることを」
「はい」
広場の宣言
私は広場に立ち、民衆の前で布告した。
「王家は沈黙をやめる。――父王は母の名を呼んだ。これからは、名を呼び合う国とする」
ざわめきが歓声に変わる。
リリアナが歌い、クロエが笑い、アレンが剣を掲げる。
史官は新しい紙を掲げた。
「題名――『名を呼んだ日の記録』」
空を見上げる。
ひびは確かに薄れていた。
だが、完全には消えていない。
――最終章はまだ。
けれど、確かに近づいている。