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人生の終焉2

 「君はまだ生きてるね。あっちの二人は残念だけど、もう駄目みたい。運転手も生きてはいるけど、多分もう目が覚めないよ」


 このひどく渾沌とした状況には不釣り合いな、とても軽やかでふわりとした声が周囲の空気を揺らした。

 湊は思わず瞼を開く。それは鉛を縫い付けたように重かった。


「若いね。それに可愛い顔してる」


 開いた瞼の先、霞んだ視界の奥に女の顔が浮かんでいた。それは、湊の体をコンビニの壁に押し付けている凹んだボンネットの上にしゃがんで湊の顔を眺めている。

 湊を若いと言った彼女だったが、オーバーサイズの黒いジップパーカーの下には同じく黒いセーラー服を身につけていた。少しブラウンがかった長い髪は頭の上で一つに結われ、露わになる白い首と黒い服が美しいコントラストを描いている。


「あっちの二人みたいに、すぐに意識を飛ばした方が幸せだったかもね。でも、君は悪くない。ただ、君が手にした運がどうしようもなく悪かったんだ」


 そう言った彼女は真っ直ぐに湊を見つめていた。

 猫のように目尻の跳ねた大きなアーモンド型の目と、こぼれ落ちそうなくらい大きな夜色の瞳が湊をジッと捉えている。

 すらりと伸びる鼻筋は彫刻のように美しくて、彼女の美貌はまるで作り物みたいだった。人の熱を持たないようなその雰囲気は冷たいのに、纏ったセーラー服だけが妙に人間臭くて全てが嘘みたいに見える。


「痛いし、辛いよね。ごめん。間に合わなくて、助けてあげられなくて」


 ただ言葉を紡ぐ真っ赤な唇は中心がツンと上を向いていて、覗く白い歯がウサギみたいに可愛らしかった。それだけがなぜか、彼女を人であると思わせる。


「大丈夫。もうすぐ楽になれるから。がんばったね」


 彼女の少し小さな手が伸びて、湊の頭に触れた。労うようにふわりと撫でた指先が、血の赤に染まる。


「…君は、神…さ、ま…?」


 美しさと可愛らしさが同居する不思議な美貌の彼女と、彼女が紡ぐ不思議な話に湊は思わず問いかけた。

 声を上げた途端に肺は熱をもち、鉄の臭いや味が五感に広がって湊の顔が思わず歪む。彼女はそんな湊にクスリと笑いかけてから答えた。


「残念。アタシはそんなに大層なものじゃないよ」

「じゃ…あ、死神…?」


 湊はどうしても彼女が人では無いような気がして、もう一度尋ねてみた。ただの神では無いのなら、死にかけた自信を迎えにきた者かも知れない、とそう思えた。


「ふふ、残念。それもハズレ」


 そう言って彼女は自身の手が汚れることも厭わずに、優しく湊の頬を撫でる。それからゆっくりと顔を近づけて、湊の瞳を覗き込んだ。


「アタシは君を助けられるけど、それはきっと救いじゃない。アタシは神様でも、死神でも無いからね」

「ど…ゆ…?」


 湊の思考と体は徐々に重さを増していく。どういうことだと問いかけようとしたが、もうほとんど音にならなかった。


「ただ、そのままの意味だよ。だからせめて、可哀想な君の最後の言葉くらいは聞いてあげる」


 彼女はただ、真っ赤な唇で緩やかな弧を描きながら言う。

 湊は鈍さの増した思考で考えてみたが、伝えるべき想いも、言葉も何一つ思いつかなかった。


「もうそろそろ、時間かな」


 何も言わない湊にその終わりを感じたのか、彼女は少しだけ顔を遠ざけた。しゃがんだまま、頬杖をつく姿はまるで人形だ。


「自分の一生が、こんなコンビニで、こんな風に終わるなんて思わなかったよね。でも、君はわるくないよ。悪いのはただ、君の運だけ」


 再度、彼女の指先が湊の頬を撫でた。その指先の熱さで彼女が生きていることと、自分が冷たくなり始めていることを湊は理解する。


「お疲れ様。ゆっくりお休み。私はもう、行かなくちゃ」


 彼女は最後にそう言うと、くしゃくしゃのボンネットから立ち上がった。


「こ…コンビ、に…な、る…て…」


──こんなコンビニで死ぬことになるなんて


 平坦で平凡なこの人生に湊はなんの未練もなかったが、「運が悪かった」という一言で簡単に終わりを迎えるのはどこか悔しかった。想いが口をついたが、やはりもう音にはならない。鉄の臭いが混じった呼吸音だけが、コヒュウと空気を震わせた。


「そうだね。君は、頑張ったよ」


 湊の言葉が理解できたのかはわからないが、彼女は綺麗な顔で微笑みながら湊の頬をツウと撫でると、歩みをすすめて闇の中に溶けた。

 遠くから「おい、大丈夫か!?」と慌てる男の声が聞こえる。これから警察や救急隊員、野次馬が湊を囲うだろう。無いと思っていたスポットライトに照らされて、湊は湊の人生を終えるのだ。


──ああ、本当にこれで終わりだ。


 湊はゆっくりと瞼を閉じた。それからゆっくりと、意識を手放す。


「あれ?」


はずだった。


「どういうこと…?」


 湊は一度、瞼を持ち上げた。依然、目の前には見慣れないクシャクシャのボンネットと、開いて萎んだエアバッグがある。どうみてもまずいこの状況に、湊は諦めて瞼を閉じた。はずなのに


「僕、ぜんぜん、死にそうに無いんだけど…」


 意識が途切れる気配はどこにも無かった。それどころか、先ほどまで全身を覆っていたはずの痛みも消えている。鉄分混じりだった言葉もスラスラと紡がれて、何が起きたのか全く理解が追いつかない。


「ねえちょっと、どうなってるのよ!?なんで契約が成立してるの!」

 

 湊が混乱していると、闇に消えたはずの彼女の声が再度空気感を震わせた。闇の先では「大丈夫ですか。今、救急車呼ぶからな」と先ほどの男の声がする。三者三様、それぞれがそれぞれの事情で驚きの声をあげ、これまでは少し違った混沌がこの場を支配していた。

 彼女の言った通り、向こうに倒れているらしい先ほどの男女は状況が良くないのか、駆けつけてきた男は小さな悲鳴をあげながらもなんとか救助を進め始める。彼女はバタバタと湊の元へと戻ってきた。


「ねえ、さっきまで僕、血まみれだったよね…?」


 湊は再度現れた彼女に向かって声をかけた。車と壁に挟まれたせいで動けないのは相変わらずだったが、頭部、胴体の至る所を朱に染めていた血が消えている。呼吸するたびにジクジクと熱を持つ痛みも一切感じない。


「ああもう!それはアタシのせいなんだけど、でもなんでそうなったわけ?アタシやるつもり無かったんだけど!」


 作り物のような外見は相変わらずだったが、随分と雰囲気が違う。


「え、何、結局君が助けてくれたってこと…?」

「違わないけど違う!とりあえずそこから出てきて!話はそれからするから!!」

「え、ちょ、痛い痛い!」


 彼女は叫ぶようにそう言うと、湊をグイグイと引っ張って壁と車の間から引き抜こうとした。その無遠慮な手つきに、湊の体は再度悲鳴をあげる。


「ね、ちょっと、本当に痛いって」

「さっきよりはマシでしょ!」

「それはそうだけど…!」


 彼女に手を緩めるつもりはないらしい。ひしゃげたボンネットに、黒いタイツを身につけた細い脚をかけた。


「いい加減、アンタも、気合、入れなさいよ!!」


 細い体のどこにそんな力があるのか、彼女が脚でボンネットを押すとギギっと音を立てて隙間が生まれた。そのままグイッと体を引くと、ようやく湊の体は自由になる。


「おお…やっと出れた。痛いけど…」

「文句が多い!」


 湊は漸く自由になった体を動かす。やはりどこにも異常を感じなかった。代わりに先ほどついたらしい左手の甲のキズがズキリと痛んだ。

 体をあちこち動かし、具合を確認していると向こうから三十代くらいの男が走ってきた。


「君、大丈夫?!」


 向こうは相当良くない状況なのか、顔がひどく白い。

 そんな男の問いかけに、先程まで死にかけるような重傷を負っていた湊がどう答えるべきか迷っていると、彼女の方が先に口を開いた。


「ああ、彼は頑丈なので大丈夫です」

「え、いや、でも、君すごいことになってたよね…さっきまで」


 ケロリとした言い方に驚き、男の目が困惑の色に染まった。


「頑丈なので、大丈夫です」


 しかし彼女は怯むことなく言葉を繰り返す。それから「ね?」と形の綺麗な目で湊を見つめて首を傾げた。有無を言わさない圧がそこにある。


「だ、大丈夫です!すっごく元気です」


 圧に押されて、思わず湊は口を開いた。と言うより、()()大丈夫であることに間違いはないのだ。湊の言葉に、男は未だ困惑の色が浮かべたまま頷いた。


「だ、大丈夫なら、いいんだけど…」

「はい、二人とも大丈夫です。ご心配ありがとうございます。私たちより、この運転手の方が不味いかもです」

 

 困惑している湊や男と違って、彼女はニコニコと綺麗で可愛らしい笑顔を浮かべていた。湊は不覚にも、可愛らしいと思った。


「でも、救急車は呼んであるから診てもらいなよ」

「ありがとうございます。だけど本当に大丈夫です。ね?」


 またしても、視線が刺さる。それは可愛らしいのに酷く痛い。その痛みから逃れるように、湊はブンブンと頷いた。


「ほんと、大丈夫です。痛いとこもないです」


 先程までの鉄の臭いと味は嘘のように消えて、スラスラと言葉がつながっていく。痛みで動かなかった体もよく動く。湊はそれをアピールするように肩を勢いよく回した。


「あ、そうだ。そろそろ見たいって言ってたテレビが始まる!早く帰ろ!」


 信じられないという目で二人を見る男を尻目に彼女は声をかける。彼女がこの場を離れようとしていることを理解して、湊も合わせた。


「そ、そうだね。本当にご心配お掛けしました。僕たちもう大丈夫なので、も、もう行きますね!」


 男は未だ心配と困惑の表情を浮かべ、湊を引き留めようとしたが「大丈夫です」と彼女が明るい声を上げればそれ以上は何も言わなかった。しかし湊は、彼女があの可愛らしくも鋭い視線を男に向けていたのを見逃さなかった。


 男の様子を確認して、二人はその場を離れる。できる限り街灯の少ない方へ。


 そうして二人は夜の闇に紛れた。

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