第五十三話 高い壁
四月下旬。
大学のキャンパスはすっかり春の装いで、新緑が目に眩しい。二年生に進級して、新しい専門科目の講義にも少しずつ慣れてきた頃だ。
卒業後の目標であるイギリスの大学院進学のためには、まず目の前の学業で高いGPAを維持することが不可欠。気を引き締めて日々の課題や予習復習に取り組んでいる。
そして今日、俺は少しばかりの緊張と大きな決意を胸に、ある場所へ向かっていた。
人生で二度目となるIELTSの試験会場だ。
前回、初めて受けた時の結果は、オーバーオールで6.5。リスニングが6.0、リーディングが7.0、ライティングが6.5、そしてスピーキングが6.0だった。決して悪い結果じゃなかったけど、イギリスの大学院進学に必要なスコアはオーバーオール7.0。
前回の反省を踏まえ、この数ヶ月は特にリスニングとスピーキングの強化に力を入れてきた。毎日の通学時間にはBBCニュースのポッドキャストを聞き込み、シャドーイングで発音やイントネーションを矯正し、少しでもネイティブの話し方に近づけるよう努力を重ねた。
リーディングとライティングは前回まずまずのスコアだったので、正直なところ、少し対策の比重は軽くなってたかもしれない。それでも、「今回こそ、絶対に7.0を取るんだ」という強い気持ちで、参考書や過去問にも繰り返し取り組んできた。
試験会場の独特の緊張感の中、リスニング、リーディング、ライティング、そしてスピーキングと、試験は進んでいった。
前回よりは落ち着いて臨めた気がする。
ただ、今できる限りの力は出し切った。そう信じて、重い足取りで会場を後にした。
結果がオンラインで発表されるのは、二週間後。その間、普段通りの大学生活を送りながらも、心のどこかではずっとIELTSのことが引っかかっていた。期待と不安が入り混じる、落ち着かない日々だった。
◇◇◇
ついに結果発表の日がやってきた。
深呼吸を一つして、パソコンの前に座る。震える指でIELTSのマイページにログインし、スコアレポートへのリンクをクリックした。画面に表示される数字を、固唾を飲んで見つめる。
そこに表示されていたのは——
— リスニング: 7.0
— リーディング: 7.0
— ライティング: 6.5
— スピーキング: 6.5
— オーバーオール: 7.0
「……やった!!!」
思わず椅子から立ち上がり、小さくガッツポーズをしてた。オーバーオール7.0。ついに、多くのイギリス大学院が最低ラインとして要求するスコアに到達したんだ。
全身から力が抜けるような安堵感と、じわじわと込み上げてくる達成感で胸がいっぱいになった。これで、ひとまずいくつかの大学院への挑戦権は得られたはずだ。
少し落ち着いて、改めて各セクションのスコアを確認する。リスニングは狙い通り、前回の6.0から1.0ポイントアップの7.0。重点的に対策したスピーキングも、6.0から6.5へと確実に伸びている。努力が実を結んだ証だ。
しかし、その安堵も束の間、俺は画面に表示された他の数字を見て、ハッと息を飲んだ。
リーディング: 7.0
ライティング: 6.5
前回と、全く同じスコアだ。ピクリとも動いていない。重点的に対策したリスニングとスピーキングが伸びたおかげでオーバーオール7.0は達成できたものの、この二つのセクションは全く進歩してなかったんだ。
「なんで……? リーディングもライティングも、別にサボってたわけじゃないのに……」
それだけじゃない。オーバーオール7.0は取れた。これは大きな一歩だ。でも、俺が本当に行きたいのはオックスフォード大学院だ。あそこが出願者に求めるスコアは、最低でもオーバーオール7.5。今のスコアじゃ、まだ0.5も足りない。
さっきまでの純粋な達成感が、少し複雑な色合いを帯びてくるのを感じた。最低ラインはクリアできた。これでオックスフォード以外の、いくつかのイギリスの大学院には出願できるだろう。それは大きな進歩だし、正直ホッとしている部分もある。
選択肢ができただけでも、前回の結果を考えれば雲泥の差だ。このスコアがあることで、精神的な余裕も少しは生まれる。
でも、一番の目標であるオックスフォードには、まだ手が届かない。
しかも、リーディングとライティングのスコアが停滞しているという事実は、7.5への壁が思った以上に高く、そして、今の俺の英語力には偏りがあることを示唆しているようだった。
どうすれば、この二つのスキルを伸ばし、さらに0.5ポイント上乗せできるんだろう……。
まずは7.0達成という安堵感を噛みしめつつも、より高く、険しい次の目標に対する重圧と、克服すべき課題がはっきりと見えてきて、俺は再び気を引き締めなければ、と静かに決意していた。




