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第一章 転校生と感染源2

 職員室を出て、担任の先生と一緒に教室に入る。


「初めまして、真名月(まなつき)リツといいます。千葉県の流山市というところから転校してきました。よろしくお願いします」


 朝一番のショートホームルームの壇上で、できるだけはっきりした声でそう言って、教室のみんなにぺこりと頭を下げる。

 1- Eのクラスの人たちは、笑顔と歓声で私を迎え入れてくれた。

 こういう場面への対応は得意だった。最初に一度だけ、その場限りの愛想のよさを振りまくことは、小さいころから自然とできた。

 それを継続するのに、失敗するだけで。だから友達はなかなかできない。


 世の中は、親友とか、恋人とか、特別な関係を他人と築ける人でいっぱいだ。私にもいつか、特別に大切だと思える人ができるのだろうか。大切だと、思ってもらえる日がくるだろうか。

 そんな余計なことを考えていても、四十人ほどのクラスメイトを前にして、私の顔に貼りついた笑顔は揺らぎもしない。

 

 先生が、私の席を指し示してくれた。

 お礼を言って、そちらへ向かう。そう見られないだけで緊張はしているので、転ばないようにゆっくりと。

 そこで初めて気がついた。私の右隣の席に座っているのは、あの、ぎざぎざの髪の女子――鈍村さんだった。教室内なのに、手袋もマフラーもまだ着けている。


 さっき、職員室で、校門の騒動と鈍村さんのことを先生に訊いた。先生は、

「ああ、いろいろ噂がある子なのよね。同じクラスだから、すぐにまた会うと思うよ」

 とだけ言っていたけれど、隣の席だとは思わなかった。


 ショートホームルームは、その後いくつか二学期の連絡事項が先生からみんなに説明されて、休み時間になった。

 私の周りには何人かのクラスメイトが集まってきて、あれこれと質問会が始まる。


「雪月さんて背高いよね、何センチあるの?」

「百六十、……今いくつだったかな。そんなに大きくないと思うけど、もうこれ以上大きくならなくていいんだ」


「ねえねえ、流山ってなにがあんの?」

「なにが、……えーと、神社とか、臼屋っていう和菓子屋さんとか、ビオトープとか」


 そう私が答えると、みんなが笑った。


「なにそれ、細かっ。もっとほかにいろいろあるでしょ?」

「うーん、うちの近くはそんな感じだよ。あとは、隣に柏市があるよ」


「いや、それは隣じゃん。もうー」

「あ、そうか。あはは……」


 調子を合わせて笑いながら横を見ると、鈍村さんの姿がなかった。

 トイレにでも行ったのかなと思っていると、私の視線を見て、女子の一人――星野さんといった――が言ってきた。


「隣の子、鈍村さんていうんだけど、気になる?」

「あ、うん。朝、なにか騒ぎがあったみたいだから」


 すると、クラスメイトたちはそれぞれに、大小のため息をついた。

 星野さんが続ける。


「休み時間になると、鈍村さんはたいていどっか行っちゃうんだ。あの子に人が触ると、ちょっと問題が起きるから」

「問題?」


 そういえば今朝も、人に触るなとかなんとか。


「そ。別にあの子がなにかするわけじゃないんだけど、もうほぼ百パーセントそう(・・)なるから、学校中の全員が鈍村さん避けてるんだ」

「そうなるって、なにが……」


 それはね、と星野さんが言いかけた時、一人の男子が肘で星野さんを軽くつついた。

 星野さんが息をのむ。いつの間にか、鈍村さんが自分の席のところに戻ってきて、椅子を引いていた。

 星野さんが慌てて彼女に向き直る。


「あ、鈍村さん。ごめん、あたし、雪月さんに鈍村さんのこと」

「別に謝らなくていい。ちゃんと私のこと教えてあげろよ。本当のことだし、知らないと危ないだろ」


 鈍村さんは男子のような口調の低い声で、星野さんと目も合わせずにそう言う。

 星野さんは、言いづらそうにしながら、また私に向き直って、小声で告げてきた。


「鈍村さんに触れた人は、死にたくなるんだって。ただふさぎ込むとかって意味じゃなくて、自殺がしたくなるの。今のところまだ死んだ人はいないけど、全員手首を切るんだって」


 自殺……手首を切る……?

 理解できないでいる私に、別の男子が近づき、彼も小声で言う。鈍村さんには丸聞こえだろうに。


「雪月さんが朝見た騒動もそれなんだよ。うっかり鈍村に触った子がいたらしくて。校内では知らないやつはほぼいないからみんな気をつけてるんだけど、どうも用事があって慌ててて、早歩きしてたら腕がぶつかったみたいなんだよな。まあ、見た目ほど深い傷じゃなかったらしくて、手当てが済んだら持ち直したらしいけど」


 ほかの生徒たちも、当たり前のようにうんうんとうなずいている。

 私はいまだに、情報を整理しきれていなかった。

 鈍村さんに、触ると自殺をする? 手首を切って?


「そんなの、どう考えたって、迷信……」


 いじめ。迫害。疎外。そんな言葉が、頭の中でぐるぐる回る中。

 私の言葉をさえぎって否定してきたのは当の鈍村さんだった。


「迷信じゃない。本当だから気をつけてくれ。私に触ると――個人差はあるが、早ければその場で、遅くともその日の夜には、必ず手首を切る。それをしのげば、何日かすれば自然と自殺念慮は収まっていくが、初日の衝動が一番激しい。直に触るのが一番強烈に伝染(・・)するから、私としても素肌を出さないようそれなりに配慮はしてるけどな」


 鈍村さんはそう言って、手袋をした手で長い袖とマフラーを指さした。


 星野さんが、耳打ちに近いくらいの小さな声で言ってくる。


「服越しなら多少はましみたい。でも触らないように、くれぐれも用心してね」


「そうだ」と、今度は鈍村さんが口を開く。「私のこの左手首には、傷がいくつもある。切りたくてたまらなくなって、どれも自分で切った。私に触った人には、その衝動が伝染して、死にたがらせる(・・・・・・・)。なにかしらの感染症にかかった人がいたら、うつらないようにお互いに距離をとるだろう? それと同じようにして欲しい、というだけだ」


 きょろきょろと周りを見回した。

 誰も、彼女たちの言葉を否定しない。さも当然のことを言っているだけだ、というふうにたたずんでいる。

 本当なんだ。少なくとも、このクラスの人たちは、今の話を信じてる。鈍村さん本人さえ。


「だったら、そんな危なっかしいやつ、学校にこなければいいと思うだろ?」とさっきの男子が私に言った。

「え、いや、そんなことは」


「でもさ、学校としては、『なんでだかよく分からないけど、あなたに触ると人がリスカしちゃうので、来ないでください』ってわけにもいかないんだよ。雪月さんが朝のあれを直接見てなくて、話だけ聞いたらどう? 信じる? そういうわけで、鈍村さんやおれたち、生徒たちの自助努力で、この学校では平穏な学生生活が送られてるわけ。少なくとも、表向きはね」


 確かに、体育の授業でペアを組んで運動する時みたいに特殊な場合を除けば、高校生活で人に触れる機会ってあまりないのかもしれない。

 でも、それにしても。


「……先生たちは、それでみんな納得してるの? つまり、担任だけじゃなくて、教頭先生とか校長先生も? この高校の人が、みんな?」


 私の質問に答えてくれたの星野さんだった。


「全然納得してない先生もいたよ。物理の先生で、そんなことあるわけがない、おれが鈍村に触って、リスカなんてしないって証明してやるって言って。よせばいいのに、鈍村さんの手を握ったのね」


 なんだか、別の問題になりそうだけど、今はそんなことは置いておく。


「それで……?」

「学校にいる間は平気そうだったけど、自分の家の駐車場に着いた時、カバンに入れてたハサミで左手首をざっくり。今朝の子と同じで、けがはしたけどあんまり深くなくて。ハサミだからさ。ちょっと経ったらよくなったけどね」


 あったなあ、とほかの生徒たちがうなずく。

 そして、星野さんが、なにかの意を決したように続けた。


「ねえ、雪月さんってさ、左手首にリストバンドしてるよね。もしかしてなんだけど、その下、……傷があったりする?」


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