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人生の終焉4

 カチカチと静かに時を刻む音が響いていた。もぞもぞと体を動かすと、カラリと乾いた寝具が衣擦れの音を立てる。

 そのあまりの心地よさに、湊は微睡む意識をまた手放そうとしていた。しかしそのぼんやりと霞んだ意識も、小さな違和感を覚え始める。


──うち、アナログの時計あったっけ?


 湊が記憶する限り、自身の部屋にカチカチと音を立てる時計はなかった筈だ。そういえば体を包む寝具の香りや質感も、部屋を漂う空気の匂いも、色々なものがいつもと違う気がする。違いに気づくと徐々に覚醒する意識に、湊はゆるゆるとその瞼を開けた。


 そこは、見慣れない真っ白な部屋だった。


 白いカーテンの間からは柔らかな光が差し込んでいる。自分の体が乗ったベッドと丸いパイプ椅子以外の家具がない部屋は驚くほど無機質で、白い壁にかけられた時計だけが、カチカチと一人静かに動いていた。


 午前十一時前、それ以外、湊にわかることはない。


「…ここ、どこ?」


 小さな呟きも、静かで無機質な部屋にはよく響いた。ゴソゴソと体を起こして、自身が病衣に包まれていることを知る。


「病院…?」


 ──そう言えば、昨日コンビニで事故に巻き込まれて…


 思考の靄が晴れ始めた湊は、頭の中に散らばったカケラを手繰り寄せ、なんとか記憶を呼び戻す。


「お、ナイスタイミング」


 その時ガチャリと扉が開く音がした。女の声が部屋の空気を揺らす。その後で(ようや)叩かれた扉がコンコンコンとノックの音をならした。


「リオ…?」

「おっ!良く憶えてたね」


 扉を開けて部屋の主と目が合った後にノックをするという、なんとも雑な登場を決めたリオは赤い唇を持ち上げて笑っていた。


「リオがいるってことは、昨日のことは夢じゃない…?」

「やっぱり混乱してるよね。まあ、アタシもしてるけど」


 リオはそう言って、開けた扉に寄り掛かる。笑みを浮かべた作り物のように綺麗な顔は、昨夜よりも僅かに朱を取り戻したように見えた。身につけているセーラー服は相変わらず似合っていないようで、似合っている。


「動ける?もし動けるなら、昨日し損ねた説明をするからちょっと来てよ」


 それかはリオは雑な手つきでベッドの脇にスリッパを置いた。コロリと転がったそれに足を通すことで、湊は無言のまま肯定の意を示す。

 目を覚ましても変わらないこの奇妙な現状に湊は少しの疲弊を覚えたが、服は病衣で鍵も財布もスマホもないとなれば、ついて行く他ないと諦めるしかなかった。


 寝起きのせいか、背骨はパキリと軽快で乾いた音を立てた。


「身体、変なとこはない?勿論その左手以外で」


 昨日、赤いリボンを巻いた左手に、今はガーゼが丁寧に貼られている。リオのセーラー服からは変わらず赤いリボンが欠けていた。

 それを確認した湊はさまざまな関節を動かしてみるが、大した違和感は感じない。


「…特には、ないかも」

「そう。じゃあ、ちょっと着いてきてよ」


 リオはくるりと背を向けて歩き出す。湊はパタパタと床を鳴らしながらそれを追った。

 痛みも違和感もない、いつもと変わらない体で見知らぬ場所を歩く。短い廊下にいくつかの扉が並んだそこは、なんとなく小さな会社のビルのようだった。


「入って」


 キョロキョロと見渡しながら歩く湊を連れて、リオは一つの扉の前で停止した。そのままノックもなく、ノブを捻る。開いた扉の先には二十畳ほどの空間が広がっていた。


 大きな窓が外光を取り込む部屋の中には、ブラウンを基調とした大型のオフィステーブルと、座り心地の良さそうな椅子、観葉植物が丁寧に配置されている。一見するとカフェやレストランと見間違いそうな部屋だが、所々に置かれたパソコンや資料がこの部屋がオフィスだと伝えていた。


 ただ、ここには人の気配がほとんどない。そんな空間にリオは声をかける。


「ねえ、起きてたから連れてきたよ!」


すると、奥の方からガタガタとキャスター付きの椅子が床を這う音が鳴った。ついで男の声が響いてくる。


「あ、本当?ちょ、ちょっと待ってね」


 部屋の奥、それは大きな窓からの光が少し陰った場所だった。パソコンのモニターが三台きれいに整列したその後ろから、一人の男が立ち上がる。


「ごめんごめん。ちょっとバタバタしててさ…」


 現れたのは、黒い髪を短く整えた男だった。優しそうな表情で湊を見つめ、微笑んでいる。纏う雰囲気はどこか冬の太陽のように柔らかかったが、近づいてくるほどに顕になるその小柄ながらも厚い体は、夏の陽射しのように強かった。しかし白いシャツに黒いベストを合わせたその姿は、紳士のようで不思議と威圧感がない。


「おはよう、気分はどう?」


 湊の元まで近づいた男は、にこりと笑ってそう言った。笑うと線を描いたように細くなる目が、男の雰囲気を一層柔らかくする。


「あ、大丈夫、です」

「それはよかった。まあ、とりあえず座ってよ」


 その柔らかさは、どこか緊張していたらしい湊の気持ちすらも程よく解していく。


「このオフィス、どうかな?最近はフリーデスクが流行りって聞いたから、家具を全部入れ替えてみたんだけど」


 男が示した大きなオフィステーブルの一角に湊が腰を下ろすと、男も正面に座ってニコニコと笑いながら言った。湊の隣にリオも座る。

 小洒落たオフィステーブルとスーツ姿の男を映す湊の視界は、まさにオフィスそのものだったが、俯瞰で見れば病衣の男とセーラー服の少女が相対していて違和感が濃く漂っている。


「すごく、お洒落です」


「ありがとう。まあでも、事務作業なんて殆どみんなやらないし、俺も作業は基本あそこだから、誰も使ってないんだけど」


そう付け加えながら、男は先ほどまで自身が座っていた奥の机を指差した。その机はモニターにキーボード、雑多な書類が重なっている。ただそれを見てもなんの仕事かは見当もつかず、湊は「忙しそうですね」とただ自らの思考を口にしかなかった。すると男は「そうでもないよ」と柔らかく笑った。


「はいはい。雑談は終了。そろそろ説明しようよ」


そんな二人の会話をリオが割って、少しだけ湊の顔が硬くなる。男だけが変わらずふわふわとした、柔らかな気配を放ち続けていた。


「そうだね。その前にまずは初めまして。俺は藤千紘(ふじちひろ)一応ここの代表をやってるよ。下の名前は慣れてないから、気軽に藤さんとでも呼んで。君は夏目湊くんでよかったよね」


 そう言って、藤は名刺を一枚差し出した。そこには『株式会社H L c 代表取締役 藤 千紘』と書かれている。


「代表…」


 受け取って、書かれた文字に目を走らせると湊は小さく溢した。藤は湊とそう歳の頃は変わらないように見えたが、役職故か湊よりも幾分、人としての重みがあるように思えた。いや、重たいからこそ、この地位にいるのかもしれない。


「大したことじゃないよ。十人にも満たない組織だし」


藤はそう言って笑った。


「よく言うよ」


藤の言葉にリオは呆れたように鼻を鳴らしたが、藤はヘラリと笑うだけだった。


「俺たち、表向きは小さなウェブサイト制作会社なんだけど、本来は昨夜みたいなことを生業としてる。そうだな、どこから説明しようか」


 そこで藤は一度言葉を切ると、背もたれにぐいと体重を預けた。ぎいっと軋む音がして、途切れた会話の間を埋める。


「湊くんはさ、鬼や妖ってわかる?」


それから、湊が予想もしなかった単語を二つ並べた。

 あまりにも突拍子のない質問に、湊はゆっくりとまばたきを繰り返す。その間に二、三度、頭の中で質問を復唱してから(ようや)く「まあ、はい」と煮え切らない返事をした。

 言葉は知っているけれど、それが何かはわからない。


「多くの人が、妖や鬼を信じていないのは勿論知っているよ。でもそれは、たしかにここにいるんだ」


 その嘘のような話を、藤は真剣に話した。柔らかくも真っ直ぐに見つめる目が、湊の口から「嘘」と言う言葉を禁じる。

 僅か数秒の沈黙が、妙に重たく流れていった。


「突然そんなこと言われても、馬鹿みたいに思うよね。でも君も見たんでしょ、リオが倒したアレを」


 ぐっと重くなった空気を押しのけ、藤は言葉を続けた。逸らすことの許されない視線に、記憶の蓋が開いていく。金属を擦ったような声で話し、炎に包まれていく奇妙なアレが、湊の頭の中で鮮明に甦る。


「アレがまさに、妖だ」


 人にも動物にも見えなかったアレは、たしかに妖と呼んで違和感はない。ただ湊は、どうにも長い夢を見ている心地だった。聞かされる言葉は脳の表面を滑っていき、言葉はわかるのに理解ができない。それなのに思考のどこかはこれを現実だと受け止めていた。


「驚くのも無理はないと思うけど、これが真実」


 理解の追いつかない現状を放棄して逃げ出したくても、藤が放つ柔らかくも惹きつけられる不思議な魅力がそれをさせない。藤は変わらず湊を見つめていた。


「たまに、ありますよね。嫌な夢を見て『ああ、これは夢だ』と思う瞬間」


 藤の視線に湊は諦めたように話し始めた。藤は突然の湊の話も、頷きながらただ静かに聴いてくれる。


「今ものすごく変なことが起こってて、有り得ないって思ってるんです。有り得なさすぎて夢であって欲しいと思ってるのにで『夢だ』って思えないんです。それどころか頭のどっかでは、これが夢じゃないって思ってます」


 一息に話した湊は、乾いた苦笑いを浮かべていた。藤は「そっか」とすこし悲しげに笑っていた。湊は今、何一つ理解できないでいた。理解できないから、受け入れられない。


「残念だけど、湊が昨日死にかけたのも夢じゃないよ。良くない妖が人間に悪戯仕掛けて、その事故に湊は巻き込まれた」


 そんな二人の会話の隙間で、リオが言葉を紡いだ。俯いて指先をテーブルの上で遊ばせているせいで表情は読めないが、その声色に悪意はなくただ事実を伝えているようだった。


 リオの言葉に、湊は一瞬ひどい痛みを思い出す。だがそれも、今はただの記憶に過ぎない。


「僕はどうして、生きているんですか?」


 左手のガーゼを見つめて、湊は問うた。


「俺たちの仕事はね、大きく分けると二つなんだ。一つ目は、人や他の妖に害を生す妖を倒すこと。これは何となくわかるよね?」


その質問に、藤は二本の指を立てて答え始めた。湊は問いかけにコクリと頷く。


「それから二つ目は、人の魂を妖に転じさせないこと。妖絡みで死ぬと稀にその人の痛みとか後悔の感情と妖気が混ざって、魂が悪い妖に転じることがあるんだ。だから君が死にかけた時、リオがしきりに話しかけように、気を紛らわせて妖気に呑まれるのを防ぐんだ」


 死にかけていた時とそうでない時、リオの態度が変わった理由だけはまず理解できた。

 この話が始まると、リオはあの姿を見た人間が生きているのが恥ずかしいのか眉間に皺を寄せて頬杖をついていた。

 湊も朦朧としていたとはいえ、リオに神様かと問いたことを思い出しては恥ずかしさから目を逸らした。


「でも中には、こっちがどんなに宥めても(おさま)らないような強い想いのせいで、妖気に呑まれかける魂もある。すごく珍しいことではあるんだけどね」


 そこまで話して、藤は久しぶりに湊から視線を逸らした。それからどこか遠くを見つめて、また話し出す。


「そういう時、俺たちは最後の手段に出る。それが『契約』。契約を結べば体は死にかける前の状態に戻り、妖と闘い恨みを晴らす機会や、伝え損ねた想いを伝える時間を得られる。今の君みたいにね」


 藤の視線と人差し指が、湊を向いた。


「でも僕、あの時あんまり強い想いも無かったと思いますよ…」


しかし湊には疑問が残った。あの時の湊は死ぬことを悔しいと思いながらも、もう殆ど死を受け入れていた。


「そう、俺もそこが疑問なんだ。契約はこっち側が必要だと判断した時に行うもので、ちゃんと必要な手順を踏まなきゃできない筈なのに」


「アタシ、あの時の湊には契約なんて要らないっ判断したよ。だから契約の儀もやってない」


 藤は顎に手を当てて考え込み、リオは少し口を尖らせて拗ねたように言った。渦中の湊はただその様子を窺っている。


「確かに数年前、契約の儀の簡略化プログラムは実行したけど、あれに誤りはなかったはずだし、何が起こったんだ…」


「え、簡略化ってなに?アタシ聞いてないよ?」


 暫くそのまま唸っていた二人だったが、藤の呟きにリオが顔を上げた。綺麗な額に皺を寄せ「何?」という疑問形を顔で作っている。


「いや、あの時、朝礼で展開したしメールも投げたじゃん。昔の儀式が長すぎて、契約中に死んじゃって妖になる事案がいくつか出たから改善したって」


「なにそれ、知らない」


「いやいやいや。契約の儀を『妖絡みで瀕死の相手の血に触れる。同意を示す言葉を貰う』っていう方法に簡略化しますって、言ったしマニュアルも送ったよ…」


 常に笑顔を絶やさなかった藤の顔が曇り、ジトリとリオを見る。リオはギシギシと音が鳴らそうなほどゆっくりと顔を動かしてその視線を避けた。


「昨日はどんなやり取りをしたの。覚えてる限り、しっかり話してみなさい」


藤はカンカンと二度、テーブルを指で弾いた。


「えっと、…いつもみたいに適当にニコニコしながら話しして、神様?って湊に聞かれたから適当に返して、そしたらなんか可哀想に見えてきて、何となく頬を撫でてやったから、血には触れたかも…」


 藤は額を押さえてわざとらしいため息をついた。湊も自分の最期になる筈だった会話が「適当」に成されていたのだと知って小さなため息をつく。


「いや、でも、相手の血に触ったことなんて、多くはないけどこれまでにも何回かあるよ!」


そのため息に、リオは反発した。


「まあ、それもそうだね。で、他には?」


「あとは何て言ってるかよくわかはなかったから、適当にうんうんって…言ってたくらいしか…」


覚えていないらしい。あまりの適当さに、湊は少しの悲しさすら覚えた。


「はあ。湊くん、君は何を話したか覚えてる?」


 困った顔のまま、藤は湊に向き直る。湊は記憶をなんとか手繰り寄せていた。


「…たしか、リオに神様か死神かって訊いて、あとは『こんなコンビニで死ぬことになるなんて』みたいなことを言ったと…」


「嘘、そんなこと言ってたの?なんかモソモソ言ってるなーとは思ってたけど」


 二人が記憶の擦り合わせをする中、藤だけが険しい顔をしていた。顎に手をあて、何かをブツブツと呟いていた。


「…コンビニ…コンビニ…コンビ、に…?」


それから暫くして、藤は勢いよく顔を上げた。


「もしかして『コンビに』って、言葉で契約成立しちゃった…とか?」


三人は顔を見合わせた。

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