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第十九話

 本格的な春の息吹が満ち溢れていた港街プエルト・エスぺランサには、四月下旬ともなれば陽光は一層その輝きを増し、凍てついていた大地は柔らかな土の匂いを放ち、街路の雪は完全に姿を消した。

 小川のせせらぎは明るい音を立てて流れ、その水面には空の青が映り込んでいる。

 色とりどりの花々が庭園を飾り始め、その甘い香りが風に乗って街中に広がる。

 長く冬に閉じ込められていた人々は、ようやく解放されたかのように街へと繰り出し、市場は活気に満ち溢れ、子供たちの歓声がそこかしこで響き渡っていた。


 しかしその穏やかな春の到来とは裏腹に、港街には新たなそして冷たい緊張感が漂い始めていた。

 ラモン侯爵が突如発表した「港街大規模改修計画」。

 それは、街の未来を謳う華やかな言葉の裏に市民からさらなる富を搾取しようとする侯爵の冷酷な思惑が隠された、新たな圧政の幕開けだった。


 侯爵邸の広間には、港街の有力者や商人たちが招集されていた。

 中央に立つ侯爵は、いつになく高揚した表情で手に持った羊皮紙を広げた。

 その声は広間に響き渡る。


「諸君、この港街プエルト・エスぺランサの輝かしい未来のために、私は一大計画を発表する。名付けて、『港街大規模改修計画』である」


 侯爵は、熱弁をふるった。

 新たな港湾施設の建設、漁業の利便性を高めるための漁港の拡張、商人の荷物の搬入出を改善するための埠頭の改修、そして歴史的建造物の修復と観光資源化。

 侯爵は、この計画が街の経済を活性化させ住民の生活を豊かにすると力説した。

 彼の言葉は、王国からの多額の「都市活性化政策給付金」を、この計画の隠れた利益に充てるための巧妙な布石だった。

 そして彼は、この計画を王国の監査官や他領の貴族に「街の発展のため」とアピールし自身の名声を高めようと企んでいた。


「この計画は、王国からの多大な支援を受け、港街をかつてない繁栄へと導くであろう。諸君も、この壮大な事業に協力し、共に街の未来を築き上げてほしい」


 侯爵の言葉に、集まった者たちは表面上では賛同の意を示したが、その顔には漠然とした不安と疑念が浮かんでいた。

 彼らは知っていたいるのだ。

 侯爵の口から語られる「街の発展」が常に市民の犠牲の上に成り立ってきたことを。


 侯爵の「港街大規模改修計画」は発表から間もなくその本性を現した。

 計画に必要な資金を賄うための「特別税」が市民に課せられ、特に貧しい人々にとって耐え難い重荷となった。

 この税は小さな商店や工房の経営を圧迫し、多くの者が廃業に追い込まれている。

 税の支払いに窮した市民は住居や店舗を維持できなくなり、結果的に手放さざるを得ない状況に追い込まれていった。

 度重なる重税で借金が増え、心無い貴族や金貸しに大事な家財や土地を担保に取られる人々も続出した。


 港街の貧しい地区では、かつては賑やかだった食卓から肉や魚が消え、わずかな黒パンと薄いスープを家族で分け合う日々が始まった。

 子供たちは、かつてのように路上で無邪気に駆け回ることもなくなり、親の心配を察してか口数が減っていった。

 幼いながらも両親の苦労を間近で見て、「僕も働きたい」と訴える子供たちの姿が街のあちこちで見られるようになった。

 彼らの痩せ細った腕や、虚ろな瞳は、侯爵の圧政がもたらす悲劇を雄弁に物語っていた。


 かつて活気に満ちていた通りには、閉鎖された商店や工房が目立つようになり、埃を被ったシャッターがまるで街の死を告げるかのように並んでいた。

 競売の告知が貼り出された家々の前には警邏隊が立ち、住人がわずかな家財を運び出すのを冷たい目で見守る光景が日常と化した。

 運び出されるのは、使い古された家具や、家族の思い出が詰まった品々。

 それらは、彼らの生活が根底から崩れ去っていく現実を物語っていた。

 街のいたるところで、住み慣れた家を追われた人々がわずかな荷物を抱え、途方に暮れる姿が見られた。

 生活が立ち行かなくなった人々はわずかな金で家財を売り払い、住む場所を失い、より安い住まいを求めて旧市街へと流れ込んだ。

 長年住み慣れた家を追われ、路頭に迷う者が多く、彼らの多くは新たな住居を見つけることもできずにスラム街へと押し込められていった。

 

 しかし、そうして放棄された住居や店舗は空き家となることはなかった。

 侯爵の息のかかった者たちや、その政策に便乗する悪徳な貴族や商人が、税の滞納を名目にそれらの権利を巧妙に奪い取ったのだ。

 彼らはわずかな修繕を施すだけで、それらを新たな借家や貸し店舗として高額な賃料で貸し出し、定期的な収入源とした。

 これにより、街の表面的な空き家は減り、王都からの視察があったとしても「活気を取り戻しつつある」かのように偽装された。

 だがその裏では市民の権利が奪われ、新たな形の搾取が横行していた。

 旧市街はかつて人の通りもまばらで、管理されない建物が多い寂れた場所だった。

 貧困層やスラムの人々が一時的に身を寄せる程度のゴーストタウンだったが、今や生活苦から住まいを失った人々が押し寄せ、ボロボロの廃墟にも人影が見え始めた。

 中には、どこからともなく現れた者たちによって「救済の館」へと連れて行かれる者もいた。

 これほどの経済的困窮と住居の放棄が続けば、たとえ空き家が減ったとしても、スラムが溢れかえり、人々の疲弊した姿が露見するだろう。

 それは侯爵にとって、自身の評判を大きく損なう事態となるはずだった。


 《陽だまり亭》の周辺も、例外ではなかった。

 侯爵の計画区域に隣接しているため特別税の徴収は厳しく、隣人も経済的に追い詰められる者が多かった。

 店主であるゼックは、日々の業務の合間に困窮する隣人たちの相談に乗ることが増えていた。

 彼もまた、わずかながら食料や温かい飲み物を提供したが、この巨大な圧政に抗う術はなかった。


「ゼックさん、このままじゃ、店を畳むしかないかもしれない」


 隣のパン屋のマークが、疲弊しきった顔でゼックに訴えた。

 その声には長年の苦労が滲み、諦めが色濃く表れていた。

 彼の店は、特別税の負担と客足の減少ですでに経営が立ち行かなくなっていた。


「そんな」


 ゼックは言葉を失った。マークの窮状は彼の想像をはるかに超えていた。この街の温かい繋がりが、侯爵の計画によって一つ、また一つと壊されていくのを見るのは、彼にとって耐え難い苦痛だった。

 その時、厨房からその会話を聞いていた料理人のハンスが、額の汗を拭いながら顔を覗かせた。

 マークの窮状は彼も知っていた。


「ゼックさん、マークさん。もしよろしければ、うちの店で彼のパンを扱ってみてはどうでしょう。うちのパンとは違う風味で、お客様にも喜んでもらえるでしょうし、何より、マークさんも助かるならそれに越したことはありません」


 ハンスは、マークの窮状を案じる気持ちからゼックに提案した。

 彼の言葉に、ゼックは驚きに目を見開いた。


「ハンス、お前、本気で言ってるのか」


 ゼックは、信頼する料理人からの予想外の提案に戸惑いを隠せない様子だった。

 しかし、ハンスの真剣な眼差しを見てその意図を理解した。

 陽だまり亭の家族同然であるハンスが言うなら、間違いはないだろう。


「そうか。ハンスがそう言うなら、俺も異存はない。マークさん、これで少しは持ち直せるか。」

 ゼックはマークに向き直り、その顔にわずかな希望を浮かべた。

「この陽だまり亭にパンを下ろしてもらうことで、少しでも助けになれば幸いだ。早速、必要なパンの数と契約書を用意しよう。つきましては、当面の仕入れ金として、いくらか前払いさせてほしい。これで、特別税の支払いも、少しは楽になるだろう」


「ああ、ゼックさん、本当に助かる。これで、なんとか店を続けられるかもしれない」


 マークは、ハンスとゼックの会話に一筋の光を見出し、目に涙を浮かべながら深々と頭を下げた。

 その声は安堵と感謝に震えていた。


「ゼックさん、ハンスさん、本当に、本当にありがとう。このご恩は、一生忘れません」


 マークは深々と頭を下げ、心からの感謝を述べた。

 ゼックはぶっきらぼうに頷いた。

 この街の温かい繋がりが、侯爵の計画によって壊されていくのを見るのは耐え難い苦痛だったが、こうして助け合える仲間がいることに、彼はわずかな希望を感じていた。


 マークが帰って行った後、一部始終を見ていたアルトが不安そうにゼックの服の裾をそっと引っ張った。


「ねぇ、ゼック兄ちゃん……これで、いいの。うちも、大変なんじゃないの」


 アルトは言葉少なく、しかしその小さな瞳は心配そうにゼックを見上げていた。

 ゼックはアルトの頭を優しく撫で、無理に笑みを作った。


「彼もこれで少しは助かるだろう。それに陽だまり亭のパンの種類が増えれば、お客さんも喜んでくれるさ。困ったときに助けてって言える勇気と助けてくれる誰かがいることって凄いことだと思うんだ……アルトも知ってるだろう。困ったときは助け合いだ」


 ゼックはそう優しく言ってアルトの頭を撫でた。

それでも心の中にはこの先の見えない不安が重くのしかかっていたが、アルトの純粋な問いかけに、彼は強くあろうと努めた。


 侯爵の圧政の尖兵である警邏隊は、容赦なく市民を追い詰めた。

 彼らの冷徹な取り立ては、多くの家を空き家とし、人々を路頭に迷わせた。

 しかし、その中には良心の呵責に苦しむ者もいた。

 彼らは、自分たちの行いが市民の生活を破壊していることを理解していた。


 ある日、ゼックは亡き妻の実家にかかる特別税の徴収に訪れた警邏隊員と向き合っていた。

 妻の両親がプエルト・エスぺランサを出て行って以来、アリアがその家を当時と変わらぬよう手入れし、ゼックが税金を納め続けていたのだ。

 

 「ゼック殿、ご苦労なことだ。亡き奥方のご実家まで面倒を見るとは。だが、もし身軽になれば、その分、支払いは楽になるぞ」

 

 警邏隊員は書類を片手に嫌味な笑みを浮かべて言った。

 その言葉には、ゼックの個人的な負担を嘲笑うかのような響きがあった。

 ゼックの頭にカッと血が上った。

 怒りに手が震えるのを感じたが、彼はぐっと奥歯を噛み締め表面上は冷静を保とうと努めた。

 この場で騒ぎを起こせば、陽だまり亭にまで累が及ぶ。

 彼は口を開き警邏隊員を帰そうとしたが、その時隣からアリアの声が響いた。

 

 「警邏隊員殿、そのような物言いはご遠慮願えませんか。亡き義姉の実家は、兄にとってそして私たちにとっても大切な場所です。それを軽んじるような言葉は決して聞き流せません。兄はこの店と守るべきもののために、身を粉にして働いているのですから」

 

 アリアは、警邏隊員の無礼な言葉に怒りを露わにした。

 彼女の瞳には、兄を守ろうとする強い意志が宿っていた。

 そして、店の奥から大柄なドラグがゆっくりと歩み寄ってきた。

 彼の大きな体は無言の圧力を警邏隊員に与える。

 

 「用が済んだなら、さっさと帰れ」

 

 ドラグの低い声が、静かな店内に響き渡った。

 

 その声には一切の感情が込められていないが、その威圧感は警邏隊員を怯ませるには十分だった。

 警邏隊員は、アリアとドラグの毅然とした態度にたじろぎ顔を歪ませた。

 彼はそれ以上何も言わず、慌てて書類をまとめると足早に店を後にした。

 ゼックは妹とドラグの行動に、感謝と安堵の息を漏らした。


 ある日、税の取り立ての現場で一人の警邏隊員が幼い子供を抱きかかえた母親から最後の金貨を奪い取ろうとしていた。

 母親は涙を流し、子供は警邏隊員の制服にしがみついていた。

 その光景を見た警邏隊員は、一瞬、手が止まった。

 彼の脳裏には、自身の家族の顔がよぎった。

 彼は、苦悩の表情を浮かべながら同僚に促されるまま、母親から金貨を奪い取った。

 しかしその手は微かに震え、その後の彼の動きは精彩を欠いた。

 彼らは侯爵の命令と己の良心の狭間で深く苦悩していた。


 街には、不満と不安が渦巻いていた。

 人々は、侯爵の計画を「新たな搾取」と呼び、ひそかに怒りの声を上げた。

 しかし侯爵の監視の目は厳しく、公に反抗する者はほとんどいなかった。

 密告の奨励により、隣人への不信感が蔓延し、人々は互いの顔色を窺いながら沈黙の中に閉じこもっていった。

 酒場や市場の片隅では、小声で侯爵への不満が囁かれた。

 「あの税金じゃ、とてもじゃないが暮らしていけねぇ」「いつまでこんな暮らしが続くんだ」しかしその声はすぐに「どうせ変わらないさ」「諦めるしかない」といった諦めの言葉に変わっていった。

 人々の瞳からはかつての活気が失われ、深い疲弊の色が滲んでいた。

 彼らの顔は、まるで長い冬の寒さに凍りついたかのように表情を失っていた。


 その頃、ヴェールとして夜の闇を駆けるカイエンは、侯爵の「大規模改修計画」に便乗して横行する港街の新たな不正の根源を暴くため、調査を開始していた。

 彼は、侯爵が王国から受け取った「都市活性化政策給付金」の使途に疑念を抱くと同時に、それを隠れ蓑にして市民から不当に金品を巻き上げ、不正な契約を結ばせている他の貴族や商人たちの存在に目を光らせていた。

 彼らの悪行を白日の下に晒し不正に苦しむ人々を直接救うことが、市民を救うための決定的な一歩となる。

 侯爵邸に戻る頻度を増やしていたカイエンは、邸に出入りする貴族や商人たちの様子を注意深く観察し、彼らの会話や振る舞いから情報を集めていた。

 また、日中は「うつけ者」の仮面を被りつつ港街や貴族街をぶらつき、人々の噂話や密談に耳を傾け、不正の糸口を探っていた。


 一方、レオンハルトもまた彼の情報網を駆使し、港街で横行する不当な搾取の構造を探っていた。

 彼は、侯爵の計画に便乗し市民から不当な増税や金品の巻き上げ、悪意ある不正な契約による借金の摂取を行う他の貴族や商人たちの存在を突き止めていた。

 特に、困窮した市民の家財や土地を不当に安く買い叩き高額な賃料で貸し付けるといった、新たな搾取の仕組みに目を光らせていた。


 レオンハルトは、これらの悪徳貴族や商人たちの不正な契約書や金品の巻き上げを示す帳簿の写しを手に入れるため、日中は港街の様々な場所に出向き、古くからこの街に根を張るギルドの長老たちや、顔の広い商人たちと交流を深めていた。

 彼は、港の喧騒に紛れ込み、陽だまり亭以外の酒場の片隅で杯を傾けるふりをしては酔客たちの噂話に静かに耳を傾けた。

 時には商人たちの商談にさりげなく加わり、『最近は物資の流通が滞りがちで困る、何かご存じで』と巧みに水を向け、侯爵の政策がもたらす実態を探った。

 また、市場では顔なじみの八百屋の店主と世間話をしながら、最近の物価の変動や、特定の品目の不自然な高騰について情報を引き出した。

 ギルドの長老たちとの会合では、彼らの長年の経験から得られた貴族たちの過去の不正に関する断片的な情報を丁寧に拾い集めた。

 時には彼がプエルト・エスぺランサに来て築き上げた情報網を通じて、闇の情報屋と接触し、高値で断片的な情報も買い集めることもあった。

 彼の狙いは、彼らの悪行の「弱点」を見つけ出すこと。

 つまり、法的な矛盾点や、不正の証拠となる具体的な数字を掴むことだった。

 彼は、この新たな情報である悪徳貴族や商人の不正な取引に関する詳細な記録を、これまでの調査で得た他の手がかりと組み合わせることで、彼らを追い詰めることができると確信していた。


 港街の春は、新たな嵐の予感を孕んでいた。

読んで頂いて有難う御座います。


更新が遅いこともありますが、

必ず完結させますのでよろしくお願いいたします。

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