第六十一話 異文化理解
寮に戻り、自分の部屋に買ってきたものを運び込む。エコバッグから商品を取り出しながら、例のサンドイッチの残骸をどうしたものか一瞬迷ったが、とりあえず冷蔵庫の隅にでも入れておくか、と共有キッチンへ向かった。
キッチンのドアを開けると、先客が一人いた。黒い巻き毛で、少し彫りの深い顔立ちの男が、コンロで何かを調理しながら陽気にイタリア語の歌を口ずさんでいる。俺の気配に気づくと、火を少し弱めて振り返り、人懐っこい笑顔を向けた。
「Ciao! 君は……新しいフラットメイトかな? 俺はルカ。イタリアから来たんだ。よろしく!」
抑揚のある、それでいて聞き取りやすい英語で、彼はオリーブオイルの香りがする手を差し出してきた。
「あ、はじめまして! シュンです。日本から来ました。よろしく、ルカ」
俺も慌てて握手を交わす。なんだか太陽みたいに明るくて、話しやすそうな奴だ。手に微かにニンニクとハーブの匂いがする。
「シュンか、良い名前だね! どう、ロンドンは? 初めて?」
「うん、昨日着いたばかりで。さっき初めて買い物に行ってきたんだけど……」
俺は少し顔をしかめながら、例のサンドイッチのパッケージを冷蔵庫に入れようとすると、ルカが目ざとくそれを見つけ、すぐに「ああ……」という同情的な顔で指をさした。
「シュン、そのスーパーのサンドイッチ……」
その言い方からして、どうやら「お察しします」というニュアンスがプンプン伝わってくる。
「うん……これ、信じられないくらい不味かったんだけど! っていうか、味がしなかった! ルカもやっぱりそう思う?」
俺が正直に感想をぶちまけると、ルカは「マンマミーア!」とでも言いたげに大げさに両手を顔の前で振り、それから内緒話でもするように声を潜めた。
「シーッ、大きな声じゃ言えないけどね、正直言ってイギリス人の味覚は本当にミステリアスなんだよ! 特にこういう既製品のサンドイッチのセンスは……アモーレ・ミオ、我がイタリアでは、あんなパンと具の残念なマリアージュは犯罪レベルさ!」
ルカは芝居がかった仕草で首を横に振り、片目を閉じてウィンクして見せる。その言い方がなんだかコミカルで、俺もつられて笑ってしまった。最悪のサンドイッチが、まさか初対面のフラットメイトとの最初のまともな会話のきっかけになるとは。
「やっぱりイタリアの料理はなんでも美味しいもんな。パスタとかピザとか、日本でもみんな大好きだよ。本場の味は格別なんだろうなあ」
俺がしみじみと言うと、ルカは「グラッツェ、グラッツェ!」と嬉しそうに胸を軽く叩いた。
「当然さ! よし、シュン、いいこと思いついた。今度の日曜日にでも、俺がスペシャルなカルボナーラを作ってあげるよ。使うのはグアンチャーレとペコリーノ・ロマーノだけ。本物のイタリアの味を教えてやる!」
「え、本当に!? やったー! めちゃくちゃ嬉しい! 生クリームとか使わないやつだろ?」
思わぬ申し出に、俺は素直に大喜びした。ロンドンで本場のイタリア家庭料理が食べられるなんて、最高じゃないか。あのサンドイッチの悲劇が、一気に帳消しになりそうだ。
「ありがとう、ルカ! じゃあ、俺も何か日本料理作るよ。得意なのは……親子丼とか、肉じゃがか、な? こっちで材料ちゃんと手に入るかなあ」
「おお、いいね! オヤコドン? 名前は聞いたことあるよ! ジャパニーズフード、すごく興味ある! それは楽しみだなぁ!」
ルカも目を輝かせて、本当に嬉しそうだ。
こうして、俺のロンドンでの最初の「食」に関する国際交流は、衝撃的に不味いサンドイッチから始まり、本場イタリアのカルボナーラと日本の家庭料理の交換会への期待で終わるという、なんともドラマチックな(?)展開になったのだった。
異文化理解は、まず胃袋から、なのかもしれない。




