先読みの巫女の娘として生まれた私は 前編
石上家は代々先読みの巫女が生まれる家系であった。
そんな家に生まれた私は、慎ましくも幸せに暮らしていた。
あの日までは……。
当代の先読みの巫女となる母の元には、各地の名だたる者達が毎日のようにやってきては今後を占っていた。
「巫女様、この度、新たに鮮魚の荷を運ぶ商いを北陸の地より始めようかと……」
「良いですね」
「そうですか!では、初手で投資を増やし北の全域にくまなく拠点を作るのも良いですかな?」
「それは、なりません」
「ありがとうございます。では、り徐々に、そう、年単位で一つ程度、拠点を増やす形では?」
「ええ、とても良いです」
「時期は、秋口からと考えており……」
「問題ありません」
母が短くそう言った後、隣に座っていた従者がスッと右手を前につきだした。
これが終わりの合図だ。
男性は頭を深く下げ部屋を静かに出ていった。
母は日に2~3度、このような相談を受けていた。
一人っ子の私はそんな母の姿を部屋の隅で大人しく眺めていた。
父は様々な場で母を売り込み、儀式が終わった客に連れられ接待を受けては、翌朝になってほろ酔い気分で帰ってくるといった生活をしている。
私はそんな父が嫌いだった。
その数年後、母は死に、父はすぐに後妻を娶った。
その後妻には連れ子もいた。
15になる私より2つ下の妹ができた。嬉しかった。
それから暫くして、私はその妹に全てを奪われた。
暮らし慣れた部屋を追い出され、私の衣服も、身の回りの物も、母との思い出の品の数々も、そして私の、母の娘であるという私の立場でさえも……。
全部全部、私の何もかもが奪われてしまった。
そして今、私は使用人のような草臥れた恰好をして、その使用人達と同じように掃除や洗濯などを行う毎日を繰り返している。
始めは戸惑っていた使用人達も次第に慣れ、つには私を蔑む視線を向け私をぞんざいに扱うようになった。それでも頑張れば、いつか幸せに……、そう思っていた。
そんな日々を過ごしながら1年程が経った。
母が亡くなってから先読みの儀式はしていなかったが、遂にその儀式は再開されたのだ。
母が座っていたあの場所で相談を受けるのは、私の名を騙る妹だった。
後妻がその役を務めなかったのは、すでにその顔と立場が知れ渡っていた為であろう。だが、表舞台にはまだ出ていなかった私の顔は知られていない。無き母の娘として、つまりは私に成り代わって、妹が巫女を務めるのだと。
すぐに依頼は入ってきたようだ。
連日屋敷の前に高そうな馬車が止まり、未来を見て欲しいのだとあの部屋には商売人や政治家などがやってくるのだ。
「ええ、大丈夫よ!」
「ありがとうございます!では、時期は夏に……、夏の初めに大々的に行う方が良いでしょうか?」
「そうね。ドカンとやった方が良いわ!」
「かしこまりました!そのように致します!」
こうした会話の後、興奮気味の男は頭を下げ帰って行った。
相談を受けたあの男性は、妹が良いと太鼓判を押した通り事業拡張を行うのだろう。その結果がどうなるかも知らずに……。
夏の日差しが強くなる頃、洗濯物を干していた私は立ち眩みを覚え倒れそうになる。
ほんの一瞬だけ目の前が真っ暗になったのだ。
だが、そんな私は誰かに優しく受け止められる。
「も、申し訳け、ありません」
慌てて足に力を入れて体勢を整えると、支えてくれたと方に頭を下げた。
「今日は熱いから仕方ないことだが、十分に気を付けるように」
「は、はい」
強い口調で私を叱咤する声。
体力のない私なんかが迷惑をかけた結果、その男性を怒らせてしまったようだ。
そう思った私は恐る恐る顔を上げ、思わず悲鳴をあげそうになる。
軍服を着た男性がこちらを睨んでいた。
こちらを睨み殺すような冷たいその視線に思わず体が硬直する。
だが、目の前の男は何も言わずにスッと顔を背け家の外へ出てしまった。
「お客様、だったのかしら?」
恐怖の対象が目に前から去り、ホッと息を吐き出す私。
すぐにガヤガヤと騒がしくなり屋敷の方を窺うと、今日の相談相手である男達が廊下を歩いている光景が見えた。
その中の1人の男性と目が合った。
「ん?この娘は?」
その中の1人が私を見て声をかけてくる。
内心しまったと後悔する。
みずほらしい格好をした私はなるべくお客様には姿を見せぬよう言われていたが、今さっきのこともあり逃げるタイミングを無くしてしまっていた。
「使用人の1人ですよ。こんなところでみっともない奴だ。早くその姿を汚らしい隠せ!馬鹿者が!」
私は父のその言葉に何も思う事は無かった。
母が亡くなってからはこんな言葉、すでに何百回と言われている。
「いや待て。良く見れば良い見目をしている。少し草臥れているが中々良さそうにも見える」
最初に声をかけて来た男性がそう言ってこちらを見て口元を緩めていた。
「では……おい!湯汲の用意をしろ!この女を酒井様に相応しいよう磨き上げるのだ!」
「し、失礼いたします!」
私は父のその言葉を遮るようにして頭を下げ裏口へと逃げ込んだ。
背後からは戻って来いと大声で叫ぶ父の声が聞こえたが、私は振り向くこともせず与えられていた部屋へと戻ってきた。
薄暗い小さな部屋のベッドに顔をうずめ泣いた。
あまり洗濯をしていない布団から香るカビ臭い匂いに、なおも悲しくなり声をあげ泣いた。
数日後、珍しく仕事を免除された私は、念入りに体を洗えと普段は使用を許されていない浴場へと連れられた。
そこで使用人の1人に念入りに体を洗われながら、母の事を思い出していた。
まだ幸せだったあの頃。
母と夕食後にこの浴場で寛ぎ、そして母に抱かれ眠る。幸せだった日々はもう戻っては来ないのだ……。
体を洗われた後、久しぶりの暖かい湯に入る。今までの思い出が甦り、またも涙が溢れてしまう。
「何泣いてんの?気持ち悪っ!」
私に付き添っていた使用人の1人、香取という年上の女性がそう言って私の顔を覗き込む。
悔しさに顔を歪ませるも、私は湯を両手で抄い涙を洗い流した。
浴室を出ると、私が脱いだ草臥れた仕事着は無くなっていた。
代わりに少しだけ上等な着物が置いてある。
「自分で着られるでしょ?」
香取にそう言われ、揺れ動く感情を消し去りそれを身に纏う。
髪を結われ、着飾った私はあの部屋に連れられる。
先読みの時だけ使うあの部屋だ。
母ですらその儀式の際にしか出入りしない、母が生きている間は婿養子の父ですら一度も入ったことの無かったあの部屋だ。
父の隣にはあの酒井と呼ばれた男性も同席していた。
「ほお。やはり思った通りだ。とても可愛らしくなったじゃないか!」
「酒井様のお眼鏡に叶ったようで、この女も幸せでしょう。そうだろナオ」
そう言って父は私を睨む。
ナオというのは今の私の偽名だ。
本当は早苗と言うのだが、今は妹がそう名乗っている。
「それにしても、先代の巫女様に似ておられる」
「そ、それはまあ、遠縁にあたる者ではありますが、顔だけは美奈子に似ておりますな」
そう聞いた酒井は、唇を舐め笑みを浮かべている。
「それはそれは……、そそるものがありますな。で、良いのですね?」
「ええ。酒井様とはこれからも、ということで」
言葉の意味は理解できた。だが、なぜ私が?という思いから、私は何を言われているのか理解することを拒んでいた。
「では、行くとしよう」
そう言って腰を上げた酒井がゆっくりとこちらに近づいてくる。
「こちらでございます」
使用人の1人が扉を開け誘導するように手を翳していた。
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