第10話 劇場を奪え――舞台改稿戦
夜会の翌朝。王都の大通りには新しい歌が流れていた。
《火を分けるよ 小さな手でも》
子どもたちが笑いながら口ずさみ、職人たちが工具のリズムに合わせて拍を打つ。
だが、同時に別の噂も広がり始めていた。
――「劇場で新しい芝居が上演されるらしい」
――「主演は公爵派に雇われた劇団。王子を冷酷な悪役に描くらしい」
脚本は武器。舞台は戦場。
公爵派は広場の評判を奪えなかった代わりに、劇場を武器にしてきたのだ。
劇場の噂
執務室に集まった仲間たち。
クロエは文書を机にばらまき、口笛を吹く。
「宮廷劇団《黄金の羽根》が動いてます。次の公演は『悪王の婚約劇』。……名前からして、殿下のことですね」
「婚約劇?」リリアナが青ざめる。
「はい。舞台でリリアナ様を『妖術使いの婚約者』に仕立て、殿下を冷酷な悪役に据える。観客に『これは真実』と思わせる構図です」
「……完全に修正力の延長だな」私は息を吐いた。「舞台を奪う」
アレンが眉を上げる。
「奪う?」
「そうだ。劇団を力で潰すのではない。――舞台を広場に移す。民衆の目の前で、別の物語を演じるんだ」
クロエが笑う。
「つまり、殿下が役者に?」
「役者じゃない。改稿者だ」
稽古と準備
その夜。
広場の一角に簡素な舞台が組まれた。職人組合が手を貸し、孤児院の子らが木材を運ぶ。
「殿下、これで本当に芝居ができるんですか」
「できる。芝居は“台本”より“場”だ」
リリアナが不安げに裾を握った。
「わたくし……歌しかできません」
「歌があれば十分だ。台詞を超える力になる」
アレンは剣を手にして笑った。
「俺は役者より剣が得意ですけど……殿下の隣で剣を振ればいいんですね」
「その通りだ」
クロエは黒衣を翻し、観客役の群衆に紛れた。
「裏で囁きます。“この劇は公爵派より面白い”ってね」
私は胸の札――《最終章》を握りしめた。
舞台は、世界を改稿する場になる。
公演当日
宮廷劇場の上演と同時刻。
広場の即席舞台に人々が集まっていた。
私はマントを翻し、舞台中央に立つ。
「諸君! これから語るのは、“悪王の婚約劇”ではない。――“声を奪われた者の劇”だ!」
リリアナが震える喉で歌を重ねる。
《火を分けるよ 小さな手でも》
群衆の視線が集まる。
私は高らかに叫んだ。
「悪役は人ではない! 役だ! ――私はその役を降りる!」
ざわめきが広がる。その瞬間、空に赤いひび。紙片が降る。
《悪役は必要》《庶民は沈黙》《最終章は討伐》
「来たな……!」
アレンが剣を抜き、紙片を斬り払う。
クロエが群衆の中から声を飛ばす。
「殿下の劇を信じろ!」
リリアナの歌が膨らむ。
「風が吹いても 隣に渡す」
声と剣と歌。三つが舞台の上で交わる。
紙片の台詞は歌に焼かれ、群衆の拍手が波となる。
逆転
劇場で上演されていたはずの“悪役婚約劇”。
だが広場に集まった群衆の声は、劇場の外壁を越えて流れ込み、役者たちの台詞を掻き消していった。
「――声が……届かない!?」
舞台裏で慌てる公爵派の役者たち。
その混乱の中、私の声が広場を貫いた。
「最終章はここではない! 今はまだ、“生きる章”だ!」
《最終章》の札が胸で熱を帯びる。
ひび割れは退き、白い光が空に走った。
広場は歓声に包まれた。
幕引きと余韻
舞台の幕は降りない。人々の声そのものが幕だった。
リリアナは涙を浮かべ、アレンは剣を下ろして息を吐いた。
クロエは口元を吊り上げて囁いた。
「殿下。あなた、本当に舞台泥棒ですね」
「役者は舞台を奪うものだろう」
「ええ、ただし脚本ごと盗むのは珍しい」
私は空を見上げる。
――修正力のひびは退いた。だが、まだ終わっていない。
公爵派は次の手を打つだろう。
だが、もう恐れる理由はない。
推しと共に、私は舞台を改稿し続ける。