第12話 評議の座に史官を――地下をひなたへ
王都包囲が一夜で幕を引いた翌朝。
空は明るく澄み、広場にはまだ炊き出しの煙が残っている。子どもたちが門の落書きを塗り替え、「まだ」という文字を遊びに混ぜている。
“まだ”が合言葉。――昨夜から、王都の空気そのものが軽くなった。
けれど私は知っている。
勝利の翌朝は、いつも次の敵を孕んでいる。
招集
「殿下。評議の場を開くべきです」
執務室にて、アレンが進言した。真っ直ぐな瞳は戦場の緊張をまだ引きずりながらも、曇りはない。
「昨夜の橋で、公爵も一度は退いた。しかし――次は言葉ではなく、“制度”で勝負を仕掛けてくるはずです」
「制度……」
クロエが窓枠に腰を下ろし、足を揺らす。
「つまり『この国の歴史はこうだ』って文書をばらまく。民衆の声より“正しい記録”が強いと証明できれば、昨日の劇も一夜の夢にできる」
「そのために、あいつは史官を使う」
「そう。地下に縛っておいたはずの史官を、今度は表舞台へ」
私は指を組み、深く息を吸った。
「逆に――こちらが先に史官を引き上げる」
「……殿下?」リリアナが小さく声を上げる。
「そうだ。脚本庫の存在を評議の場で暴く。修正力は地下で息をしてきた。なら、地上の光で窒息させてやる」
沈黙が走った。誰も簡単には頷けない。
史官ヴェルドは、千年の記憶を束ねる存在。王が地下に伝え、王が墓所として守ってきた。
それを“晒す”というのは、王家自らの秘儀を壊すことでもある。
「殿下」アレンが低く言う。「それは……王家の裏切りと捉えられるかもしれません」
「裏切りでもいい。王家が独占してきたものを、声の輪に渡す。それで王都が動くなら」
「それで公爵が黙りますか?」クロエが鋭く切り込む。
「黙らない。だが、もう黙らせる必要はない」
私は机の引き出しから《最終章》の札を取り出す。熱は弱く、しかし確かに息をしている。
「昨夜の一語を覚えているか」
「『まだ』……」リリアナが呟く。
「そうだ。最終章はまだだ。なら、地下に閉じ込める必要はない。――みんなで読む本にすればいい」
史官の葛藤
評議前夜。私はふたたび禁書庫へ降り、脚本庫の前に立った。
光の糸は昨夜よりも穏やかで、震えは小さい。中央に座るヴェルド史官は目を閉じていた。
「殿下……来ましたか」
「評議に出てもらう」
「……無茶を」
「無茶は承知だ。だが、地下に隠しておく方がよほど無茶だ」
史官は長い沈黙ののち、重く口を開いた。
「殿下。私は声を記す者。声を選ぶ者ではありません。……だが、地下に声を隠してきた責任もある」
「ならば一緒に出てきてほしい。――記録を、声の前に」
史官の指が羽根ペンを握りしめる。
「もし……世界が歪めば?」
「歪ませればいい。真っ直ぐすぎる棒は折れるが、曲がる棒は折れない」
「殿下は……怖くはないのですか」
「怖い。だが、推しを失う未来の方が、何百倍も怖い」
その一言で、史官はわずかに笑った。
「……奇妙な王子だ」
「奇妙で結構。明日、評議で“奇妙な真実”を開く」
評議開幕
翌日。王城広場に設けられた壇。
衛兵に守られ、民衆が集まる。三門の代表、祈祷所の長、職人組合の頭領、歌い手代表の少女。――そして、壇の中央に杖を突くヴェルド史官。
「本日の評議を開く」
私は宣言する。空気が張り詰める。
公爵派の貴族たちがざわつく。
「なぜ史官が……」
「地下にいるはず……」
私は札を掲げた。
「ここに“最終章”の札がある。だが、これは地下に閉ざすべきものではない。――今日は、この場でみんなに見せる」
札が青く光る。群衆が息を呑む。
史官が一歩前に出る。
「王家は千年、記録を地下に隠し続けた。だが、今日からは地上に開く。ここにあるのは“物語の心臓”――脚本庫。言葉は世界を縛りもするが、解きもする」
公爵が立ち上がった。
「殿下! それは禁忌! 世界を乱す愚行!」
「世界を乱して何が悪い!」私は叫んだ。「乱れることが生きることだ! 声は揺れるから、歌になる!」
ざわめきが広がり、民衆の声がうねり始める。
「歌にしろ!」「まだ終わるな!」
その声に札が震え、空のひびが薄れていく。
修正力は抵抗する。だが、民衆の声が勝っている。
新しい約束
私は壇上で深く息を吸った。
「これからの評議は、声を地下に閉じ込めない。――声はすべてひなたに晒す」
史官がうなずき、羽根ペンを掲げる。
「私はこれより、地下にではなく、この場で記す」
歓声が広がる。
アレンが横で剣を掲げ、リリアナが歌を乗せる。クロエは群衆の間で笑いながら囁く。
「ほら、これでもう公爵の脚本は古い芝居よ」
空を見上げた。白いひびは、確かに薄くなっていた。
まだ終わらない。
まだ、ここからだ。