仕事やめます5
「それから仕事のことなんですけど、戦うって決めたからには転職しようと思います」
「ありがとう。じゃあ早速、俺の方で入社の手続きを進めるよ。湊くんは申し訳ないけど、退職の手続きを進めて欲しい」
「わかりました……ちなみに給与とかって……」
選択肢もなければ、転職を決めてから聞くことではないと分かりつつも湊は聞かずにいられなかった。
「何度も言うようだけど、うちは政府も関わる機関だからね、驚かないでほしいけど……」
そうもったいつけた藤は、こそこそと湊に耳打ちする。
「……!」
「ついでに言うとボーナスは……」
「……!!」
その反応を面白そうに笑う藤の隣で、湊は転職してよかったと思った。
「まあその分、大変な仕事ではあるけどね」
「はい、頑張ります」
付け加える藤に気持ちを入れ直す湊だったが、驚きの額に心は少し浮ついている。
「ちなみに湊くんってスポーツ得意? あとパソコンとか」
「パソコンはそれなりに使えます。運動も昔は野球をやってたので、それなりには…」
工場勤務とはいえ湊はパソコンを扱う機会もあったので、一通りのことは知っている。今はめっきり運動の機会が減ってしまったが、昔はスポーツ少年でもあった。
「それは助かる。俺たちは見た目の割に昔の人間ばかりだからね、パソコンが苦手な人も多いんだ。ぜひみんなをサポートして欲しい。それにスポーツ経験があるのなら身体の使い方もわかっているだろうから、きっと安心だ」
藤は人の上に立つべくして立っているに人間だ。湊の不安を言葉で軽くしてくれる。
湊の人生は、本当に一晩で変わってしまった。死後の世界に片足を突っ込んだかと思えば、事故的に現世へ引き戻され、人間をやめて、仕事を辞めた。当たり前にあると思った湊の明日は、今や想像もつかないものになってしまった。だけど昨日のままでは生きられない。不安がないと言えば嘘になる。恐怖がないと言えば嘘になる。それでも死ぬことも許されない。
「そう言ってもらえると、僕も少し安心します。不安しかないけど、僕が僕としては生きるためにも頑張ります」
「よろしく頼むよ。それじゃあ、今日は少し休憩したら家に送ろう。既に今日、色々と説明したけど明日も来れるかな? 紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい人?」
「混乱した湊くんの鬼力が暴走するのを怖がって、俺が説明を先延ばしにしちゃったって言ったよね。本当は明日説明をして、そこに水属性の鬼に同席してもらおうと思ってたんだ」
そういえばそんな話もあったなあと湊は思い出す。
「湊くん、月曜日から仕事だろうし、予定がなければ明日どうかな?」
「もちろん大丈夫です。こちらこそすみません、日曜日なのに」
残念ながら、湊の休日に予定があることは稀だった。
「ことの一旦は俺にもあるんだ。気にしないで」
そう言って優しく笑った藤は、テキパキと弁当の空をまとめ始めた。湊が手伝う隙はない。この間にと、湊はトイレへと立つことにした。藤に廊下に出て左と教えられ、湊は一人部屋を出た。
建物自体は新しくはなさそうだが、部屋のところどころはリフォームされているようで、トイレも新しくて綺麗だった。
「はあ」
一人になると自然とため息が出て、湊は雑に頭をかく。トイレに来たついでに、顔でも洗おうと湊が洗面台に近づいた、その時だった。
「うぉあ!」
湊は思わず声をあげた。
「ふ、藤さん、ちょ、これ…!」
バタバタと廊下を走り、元いた部屋へと湊は戻る。声を聞きつけた藤は弁当を片付ける手を止め、湊の肩に両手をおくと「落ち着いて。どうしたの?」と子どもを宥めるように目線を合わせて優しく聞いた。
「首…首に、首輪が…!」
湊が顔を洗おうと洗面所に立った時だった。鏡に映った自らの首に、真っ赤な首輪が巻きついているのを湊はみつけた。首輪には鎖が繋がっているが、何故か先はすぅっと消えていてその先がどこにあるのかわからない。湊が外そうと力をかけても、それはびくともしなかった。
「湊くん、落ち着いて。大丈夫、悪いものじゃないから、大丈夫だよ」
しかし慌てる湊とは反対に、藤は案外冷静だった。湊に「落ち着いて」と優しく声をかけたあと「ちょっとリオを呼んでくるから、ほんの少し待っててね」と小走りに出て行った。
湊は部屋の窓ガラスに薄ら映った自分を見ていた。いつから首輪がついていたのだろう。今日鏡を見たことは確かになかったが、こんな首輪に気が付かないはずがない、と湊は怖くなる。気になれば気になるほど、首がしまっていくような気がした。




