仕事やめます
藤の運転する黒いバンに乗って、湊は再びあの事務所へと戻ってきた。リオは終始眉間にシワを寄せていて、藤はずっとニコニコしている。
そんな藤は会社ビルに到着すると、木目の綺麗なテーブルとそれを囲う八脚の椅子、それから自動販売機が一台設置された部屋に案内した。リオはその部屋に着くなり「トイレ行ってくる」と恥ずかしげも無く告げて出ていって、部屋の中には藤と湊の二人だけが残される。
「好きな席に座って。ここはメンバーの休憩場なんだけど、オフィスと一緒にリフォームしたから良い感じでしょ?」
リオに向けたニコニコ顔とは少し異なる、優しそうな笑顔を湊に向けた。男らしい色気を放つ藤は実にセクシーだ。しかしリオに向かってニコニコと話す様はただただ娘を溺愛する父親にしか見えない。
「それから本当にすまないね、色々説明不足で。湊くんも少し整理した方がいいかなって思ったし、俺も説明に当たって少し準備をしたくて、君を早々に帰してしまったんだ。申し訳ない」
そんなデレた父親のような姿から居住まいを正した藤は、再度申し訳なさそうな顔をして謝罪する。真面目な顔をすると、急にまた色気が出るから湊は戸惑う。
「あ、いえ、そんな! 大丈夫です」
「改めてきちんと説明させてもらうよ。でも、ちょうど食事も届いたみたいだし、食べながら話そうか」
配達の通知なのか、震えるスマホを手に今度はふわりと笑ってそう言った。藤といいリオといい、この二人は妙に顔立ちが整っている上に、コロコロと表情が変わるらしい。「僕も手伝います」と慌てて返した湊に「いいのいいの」と笑って部屋を後にする藤は、不思議な魅力に溢れていた。入れ替わるように部屋に戻ってきたリオもやはり綺麗な顔をしていたが、眉間にはぎゅっとシワが寄ったままで「あー、やっとご飯だ」と椅子にはどかりと雑な感じで腰を下ろした。
「藤さん、いい人だね」
「ただ過保護なだけだよ」
眉間にシワを寄せて返すリオは、どこか反抗期の女みたいだと湊は思った。二人の年齢はそう離れていないようにも見えるが、人間よりも寿命が長いと話していた鬼のことはよくわからない。二人が黙ると、部屋の中はじーっとという小さな自動販売機の起動音だけになる。
「二人って、家族か何か?」
自動販売機の音が沈黙を強調するせいで、少し気まずくなって湊は聞いた。
「ただの上司と部下だよ。その前はただの先輩と後輩」
しかしリオは湊の質問に、より一層眉間のシワを深くしてそう言だけだった。
「じゃあ一緒に仕事して長いの?」
「数十年くらいかな。人間の時間で考えると長いのかもしれないけど、アタシたちの時間だとそう長い時間じゃない」
数十年を『そう長くない時間』と話すリオに驚きながら、これからの自分の一分一秒もこれまでとは変わるだと思って、湊の心は少し軋んだ。それから『そう長くない時間』を過ごしただけにしては、妙な絆がこの二人にはあるような気がした。しかし知り合って間もない男女の関係を深く探るのは野暮に思えて、湊はそれ以上は何も聞かなかった。
そんな会話がちょうど途切れたタイミングで、廊下に足音が響いてくる。食事が運ばれてくるのだと思うと、湊は一層自分の空腹がひどくなった気がした。
「お待たせー。今日は一番いいお弁当にしといたよ」
静かだった部屋の中に、藤の明るい声と良い香りが広がってく。
「やっと来た…今日のメニューなに?」
「いい肉が入ったから、メインはステーキだって」
「最高」
一番年長者であるような藤が、テキパキと弁当と箸、それからパックのお茶を三人の前に置いていく。リオはさっさと箸を握って弁当の蓋に手をかけていた。
「湊くんここ知ってる? 近所の仕出し屋さんなんだけど」
「あ、初めてです」
配膳くらいは手伝おうと立ち上がった湊も、やんわりと藤に制されて大人しく藤が配り終わるのを待つことにした。
「すごい美味しいんだよ。その日の仕入れによってメニュー変わるんだけどさ、ステーキの日は大当たり」
そう優しく話しながら、お弁当、そしてその前に箸、その左にお茶、と丁寧に整列させるところに藤の几帳面さが垣間見える。隣ではリオが「うま」と二切目の肉を口に運んでいた。湊の口の中に涎が溢れる。
「さあ、俺たちも食べようか」
藤の一言で湊もようやく蓋に手をかけた。使い捨てのその弁当箱からも、この昼食の高級感が見てとれる。中にはまだ温かい米と肉が光っていて、湊は思わず「うわぁ」と小さく感嘆の声を漏らした。すると藤は「すごいでしょ」となぜか誇らしそうにして、リオに「どう? 美味しい?」と自らが作ったかのように問いかけた。
湊は早速、肉を一切口に運んだ。肉汁が口内に溢れ、自然と箸が白米にのびる。味わうようにじっくりと咀嚼した後で「おいしいです」とお世辞抜きに湊は言った。
「口にあったみたいでよかった。リオも完全復活みたいだしね」
保護者の微笑みを添えた藤が言う。
「さっきも聞いたけど、本当に大丈夫なの? 昨日は顔色も真っ白だったような気がするけど」
「まあね」
取り憑かれたみたいに弁当と向き合っていたリオは、顔を上げてこの三文字だけを返すとまた食事に戻ってしまった。
「湊くんって、昨日のことどこまで覚えてる?」
一通り二人が食べるのをニコニコと見守っていた藤も、ようやく一切の肉を口に運んでからそう聞いた。問われた湊は昨日の記憶を手繰り寄せる。
「コンビニで事故に巻き込まれて、リオに会って、それから一緒に公園に行って…リオが妖と戦ってたけどすごい具合が悪そうだった」
「まあ、だいぶつらかった。今思えば」
もぐもぐと咀嚼しながら口を挟むリオに藤が「食べながら話さない」と叱る。それから「それで?」と続きを湊に促した。
「えっと…空き缶投げつけたら僕も妖に追われて、リオが妖に火をつけた…?」
最後の方があやふやだった。しかし「結構しっかり覚えてるみたいだね」と藤は答えた。
「その火で燃やしたっていうところが、リオの体調不良と君が倒れた大きな理由なんだ。説明することが多くてどこから話すか迷うけど、とりあえずここから話をしようか」
「お願いします」
藤の雰囲気が変わった気がして、湊は少し姿勢を正した。しかし藤は「そんなに緊張しないで」と柔らかく笑った。
「僕が勝手に話すから、湊くんは食べならが聞きててよ。わかりやすいように、ゲームに例えて説明しようかな。湊くんは、ゲーム詳しい?」
「はい、それなりに」
「鬼はね、ゲームでいう『属性』を一人一つ持ってるんだ。それは火・水・木・金・土の五種類あって、火属性なら火を操れる」
「リオは火属性だから、鬼を燃やせたってことですか?」
「残念、アタシは土」
もう半分以上を食べ切ったリオは、お茶をごくごくと飲んでから言った。
「そう。リオは土属性。火を操れたのは湊くん、君が火属性だからだよ」
「え、じゃあ僕も火を操れるってことですか?」
「そういうこと」
藤は湊の目をしっかりと見つめてそう言った。
驚いた湊は、箸で掴んでいた白米をぽとりと落としてしまった。




