第68話:光の剣
「待て‼」
アルバートとカーネリアは、剣を支えにして立ち上がる。それほど激しく運動をした覚えはないが、それでも肩で大きく呼吸する。地面と擦れて生じた傷から血が滲み、痛みで表情が歪む。眼前の魔王を決して逃すまいと立ち上がる姿勢は、もはや狂気にすら見える。己の身体状況を無視してでも毅然とした態度で睥睨する彼らは、英雄としての矜持と運命を受け入れたヒトの子の代表者としての覚悟を抱いている。
「なおも立ち上がるか。何度やったところで、結果が変わるとは思えないがな」
やれやれ、とばかりにアルピナは溜息を零す。ヒトの子と蔑称する態度は、魔王としての傲慢さと格差が溢出する。外見だけ人間の、全く異なる種族であることを暗に示しているような感覚が彼女の周囲を取り囲む。
「当然よ。折角の再会なのに、逃がすわけないじゃない‼」
二人は、それぞれ剣を構える。瞳が力強く輝き、太陽の様な焔を露わにする。自らが英雄であることを最大限活用し、人類の平和のために力を振るうべく立ち向かう。
日輪が天頂に輝く。ジリジリ、と照り付けるそれは頭頂を焼き、玉汗が額を伝い落ちる。高所特有の冷たい風が脇をすり抜け、服の裾を靡かせる。騒ぎは誰の耳にも届いていないのか、遠くから聞こえる喧騒に変化はない。誰もが長閑な平和を満喫し、二人とはまるで倒錯的な声は精神を刺激する。しかし同時に、それを守らなければならないとする覚悟を奮い立たせる増強剤としての役目も果たす。アルバートもカーネリアも、喧騒を力に変える様に大きく息を吐いた。
「いいだろう。君達の覚悟に応えるとしよう」
アルピナは右手を翳す。そこに、彼女の体内から溢出する力が集約される。それは決して目に見えないながらも、二人は朧気にその存在を知覚する。この世ならざる気配を内包するそれは、近くにいるだけに気を失ってしまいそうな悪寒が襲撃する。四肢が震え、先日の戦いに並ぶほどの恐怖が体内を渦巻いた。
天頂の日輪が曇天に隠れ、体感気温が数度下落する。世界全体が揺れているような感覚が足元を襲い、まともに立つことすら許してくれなかった。
「これはッ⁉」
「どうした、その程度か?」
アルピナの手掌が黄昏色に輝く。眩いばかりに輝くそれは、曇天の下で神聖な色合いにすら思える。しかし眼前に立つのは魔物を率いていた魔王であり、決して人間に友好的な存在ではない事を二人は肝に銘じる。
より一層輝きを増すアルピナの手掌に、アルバートもカーネリアも無意識に一歩後退する。可能なら脱兎のごとく敗走を決めたいところだが、理性がそれを拒絶する。啖呵を切った手前逃げ出すわけにはいかないという意地や、改めて重く圧し掛かる英雄の矜持がそれの基となっていたのだ。
そして、その輝きが齎す力は三人を離れて町全体に波及する。激しい振動と見えない恐怖が通りを抜け、風に乗って吹き抜ける悪寒が平和な喧騒を黙らせる。誰もがその手を止め、悪寒の出所を探る様に周囲を見やる。しかし、出所の分からない恐怖は人々の心に不信感と恐怖を募らせることになる。それはやがて微小な恐慌状態を発症させるに至る。
平和の喧騒は安全を欲する狂乱へと変容し、町の治安を急下落させる要因となる。誰もが右往左往し、町の守護を担う警備兵ですら応急的な処置すら出来ずに戸惑い続ける。
「さあ、始めようか」
アルピナは手掌に宿る黄昏色の光を細く伸ばす。それはやがて一振りの剣の形となって具現化され、彼女の手に収まる。
光の……剣⁉
アルバートもカーネリアも剣の使い方には私通しているが、その性能や本質を見極める観察眼は持ち合わせていない。故に、彼彼女が手に持つ光剣の持つ力の全てを窺い知ることはできない。しかし、例えそんな素人目でもその危険性は容易に把握できる。一度でも受けてしまえば、或いは掠るだけでも無事では済まないと本能が警鐘を鳴らしている。限りある生存本能が心臓の鼓動を際限なく加速させ、目に映る世界が非現実的な幻想のように錯覚する。
アルピナは徐に歩み寄る。一見して隙だらけのようにしか見えない所作。まるで無防備なそれに対し、しかしアルバートもカーネリアも動けない。少しでも動こうなら、瞬きにも満たない時間で細切れにされてしまう確信が二人の足を止めていた。
動けない……。
舌打ちすら零せないほどに余裕がなく、アルバートはただ無常に過ぎる時を見送る事しか出来なかった。そして、徐に歩み寄るアルピナ眼鼻の先までたどり着く。上段に構えた光の剣が死の香りを漂わせ、まもなく訪れるであろう死に対して諦観の境地を見る。
「せめて、ある程度の抵抗は魅せてほしかったが……どうやら期待外れだったか? やはり、どれだけ時が流れても所詮ヒトの子はヒトの子でしかないということか?」
そして、二人を一振りに仕留めようとする狂剣が迫る。死を確信したアルバートもカーネリアも、迫りくる剣をただ無言で見つめる事しか出来なかった。
「アルピナ‼」
今まさに二人の命を狩りとろうとしていた剣は、突如届く叫声によって止められる。彼女を呼ぶその声によって動きを止めたアルピナは、小さく舌打ちを零しながら光の剣を下ろす。しかし、舌打ちを零す冷酷な態度に反してその相好は柔らかく、まるで止められるのを最初から知っていたかのような冷静さも見えていた。
「クオンか。何の用だ?」
「何の用だ、じゃないだろ? 二人を殺すつもりか?」
まったく、と言いたげな態度でアルピナを責めるクオンの相好は、どこか困り顔だった。
アルピナの力に一切臆することないその発言に、アルバートもカーネリアも改めて格の違いを実感し、心中で劣等感を実感する事しか出来なかった。
「スクーデリアが呼んでる。油を売りすぎるな」
「ある程度進展があったのなら僥倖なのだがな」
魔王衆の目的が一切窺い知れない二人は、ただ無言で会話を聞くしか出来ない。殺意の嵐が止んだことを確信した二人は揃って剣を収め、クオンとアルピナを睥睨する。
「この町で何が目的だ?」
しかし、その問いに二人は答えない。光の剣を空中に霧散させたアルピナは、クオンの後に続くように裏路地を後に下。その場には、傷と汚れに塗れた二人の英雄だけが残されるのだった。
それを皮切りに、天頂の曇天は晴れ上がり、再びの日輪が町の上空に現れる。死の恐怖が乗せられた寒風も止み、民草達は平穏を取り戻す。そして、微かに恐慌状態は残るものの徐々にではあるが元の日常を取り戻すのだった。
そんな大通りを、一組の男女が歩く。一見してただの人間のようにしか見えないが、その実態は人間とは異なる側面を持つ。
純粋な悪魔の少女。そして彼女と契約を結んだ人間にして、強制的に勇者の領域にまで引き上げられた男。逸脱者の領域の中でも最上位階にまで上り詰めた男は、横に並び歩く少女を見下ろす。
「それで、なんだって急に殺しにかかったんだ?」
「スクーデリアとの闘いを見ていたら、ワタシも戦いたくなっただけだ」
「スクーデリアのあれは戦いと呼べるほどのものだったか? それに、確かにあの二人は人間としてはかなりの実力を持ってるみたいだが、お前が戦ったところで楽しめるとも思えんな」
予想が役に立たない、彼女の自由奔放な態度には疲労が積み重なって敵わない。辟易とした態度で契約主に振り回されるクオンは、双方の実力差に対して現実的な意見を零す。
「あの二人の内実は君にも説明済みだ。それに、直接会ってみればその真相も君の魔眼なら見通せるだろう?」
それはそうだが、と口吃るクオンは暫くの無言を挟んだ後に漸くといった具合に言葉を紡ぐ。
「これからどうするつもりだ? 現状、表に出てくる様子はないが?」
「どうにかして引きずり出さなければならないな。その為にも、スクーデリアと相談しよう。場合によっては、もう一度魔界に赴かなければならないかもしれない」
そして二人は、沿道の店に興味を奪われつつも悠々自適に大路を歩くのだった。
次回、第69話は12/5 21:00公開予定です




