人生の終焉5
見合わせたまま、三人の時間が静かに流れる。その空気に耐えかねたらしい藤が、まず初めに口を開いた。
「流石にそれはないよねー」
そう言って笑う。しかし
「でもたぶん、原因これだよねー…」
すぐに頭を抱えた。
「ねえ、嘘でしょ!なんでそんな雑な感じにしたの!!」
その小さくなった肩をリオが勢いよく揺らす。数刻前まで藤を覆っていた不思議な雰囲気が消えていて、「なんでぇ…」と頭を抱えたままリオにぐらぐらと揺らされる姿には幼さすら感じた。
「…でも、今のところ考えられる原因はこれしか思いつかないよ。再発防止用にコンビニから防犯カメラの映像を貰って解析する…」
それから眉が八の字に下がった疲れ顔で「なんで自分で仕事増やしてんだろ…」と悲しそうに呟いた。しかしすぐに表情を引き締めるとリオに向き直って言う。
「でもリオ、これから朝礼の話はちゃんと聴いて、メールも確認して」
「ああもう!それはアタシが悪いんだけどさあ!」
リオはまだ落ち着かないらしく、声を荒げた。そんな二人の間で、湊は口を挟む隙を窺っていた。
「あのー…僕まだ、全然状況が飲み込めないないんですけど…」
そうして見つけた一瞬の隙間で、おずおずと声を上げる。二人の視線がまた、湊の元に戻ってきた。
「そもそも二人って何者?」
その視線にごくりと唾を飲み込んでから、湊は言葉を口にする。未だに分からないことだらけで何から問うべきかすらも分からない。そうして悩み、問いかけた言葉に、藤は「ああ、そうだ。それをまだ伝えて無かったね」と居住まいを正した。
「さっき、この世界には君が知らないだけで妖や鬼が存在するって言ったよね。そして、昨日の見たアレが妖だと」
そう言葉を続けながら、藤はパチンと指を鳴らした。その瞬間、湊は息を呑む。
「アレが妖で、俺たちが、鬼だ」
藤には二本の、リオには左に一本の、見慣れない角を額に生やしていた。その姿に湊は目を見開く。
「人の世が乱れれば妖の世も乱れ、妖の世が荒れれば人の世も荒れる。だから俺たち鬼の一部は、人間の一部と繋がって双方のバランスを保ってきた。幕府の政にも政府の政治にも、その裏には俺たち鬼の存在があるんだよ」
「まあ簡単に言えば、政府公認の環境保全チームだね。人が人の世を整え、鬼が妖や鬼の世を整える。二つの世が深く関わることないけれど、それらは離れることなく存在してるから、互いの生態系のバランスを整えることって大事なことなんだ」
そう言ってリオが手を叩いた。次の瞬間、角は綺麗に消えていた。
「俺たちは色々あって少し前に独立したんだけど、日本には大きな鬼の組織が二つある。そこはずっと、何代にもわたって昔から、日本の政治に関わってきたんだ」
説明する二人の軽い言葉が、湊の思考にずしりと絡みつく。角の衝撃とスケールの大きさに、頭がまたしても追いつかない。
「…鬼」
「そう。俺たちは鬼。ここまでの話で質問は?」
「ありすぎて、わかりません…」
二人の存在を口に出してみても、どこか理解が及ばない。問われてもやはり、何を訊けばいいかがわからない。
「でも『契約』ってなんの代償も無しにできるものじゃないですよね」
「そうだね」
「僕がリオと交わした契約ってどういうものなんですか?」
湊は追いつかない頭で絞り出し。次の質問を投げてみる。何故か妙に言葉が震えた。
「ひどく申し訳ないんだけど…」
また眉を八の字に下げて、藤は申し訳なさそうな顔で口を開く。その表情に湊の心臓がヒヤリと冷えた。
「契約を結んだ人間に起こることは三つだ。
一つ、体が死にかける前の状態に戻る。
二つ、妖と闘い恨みを晴らす力の得る。
三つ、伝え損ねた想いを伝える時間を得る。
一つ目はもう、湊くんも理解してるよね?」
湊は静かに頷く。
「二つ目は、昨日リオが火を操るのを見ただろう?あれが君にもできるようになった。そして君の力は契約者であるリオも借りられるし、その逆も然り。まあこの辺りは、また今度実演しながら話そう。そして重要なのは、最後の一つだ」
最後の一言に、リオはごくりと唾を飲む。
「君の体は生き返ったわけじゃない。半鬼として生まれ変わり、作り変えることで死ぬ前の状態に近い状態に戻したんだ。鬼は人間よりも頑丈で、寿命も倍以上に長い。だからそこに近づいた君は、老化の速度がこれまでの二分の一になる」
頑丈で老けない体とは、一見すると幸せに思えた。しかしよく考えれば、それは怖いことなのだ。
「つまりもう僕は人の世で、人に関わって生きていくことができない、ということですね」
「理解が早くて助かるよ。…今のままでは、そういうことだ」
周囲の人が歳を重ねる中、自分だけが取り残される恐怖を湊は感じた。
「この契約は誤りですよね。ちなみに取り消すことは…」
「システムを見直してみるけど、現状では一度成立した契約は、申し訳ないが覆せない。それからもし仮にこの契約をなかったことにすれば、君の体は戻る前の前、つまり死にかけた状態に戻るだろう」
重たい空気の中、リオは小さく「ごめん」と言った。
「ただしこの契約は一生続くわけじゃない。君が妖と戦い、百八個相当の悪き妖の魂を手に入れれば、この契約は終わる。つまり戦えば人に戻れる可能性があるんだ」
「…なるほど」
恐怖の中に一筋の光が見えてきた。
「ただし、だ。こうしている間にも君の時間と周囲の人間との時間はズレていく。早めに終わらせないと、体が元に戻っても、元の生活には戻れなくなる。俺も可能な限りサポートはする。だから諦めないでくれ」
藤はそう力強く言ってから、申し訳ないと再度深く頭を下げた。リオも「アタシも、頑張るよ…」と俯いたまま小さく言った。
「僕も、頑張ります」
湊も口にした。そうするしか、選択肢は無いのだから。
なんとも重たい空気がまた、この場を支配した。
「ひとまず!長々と意味のわからない話を聞いてくれてありがとう。疲れただろうし今日は一度家に帰ろうか。明日は時間ある?あるよね?無くても欲しいんだけど。また迎えに行くから」
その空気を、藤の努めて明るく発された声が揺らした。NOと言わせない勢いで明日の予定が決められていく。もちろんこの状況で断ることなど出来るわけない。幸いにも明日は日曜日で、寂しい会社員の湊に予定などない。湊は「はい」と口にした。
「よし、じゃあ荷物はそこにあるし、服も洗濯してあるから、着替えておいで」
それから部屋の隅に置かれた湊の荷物を指差す。そこには丁寧に畳まれたトレーナーと、並べられた財布やスマホが見えた。先ほどの部屋で着替えればいいと案内され、湊は席を立つ。
「そうだ。言い忘れてたけど昨日の事故現場に、湊くんとリオがいたことは無かったことにしてある。二人を目撃した、救助者の男と店員の男にも適当な理由で納得させてあるし、君も不用意に周囲へ話さないよう頼むよ」
湊はもうあまり良くわからなかったが頷いた。どのみち、話すような相手もいないのだ。
それから湊は、服と荷物を抱えて元いた部屋に向かう。そう大きくなさそうなここでは、迷わずにたどり着けた。服を着替えて、荷物をまた尻ポケットに戻す。
いつもと少しだけ匂いの違う服に身を包みながら、昨日とは違う日々が始まってしまったことを、やるやると理解し始めた。
──
半鬼 夏目湊 契約の満了まで残り魂一〇八個