第88話:天使の支配
「私が……悪魔?」
困惑の顔色を隠し切れないカーネリアは、無防備な身体を晒して呟く。黄色い髪が風にそよぎ、無言の圧力が彼女の魂に圧し掛かる。アルピナの魂から放たれる強烈な魂がアルバートとカーネリアの魂に張られた仮面にメスを入れた。
ガラガラ、と崩れ落ちるのは二人の魂を覆い隠していた神秘のヴェール。何人たりともその内奥を拝むことが決して許されなかった根源の秘部。秘匿することを止めた聖力がその存在を露呈することで、アルピナの仮説に対する答え合わせを行うのだった。
アルバートは意識を失いその場に崩れ倒れ、カーネリアは沈黙する。肉体を操作していた魂が形質を変えたことで、その動作の主導権が一時的に亡失してしまった代償だろう。アルピナとカーネリアは、揃って魔力を放出する。二人の警戒心を具現化したような曇天が急速に発達する。雷鳴が遠くで轟き、悪天候の訪れを予告している様だった。
「バレちゃったのなら仕方ないわね」
突如、アルバートのすぐわきに暁闇色の渦が湧き上がる。空間を引き裂くように現れたそれは、やがて人間に酷似した姿を取る。二対四枚の翼を背負い、美麗な容姿を存分に晒す天使ルシエルがその姿を顕現させた。濃密な聖力波シャルエルと同程度。天使と悪魔の相性差を考えれば、スクーデリアといい勝負をするだろう。それだけの力を蓄えた女性型の天使だ。
そして、彼女がその姿を剣下させたことで、辺り一帯の状況は一変する。カーネリアは秘匿させられていた魔力を放出し、ルシエルの聖力とクィクィの魔力が入り混じった特異的な力を暴流させている。またや町の中はルシエルの聖力で満ち溢れ、人々のヒトの子としての気配が異常なほど小さく霞んだ。
「久しぶりだな、ルシエル。10,000年振りだな」
「ええ、そうね。アルピナ公とまた会えるとは思ってもいなかったわ」
「まさか。ジルニアの魂を狙っている時点で、ワタシの介入が想像できない訳がないだろう。……それにしても、クィクィとこのような形で再会したくはなかったがな」
やれやれ、とばかりにアルピナは舌打ちを零す。親愛なる友人との再会は悲劇であってはならない、というのがアルピナの想い。故に、スクーデリアの時と同じく悪魔同士で敵対するのは可能な限り避けたいのだ。
しかし、結果は眼前の通り。天使に楔を打ち込まれてしまったが故の対立は筆舌に尽くしがたい嘆かわしいものだった。それでも、アルピナは決して落ち込むことなく普段の冷静さを保ったまま魔剣を構築する。スクーデリアもまた彼女と足並みをそろえる様に魔剣を構築してルシエルを睥睨する。氷のように冷徹な金色の魔眼は、ルシエルと彼女に楔を打ち込まれたクィクィに対して悲哀の眼光を放つ。
「それで、どうするつもり? 戦う気があるのなら相手になるわよ。勿論、貴女達にクィクィと戦える覚悟が——ッ⁉」
言い終わるより速く、アルピナもスクーデリアも動き出していた。一切の躊躇がみられない彼女らは、その魔剣に滾る様な魔力をのせてそれぞれに切りかかる。ルシエルは、既の所で聖剣を構築し、自身とクィクィの肉体両方で二柱の悪魔の一撃を食い止める。高音を轟かせてぶつかり合う聖剣と魔剣は、辺り一面に猛烈な力の波を撒き散らせる。草木は大きく靡き、或いは枯れ、或いは吹き飛ばされてしまう。土埃が舞い上がり、大地が激震した。
「クッ……」
「フッ、市場を戦場に持ち込むのもほどほどにしておかなければ、足元をすくわれかねないからな。それに、結果として死ぬことなく救出すればそこに至るまでの過程に対した意味は有さない」
「まあ、私だって助けられたもの。クィクィを助けられない理由はないわ」
四柱の神の子はそれぞれ力を振るう。ヒトの子にとっては理不尽ともとれるその力は、地を抉り空を裂いて衝突する。轟音が遥か彼方に消え、雄叫びと苦痛の声と剣がぶつかり合う音が飛び交う。
その時、上空から舞い降りる影が一つ。それはアルピナと同一の魔力を有し、手にした剣から龍脈を溢出させるヒトの子。クオンは横目でアルピナを一瞥して小さく息を零す。そして、一切臆することなくルシエルを睥睨しながら魔力を遠慮することなく放出させた。
「クオンか。町の中はどうだ?」
「最初はちょっとした恐慌状態だったが、エルバ達が脅して漸く露呈したな。全員もれなく、聖力の支配下だ。唯一例外があるとすれば四騎士とそれに率いられた兵力程度だな」
必要な情報のみを取捨選択した簡潔な会話。しかし、凡その予想通りであることから追加の情報を求める必要も無かった。
張りつめた空気の中でありながらどこか穏やかさも花開き始めている空間。傲岸不遜で冷酷な態度を隠すことなく撒き散らして嘗てのアルピナの姿は見えなかった。まるで、人間が一方通行の慕情に一喜一憂している時の様な華やかさを放っている様だった。それは、彼女の年頃の少女のような外観も相まって一層の可憐さを齎す。
「なるほど、貴方がアルピナと契約を結んだ人間ね。確か……クオン・アルフェイン……だったかしら?」
「お前がルシエルか」
「アルピナと契約を結び、龍の力を得た人間。なかなか興味深いわね」
見えない聖力と魔力が幾たびも衝突する。それに呼応するように遺剣から零れる龍脈も苛烈さを重ねる。クオンは、アルピナを横目で見据えつつ尋ねる。
「それで、どうするんだ? クィクィとこの町を開放するには龍脈が必要だろ?」
「ああ。もしもの場合を考えて君には町の方をお願いしていたが、どうやらその必要はないらしい」
アルピナはスクーデリアを見つめる。猫のように大きな魔眼は金色に輝き、彼女がいわんとしていることを代行する。その瞳に見据えられたスクーデリアは、長年の付き合いから彼女が言わんとしていることを察知し溜息を零す。
「わかったわよ。クィクィと違って町の方は影響力が小さいようだし、私達の魔力でどうにか聖力を絶ってみるわ」
それと、とスクーデリアは地面に倒れて気を失っているアルバートを探す。そして、冷ややかなように温かくも感じる瞳で彼を見つめながら提案した。
「あの人間は借りていくわ。何かに使えるかもだし」
「いいだろう。寧ろ、ここに斃れていても邪魔なだけだ」
ありがとう、とスクーデリアはアルバートを回収して門を超える。悲鳴と叫声が反響する町の中は、嘗てのラス・シャムラを彷彿とさせるものだった。
「あれ、良いの? スクーデリアより人間を側に置くなんて、アルピナ公らしくないわよ」
「スクーデリアが信用に置けない訳でも無ければクオンが特別信用できるわけでもない。ただ、君をクィクィから分離させるにはスクーデリアよりクオンの方が適任なだけだ」
アルピナは城壁の向こうに消えていったスクーデリアを見つめる。幾星霜の彼方からの大親友にして、自身の片割れにも近いほどその信用は厚い。そんな彼女よりも出会って数日程度しか経っていないクオンが側にいる光景は、ルシエルにはなかなか見慣れない光景でしかなかった。しかし、それでもどうにか理性で違和感を払拭して聖剣を強く握りしめる。
そして、平原にはクオン。アルピナ、ルシエル、彼女に楔を打ち込まれたクィクィだけが残された。片や魔力を放出し、片や聖力を溢出させる。野望と意志が鬩ぎ合い、かつての神龍大戦のように苛烈で過激渾沌とした殺伐の光景が構築されようとしていた。
シャルエルとの一件の時のように僻地でもなければ屋内でもない。国の中でもそれなりに反映した地の眼鼻の先である。クオンはただそれだけが気になりつつあったが、しかし今更隠しようがないことを悟って意識の外へ放り出す。
「さあ、始めようか」
アルピナは大胆不敵で冷酷な笑みを零した。
次回、第89話は12/25 21:00公開予定です




