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第13話 偽りの英雄伝――塗り替えられた推しを取り戻せ

 評議の翌朝、王都は軽やかだった。

 広場の端では読み会の子らが順番に音読し、祈祷所の柱には「本貸出し可」「読み聞かせ一刻ごと」と新しい札。三門の列は細り、門番が笑ってあくびを隠す。

 ――地下はひなたへ引き上げられた。世界の心臓に、風の穴が空いた。


 だからこそ、最初の揺り返しは鋭い。


 「殿下!」

 情報局の書記官が駆け込んできて、机の上に一冊の装丁を置いた。

 黒い革。金の箔押し。題名は大きく――『英雄アレン伝』。

 私は目の端が冷たくなるのを自覚した。

 「いつ、どこで」

 「夜明けと同時に王都じゅうの祈祷所、学舎、酒場に。無料配布です。版元は“宮廷出版局”の印……ですが――偽印です」

 クロエがふわりと椅子に腰をかけ、開いた。

 「……あら、筆が上手。比喩は控えめ、章立て巧妙。虚飾が薄いぶん、読者が“真実だ”と錯覚するタイプ」


 私はページを繰った。

 《アレンは貧しき生まれ。正義を愛す。だが王子は嫉妬し、彼より光を奪わんとして――》

 私の掌が勝手に熱を持つ。

 推しを、雑に脚色するな。


 アレンは黙っていた。黙っていたが、斜め下を見つめる眼差しの奥で、感情が固く束ねられているのが分かった。

 「俺は、俺の剣で道を開く。……殿下に奪われたことは、ない」

 その一言で胸が痛い。

 「奪ってない。むしろ、君に隣に立ってほしいだけだ」

 クロエが本をぱたんと閉じる。

 「作者名は“無記”。祈祷所の古写庫で寝かせていた“古い英雄譚”に、今朝の出来事を縫い直してある。脚本庫がひなたに出たから、今度は紙で心臓を偽造した」


 私は史官ヴェルドを呼ばせた。彼は息を荒げ、羽根ペンを握る指が白い。

 「殿下、私は関与していない。だが、手口は旧い。“王が悪役”と書けば秩序は戻りやすいという、役割の呪いだ」

 「呪いは、呼び名でほどける。――偽りの英雄伝、だ」

 「偽りの英雄伝」史官が復唱し、微かに笑った。「名付けは刃ですね」


書き換えられた推し


 昼過ぎ。広場の片隅で、少年が本を読み上げていた。

 「“王子は悪意の源。英雄は涙しつつ剣を執る”」

 周りの子らが、ふーん、と曖昧な顔になる。

 私はしゃがみ込み、少年の目の高さになった。

 「その本の中で、英雄は誰の声を聞く?」

 「えっと……神さま?」

「神さまは、隣にいた?」

「隣……いないや」

「君の隣には誰がいる」

「……友だち」

「じゃあ、英雄は誰の声を聞くべきだろう」

「友だち!」

 少年の答えに、周りの子らの目がほどける。

 英雄は、隣の声を聞く。――紙より前に、口で刻む。


 私は立ち上がり、アレンへ視線で合図した。

 「広場に“読み合わせの座”を作る。偽りの英雄伝を一緒に読む。読み捨てさせない。読みながら、異議を書き込ませる」

 アレンは頷く。

 「異議は、どこへ?」

 「史官の机だ。地下ではなく、ひなたに積む」

 史官が真顔で敬礼する。

 「光の下で記す。これが新しい“書き方”です」


女神の降誕――劇場の逆打ち


 午後、宮廷劇場が“特別昼公演”を打つという噂が回った。演目は**『英雄アレン伝 女神の降誕』**。

 クロエが眉を寄せる。

 「女神を出すってことは、“神の認可”を舞台でやる気。観客に“王子の否”を刷り込む直球ね」

 「なら、こちらも直球で行く。――“王の否”を、王が言う」

 リリアナが目を瞬かせた。

 「否、を?」

 「うん。“王は万能じゃない”。“王は間違う”。“だから声を要る”。――神の認可より、人の認可」


 私は壇を組ませ、劇場の正面広場に即席の舞台を立てた。公演開始に合わせ、鐘を一打。

 「王家は宣言する。王は聖ではない。だから、聴である」

 千の視線が刺さる。

 「聞いて、選ぶ。――それが王の仕事だ。英雄を奪わない。隣に立ってくれ」

 私がアレンを見ると、彼は一歩前へ出た。

 「俺は、殿下の隣で剣を振る。神に認められなくても、隣に認められれば十分だ」

 その瞬間、胸の《最終章》が小さく鳴った。チン。

 劇場の中からざわめきが漏れ、数十人が外へ溢れ出る。客が舞台を捨てて広場を見に来る。舞台は場所に負けるのだ。


黒幕の一節


 夕刻。

 印刷所の裏手で、クロエが一人の老人を壁に押しつけていた。

 「版下の筆跡、あなたね」

 「ち、違……」

 「袖の藍、二年前の南海の染料。帳簿偽造と同じ匂い。――吐いて」

 老人は崩れ落ちた。

 「わ、わしは……“書かされた”。公爵の事務官――黒衣の女が、下書きを渡して……」

 黒衣の、女。

 クロエが目を細める。

 「レーベンの“もう一つの筆”ね。表の弁舌が公爵なら、裏の脚本は彼女」

 私は史官を見る。

 「名は」

 「アステル。宮廷写字局出身、隠し異名“【静音サイレント】”」

 私は舌の裏で血の味を噛んだ。

 「静かな筆、がもう一本」


文字の戦場を可視化する


 夜。広場に灯がともる。

 私は大布を張り渡し、公開の写字台を設けた。史官が羽根ペンを走らせ、子どもたちが『英雄アレン伝』に赤鉛筆で線を引く。「ここが変」「ここは見ていない」「ここは誰が言った」――余白が声で埋まっていく。

 「殿下、こんなのは初めてだ」

 職人頭が腕を組んで笑う。

 「本に反論を書き込む。紙に紙で、声に声で。気持ちがいい」

 「誰でもやっていい。――“読み手にも席がある”。それが新しい“評議”だ」


 アレンは読み合わせの輪をまわり、質問を投げる。

 「この場面のアレンは、誰と話してる?」

 「……独り言」

 「独り言ばかりの英雄は、弱い。隣の言葉で強くなる」

 彼の声は、剣よりやさしいが、剣より速く人の胸に届く。


 リリアナは合間に歌を挟む。

 《火を分けるよ 小さな手でも》

 歌の末尾で、彼女は笑って付け足す。

 「“最終章は、まだ”」

 子どもたちが真似をして、笑いが伝染する。笑いは、恐怖より速い。


反撃――“作者名を呼べ”


 半夜。

 布の上に、アステルの筆跡を拡大して並べた。史官が特徴を解説する。「語尾の伸び」「語句の入れ替え」「古い修辞の癖」。

 私は宣言する。

 「作者名を呼べ。――名のない物語は、名を盗む」

 群衆の中でざわめきが生まれ、「アステル」「静音」の名が波のように繰り返される。名は呪を剥がす。

 その瞬間、空にかすかなひび。白い筋が一本、音を立てて割れた。

 修正力の“匿名性”が壊れる。


 アステル本人は現れない。だが、彼女の匿名の筆が少しずつ効かなくなるのが分かる。書かれた文が重くなり、舞台の台詞が観客の喉で止まる。

 名前は、最強の楔だ。


推しの芯を返して


 深夜。

 広場の端で、アレンが一人で本を閉じた。

 「殿下。俺、英雄になりたくて剣を取ったわけじゃない。……父ちゃんの仕事場を、明るくしたくて。小さな火を守りたくて」

 私は隣に座る。

「知ってる。君は最初から、英雄じゃなかった。人だった」

「じゃあ、俺の“伝”はどうなりますか」

「君が選ぶ。人の伝にする。名もない“日”の記録を、誰にでも読める文で」

「派手じゃない」

「派手な火は、風で消える。君の火は、渡る」

 アレンは目を伏せ、笑った。

 「……隣にいて、よかった」

 危うく、胸の奥から別の言葉が漏れそうになる。好きという音の並びが唇の裏に揺れたが、私はそっと飲み込んだ。

 まだだ。

 最終章じゃない。告白も、章に位置を持つべきだ。


戦況報告と、次の約束


 夜明け前、クロエが影から現れた。紙束を扇のように広げる。

 「偽りの英雄伝、主要な流通は押さえた。祈祷所の古写庫は公開棚に移行、写字局は監査。港の再版紙は針星印になってるから、公爵の裏版は止まる」

 史官が頷く。

 「“読者の余白”を束ねた写本を、正式に王家の記録として保存する。タイトルは――『同時に読んだ日の記録』」

 私は札に指を置き、空を見た。

 ひびは薄い。だが、消えてはいない。

 「アステルは引かない。彼女は“声にならない文”を書く達人だ。次は、夢を狙ってくる」

 「夢?」リリアナが首を傾げる。

 「人が眠っている間に、耳に落ちる言葉。寝物語。――子どもの枕元から国を塗り替える」

 クロエが肩を竦める。

 「じゃあ、寝物語の読み手を増やしましょう」

 「読み手?」

 「母と父、友と師。つまり、隣にいる誰か。――“寝物語の輪”を作るの」

 私は笑った。

 「いい。夜の評議だ」


 朝が来る。広場に柔い光が落ちる。

 私は布告する。

 「今夜より、王都全域で“寝物語の輪”を開く。読み手の席は誰にでも開かれている。――声で、夢を守る」

 子どもたちが歓声を上げ、職人が手を打ち、祈祷所の鐘が応える。

 胸の《最終章》が、また小さく鳴いた。

 まだ、と。


 推しの“伝”を、紙の外で、生きた声で書き続ける。

 物語は、正しく狂いながら、正しい場所へ進む。

 ――最終章は、まだここじゃない。だからこそ、今を書く。

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