神が軽率に地上に降りてくるな
神。
それは偶像的崇拝対象であり、人間とは程遠い神聖な存在である。
私にとっては“神”とは遠くから地上を照らす太陽と同じ。
太陽が地球に近づきすぎたら焼け燃えてしまうように、私も“神”が接触を図ってきたら死ぬ自信がある。
だから“神”は軽率に地上へ降りてこないでほしい。
信仰心の高いだけの人間に優しさを振りまかないでほしい。
軽率に下界でのうのうと暮らしている庶民に、後光と天界の花々を背負って挨拶しないでほしい。
私のことを天界からうごめく塵の一部として、微笑ましく眺めていてほしい。
「相変わらず拗らせているというか、面倒臭いというか」
聖書の一部を読み上げるように、淀みなく己の信仰心を唱えきった茅ケ崎に、俺は半分感心と呆れを混ぜた眼差しを細めて向けた。
茅ヶ崎本人はこちらを一切見ようともせず──言葉さえ届いているのかも分からない──煌々と光を放ち続ける液晶に両手を合わせて祈りを捧げている。
そこには容姿端麗な、茅ケ崎の信じる“神”が映っている。優美で繊細な笑みが女性らしさを演出しているが、紛れもない男性俳優であることを俺はよく知っている。
「野神三賀のどこが好きなの」
「全て。演技から、造形、性格、生き方全て」
「食い気味で説明どうもありがとうね」
迷いがない茅ヶ崎の言葉に首を擦る。俳優の一挙手一投足に合わせて感嘆の息を漏らす姿は、見ていて気恥ずかしいものがあった。
「だから一生線を越えてこないで下さい」
はっきりとした口調で境界線を引く茅ヶ崎の根性に、いや信仰心に素直に拍手を送りたくなる。
彼女は俺の劇団の演出であり、俺は劇団の看板役者。
そして彼女は俺の、“野神三賀”のファンであり、驚くほどに心酔している。
俺が舞台から降りて“野神三賀”の仮面を捨てて話しかけようとすると、視界に入れないようにするほどに。
「俺は茅ヶ崎ともっと仲良くなりたいけどな」
だから軽率に降りてくるな。
小さな抗議が茅ヶ崎の口から吐かれた。