第79話:天使長と悪魔公③
遅くなってしまい申し訳ありません
しかし、スクーデリアは彼女の肩に並ぶ事無く屋根の上に立つ。消せない金色の魔眼を妖艶に煌めかせながら、眼前で柔らかに佇むセツナエルを見つめる。長身の美女と小柄な少女。系統は違えど、ともにヒトの子の中では絶世の美人さや可愛らしさを有している。
「あら、どうしましたか?」
「ルシエルに伝えておいてくれるかしら? そろそろ仮面を脱いで会いましょう、と」
「ええ、構いませんよ。それにしても、貴女もあの人間に篭絡されたのですね。一体、何故それほどまでにヒトの子に力を貸すのでしょうか? クィクィならともかく、貴女やアルピナがヒトの子と肩を並べるなんてこと過去に一度でもなかったでしょう?」
紅色の瞳がスクーデリアの思考や感情を見透かすように輝く。僅かな呼吸の乱れや感情の揺さぶりすらも情報として処理しようとする、彼女の真意が隠される事無く晒される。しかし、スクーデリアはそんな彼女の視線に一切臆することはなかった。過去に幾度となく見てきた瞳に今更臆するほど、彼女の魂は臆病ではなかった。寧ろ、見破れるなら見破ってみろ、とでも言いたげな自信を醸し出してすらいた。
「ええ、そうね。ずっと昔にヒトの子と何度か契約に基づいた関係を持ったことがあったけど、それは全てただの気まぐれ。丁度、二つの神龍大戦に挟まれて暇になっていた戦間期だったのよね。それに、アルピナに至ってはヒトの子と契約を結んだのは初めてではないかしら? でも、今回は違うわ。私もアルピナも、自らの意志でクオンと肩を並べ、彼と行動を共にしているだけよ。一応、形式上の契約の儀は済ませているけど、対価も彼の目的を叶えるうえで必要なものを予め貰っただけに過ぎないわ。尤も、貴女の聖眼には映らないでしょうけど」
「そうですね。魂の深奥まで覗き込んでも、純粋な人間と変わり映えはしないようですね。一体、何処の誰が介入しているのかは不明ですが、貴女方の魔眼に映っている真相を私の聖眼では見通すことができないようです。しかし、貴女方がこれほどまでの入れ込んでいる事や私の聖眼すら欺けるだけの欺瞞が張り巡らされていることを考慮すると、有力なのは二つ程でしょうか? 仮に前者であっても後者であっても、私としては好都合です。ですので、貴女方には頑張っていただかなければなりませんね」
ふふふっ、とセツナエルは微笑む。可憐な花のように美しい笑顔は、本来であれば見る人に安らぎを与えるのだろう。しかし、セツナエルの本性を知り尽くしているスクーデリアとして決して可愛らしく見ることができなかった。寧ろ、何かよからぬ企みを描いているのではないかとすら思えてくるのだ。
「あら、そうなの? なら、貴女の計画もある程度絞れてきそうね。態々神龍大戦を勃発させてでも手に入れようとしていたものが何なのか、興味深いわ」
「いずれ分かりますよ。楔を打ち込まれてもなお龍魂の欠片を手放さなかった貴女がそれをどう解釈するかはわかりませんが」
龍魂の欠片の在りかはそれを持つ悪魔にしか知らない事。だからこそ天使達は血眼になってそれを探すのであり、本来ヒトの子との間に主従関係を結ぶために用いられる天羽の楔を、悪魔に対して打ち込むなどという暴挙にすら出ている。
それをまるで知っているかのような発言に、スクーデリアは疑問を持たざるを得なかった。
「あら、知っていたのかしら? 私が龍魂の欠片を隠し持っていたなんて」
「あら、やはりそうでしたか。私達天使が10,000年かけてもたった一つ見つけられなかったのですから、てっきりそうとばかり。ならば、残りを持っているのはクィクィとヴェネーノとワイボルトでしょうか?」
「さあ、どうかしら? 終戦以降、あまり連絡はとってなかったのよね」
嘘だ。終戦以降も精神感応でしばしば連絡を取り合っていた。その為、残り三つの龍魂の欠片を三柱がそれぞれ保有している事も当然知っていた。あくまでもちょっとした悪戯としての嘘だった。
そんなスクーデリアの思惑を見透かそうと、セツナエルは紅色の瞳を再び金色に染め変える。魂を見透かして、その奥に浮かぶ純粋な心を読みとろうと魔力の海に飛び込んだ。しかし、どれだけ深く潜っても彼女の心を見透かすことはできず、魂の表層に張り巡らされた欺瞞の心理しか読みとることができなかった。
欺瞞の心は、相手の力量を図るための濾過装置。欺瞞を欺瞞と認識できれば強者であり、欺瞞に騙されるようであれば弱者、そもそも読みとる事すら出来なければ相手にする価値なし、といった具合だ。
セツナエルですら突破できない強固な閉心術に、彼女は呆れたようにため息を零す事しか出来なかった。
「仕方ありませんね。今はそういうことにしておきましょう。きっと、すぐにでも会えるでしょうし」
「ええ、そうね。貴女が前線に出てくれば、でしょうけど」
また会いましょう、とスクーデリアは飛び立つ。寒風が微かに吹く宵闇の町の上空を、鈍色の悪魔は優雅に舞う。夜行性の鳥達に混ざる様に浮かぶ彼女の姿は、この世の者とは思えないほどに可憐で優雅だった。セツナエルは、そんな彼女の背中を無言で見つめるのだった。
そこからスクーデリアは急速に加速する。音を置き去りにするほどの速度でありながら一切の衝撃波を生じない独特の飛行は、彼女が悪魔の中でもとりわけ魔力操作に長けた逸材であることを暗に示す。そして、その目線の先で優雅に飛ぶアルピナに追いついた彼女は肩を並べる。
宵闇の町の上空を統べる様に飛ぶ二柱の悪魔。その姿は、まるで湖畔に佇む白鳥の如き所作。満点の星々に照らされる彼女達は、劇場の中心で無数の灯りに照らされる主役級役者のように美しかった。
「クオンはどうした?」
「宿に残してきたわ。本人は行きたがっていたけど、いた方が良かったかしら?」
いや、とアルピナは首を振る。寧ろいい判断だ、とばかりに微笑を浮かべてセツナエルとの会話を思い出す。
「それで正解だ。現状を踏まえると、やはりあの二人を会わせる訳にはいかない」
「どういう意味?」
「ジルニアの死についてだ。ワタシとしては、セツナエルがあれに深く絡んでいるとは思っていなかった。神龍大戦上の出来事であるが故に全くの無関係とまでは言えないが、それでも軽く触れる程度の関係性だと考えていた。しかし、どうやら無関係だったのはセツナエルではなくワタシの方だったようだ。ジルニアの死にどのような意図が隠されているのかは知らないが、事態はワタシや君が思っている以上に複雑らしい」
「そうね。私はおろか、貴女ですら知らないことですもの。水面下ではかなりの攻防が広がっていたようね。ならば、遺剣は預かっておいた方がいいんじゃないかしら? 確かに、あの剣は貴女よりクオンが持つに相応しい力を持ってはいるけど、セツナエルが狙っていることを考慮したら貴女の方が適任でしょう?」
スクーデリアの提案に、アルピナは考え込む。遺剣の扱いは非常に重要な要素。クオンが持つにしろアルピナが持つにしろ、それ相応の利点と欠点を併せ含む。
仮にセツナエルが表立って活動していないのであればクオンに持たせたままでも十分よかっただろう。しかし、こうしてセツナエルが行動を開始してしまった以上、クオンに持たせたままでは奪われる可能性が高まってしまうのだ。
一方、遺剣をアルピナが持つことに対してもある程度のリスクが伴う。クオンは身も心も只の人間であり、アルピナとの契約で逸脱者として覚醒している。現在では英雄を越えて勇者の領域にすら足を踏み込んでいるものの、セツナエルを前にすれば誤差程度でしかない。並大抵の天使や悪魔や龍ですらセツナエルやアルピナには肉薄することすらできない。例え神の寵愛を受けて逸脱者として覚醒したところで、その実力は所詮はヒトの子レベルでしかないのだ。
そのため、クオンの実力を補強する龍の力を扱うために必要な遺剣は彼が持つ必要があるのだ。そもそも、アルピナは遺剣に所有者として認められていない。その為、アルピナが持つよりクオンが持つことに利点があるのだ。
さらに言えば、遺剣はアルピナの目的のために必要な道具。龍魂の欠片を集めた先にある目的を完成させるために必要な鍵が遺剣“ジルニア”なのだ。その為、何としてもこれは死守しなければならないのだ。
アルピナは暫く無言で考え込む。普段は理論より感情で動いていそうな直情的な性格の彼女がこれほどまでに思慮を深めている。それほどまでに遺剣の重要性はアルピナにとって代えがたいほど高いのであり、彼女とジルニアとの間に育まれた信頼の表れなだった。
「……いや、このままクオンに持たせておく。必要ならワタシが彼を守ればいい。目的のためだ。その程度の苦労は苦労ではないだろう」
「フフッ。盲目ね」
「意地だ」
照れくさそうに訂正するアルピナ。恋は盲目とあるが、今回の心理は決して恋ではないだろう。そもそも種族が異なるのだ。異なる二者の間に恋愛感情が育まれることはない。猫と蜥蜴の間に恋愛が成り立たない様なものだ。
それで、とアルピナは話を転換する。朗らかな空気は一変して、その相好は真剣な眼差しへと変貌していた。
「首尾は?」
「順調よ。といっても、貴女が全くと言っていいほど面識を持たなかったお陰であの子達の説得に時間がかかったけどね。それでも、この星の暦で明日の朝には来られるみたいよ」
「神龍大戦で生き残った悪魔はワタシ達五柱だけだったからな。面識がなくても仕方がない。しかし、明朝というのは朗報だ。それでは、そろそろ英雄の仮面の下にあるあの子達の素顔を拝ませてもらおうか」
そうね、とスクーデリアは微笑む。眼下に広がる暗がりの町を見下ろしつつ、明日にはこれが意地と悪意の戦場になることを憂慮していた。
「クィクィの為にも、細工は流々にしなければね」
アルピナとスクーデリアはゆっくりと下降する。クオンが待ちわびる宿を目指して、その青と金色の瞳が満天の星々のように煌めくのだった。
次回、第80話は12/16 21:00公開予定です。




