全力で買い物
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ありがとうございます。
荷物運びの男性に部屋を案内され、バスルームに入った時に気づいたのが、この宿は一泊十万円もふんだくっておいて、アメニティの一つも置いていないらしい。それらについて聞いてみると、やはり、自分で用意するのが一般的なようだ。
「あの~お買い物をお願いしたいんですが? どうしたらいいですか?」
「買い物ですか? それでしたら、そこの呼び鈴を鳴らすと部屋の外にいる係の者があらわれるので、その者に伝えていただければ、物にもよりますが直ぐに揃えてくれるはずです」
「わかりました。ありがとうございます」
「いえいえ、それでは私もこれで失礼させていただきます」
「あっ! ありがとうございました」
直ぐに部屋から出ていくと思いきや、お礼を言った後も手を体の前で重ね、笑顔でこちらを見つめ佇んでいる男性に困惑する。えっ? 何? …………あっ! もしかして、チップ?
「……えっと、これ少ないですが……」
相場が分からず、とりあえず銀貨を渡すと、男性は一瞬、目を見開いた後、満面の笑顔でお礼を言って部屋から出て行った。やっぱり、チップ待ちだったのか……。日本にいる感覚でチップの存在を忘れていたけど、チップを考えると何か仕事をみつけないと、この宿にずっと泊まっているのは厳しいかもしれない。もちろん、買い物も料金に入っていると言っていたけど、チップはまた別という事なのだろう。だとしたら、千円はさすがにあげすぎたかな? 毎回あげてられないし……。
それでも、洗面用具は必要という事で、チップを覚悟して買って来てもらう事にする。呼び鈴を鳴らすと直ぐさま、ドアがノックされ、入室を許可をするとワンピースにエプロン姿の同い年くらいの女の子が要件を聞きに現れた。
「え~と、買い物をお願いしたいんですが……」
「畏まりました。それで何を買ってくればよろしいでしょうか?」
そう聞かれ、洗面用具とバッグのお手入れに必要なものをお願いする。でも、歯ブラシとタオルは通じなかったので、それらに関しては言い方を変えて、歯を磨く物と体を拭くための大きめな布をお願いした。
「いくらぐらい掛かりそうですか?」
「そうですね。最高級品を選ぶとなると……」
「えっ! 安くていいです! 安くて……あっ! やっぱり、普通ぐらいで……」
こちらの世界の安物の品質に不安を感じ、言い直す。
「それでしたら、大銀貨一枚もあれば、お釣りがくるかと思います」
え~と、大銀貨だから……一万円くらいか……あれっ? 大したものを頼んでいないのに高くない……? う~ん……でも、ギルドの値段に比べれば……。若干、腑に落ちないものの、大銀貨を一枚とチップ分の銀貨一枚を渡して買い物をお願いする。
「あの……こちらの銀貨は?」
「えっと、チップです! 少ないですが取っておいて下さい」
「えっ! こ、こ、こんなによろしいのですか? ありがとうございます。ぜ、全力で買い物をさせていただきます。それでは急いで行ってきますので、少々お待ちください。失礼いたします」
全力で買い物? あんまり聞かない表現だけど、意気込みだけは感じる。でも、今まで必要以上に意気込んでいる人で上手くいっている人は見たことがない。急に声のトーンが変わったし、テンションが上がって少し様子がおかしいけど、この子、本当に大丈夫かな? そんな心配をよそにメイドさんは深々と頭を下げると、硬貨を大事そうに両手で包み込むように持ち、足早に部屋から去っていった。多分、チップが思ったよりも多かったから、相当、嬉しかったんだと思う。やっぱり、銀貨だとチップとしては多いのか……。次からの人には悪いけど、次からは大銅貨を渡すことにしよう。持っているお金も、もう五万円を切っちゃったし、このままじゃ、破産しちゃう! これからは節約できるところ(主にチップとかチップとかチップ)は、しっかりしていこう。
♦ ♦ ♦ ♦
リーニャは教会で必死に計算と読み書きを覚えたおかげで、一般庶民の間ではそこで働いているというだけで羨望のまなざしを向けられる【精霊のやすらぎ亭】という名の高級宿に下女としてだが雇ってもらえた。しかし、現実はきびしく、貰える給金は他の宿や店で下働きをしている下女と大して変わらなかった。だから普段から自分に使えるお金は限られているし、いつもどうやって家族への仕送りを工面するかに頭を悩ませていた。そんなリーニャに今日、突然、大金が舞い込んできた。
そして、それをもたらしてくれたのが今日、貴賓室にお泊りになった女の子のお客様だった。年は私と同い年ぐらいに見えたけど、身ぎれいでとても良い生地の服を着ていたので、多分、貴族様だと思う。それにその綺麗な黒髪は余りこの辺りでは見かけない髪色だったので、どこか遠くの国から来た貴族様なのかもしれない。でも、私にとってどこの貴族様とかそんな事はどうでも良かった。あと、どれくらいお泊りになって、私が買い物の係の時に買い物を命じてくれるかが重要なのだから……。
その買い物の係は計算と読み書きが出来る四人で交代制でやっているから、短い期間しかお泊りにならないなら、もう機会がないかもしれない。せめてもう一回、機会があれば、お金が無くて誘われてもずっと行けなかった甘いお菓子と紅茶が飲めるという最近できたお店に行けるのに……。
そんな事を考えながら、頼まれた買い物を済ませに向かう。まずは近くで一番高級なグラマ商会に行ってみる事にする。自分の買い物ではまず来ることはないし、入れてもくれないだろうけど、【精霊のやすらぎ亭】とわかるピンを胸に挿している今は大手を振って入る事が出来るし、店員も私を見つけると丁寧な対応をしてくれる。私の名前は覚える気がないけどね……。
「おお、これはこれは【精霊のやすらぎ亭】さんではありませんか、今日は何をお求めで?」
「あっ! いつもお世話になります。えっと、今日は貴賓室のお客様からのご要望で、歯を磨くものと体を拭く大きな布、あとは革の鞄をお手入れするものを大銀貨一枚のお予算で揃えて欲しいのですが……」
「貴賓室ですか? なるほど、なるほど……。そのお客様がどんな方かが分かると、品物もよりそのお客様にあった物をご用意出来るんですが……」
へ~っ! そういうものなんだ……。
「えっと、私ぐらいの年の女の子のお客様で、とても綺麗な黒髪で高価そうなローブを着ていました。あっ! それと同僚の話だと魔術師の方だそうです」
「なるほど、なるほど……黒髪の魔術師……え~と、そのお客様はどのくらいの期間、お泊りになるご予定なんでしょうか?」
「えっと、今日泊まってみてから考えるそうです」
「なるほど、なるほど……。それではすぐにご用意いたしますね」
男性従業員は一瞬、何か考えた素振りをしたあと、急いで他の従業員に指示を出して自分もどこかへ消えていった。待っている間は、いつも通りに後ろで手を組んで遠目で商品を眺める。これは触って壊さな様にするためだった。壊してしまったら、もしかしたら一生掛かっても返せないかもしれない。見ても何に使用するかも分からない商品ばかりだけど、こうして商品を眺めているこの時間が割と好きだった。何かここにいると自分もお金持ちになったような気分になれるし、商品の使い方を想像するのも楽しい。それに綺麗な商品を眺めるのは単純に楽しかった。
「こういうのを買えるようになって、飾れたりしたら素敵なんだけどな~」
時間を忘れて商品を眺めていると、突然、後ろから声を掛けられびくっとする。
「【精霊のやすらぎ亭】さん、お待たせしました。どうぞこちらへ」
「ひゃい……」
変な返事をしてしまったけど、何事も無かったかのように男性の後ろに続く。いつも会計をするカウンターに案内され、その上には高そうな商品がズラリと並ぶ。
「今回はうちの商品の中でも最高のものをご用意いたしました」
「えっ! (大銀貨一枚のお予算って言ったのに……)あの……わたし大銀貨一枚しか貰ってきてないんですが……」
「もちろん、それはお聞きしました。ですが貴賓室にお泊りになられるような方に、こんな物しか用意できない商会と思われてしまったら、商会長に私が叱られてしまいます。ですので今回のお代は全てこのグラマ商会がお持ちしますので、そのお客様にもどうぞ、よろしくお伝えください」
「えっ…………これ全部、無料って事ですか?」
「そうです。あとこちらはご注文の中には無かったのですが、私どもの商会からお近づきの印としてクッキーと最近、人気の紅茶の茶葉も一緒にお贈りいたしますので、そちらも併せてよろしくお伝えください」
「わ、わかりました。お伝えしておきます」
貴賓室に泊まれるとこんなに色々、貰えるものなの……? 誰かがお金はお金持ちに集まるって言ってたけど、どうやらあれは本当だったみたい……。




