第66話:情報共有
「先日の魔獣侵攻の件。どうやら町そのものに被害はなかったよですが、私達が気を失って以降に魔獣が攻め込んできた事実がないというのは本当でしょうか?」
「ああ。曇天が引いて以降は平和そのものだったよ。我々としては、また英雄様に救われたのだなと思っていたが……」
しかし、とマルクロは当時の感想が誤りであったことを理解する。アルバートとカーネリアの表情は暗く、まるで当時の民草の平和ボケを軽蔑しているとすら思えた。
「どうやらそうではないようだな。気を失ったとは聞いていたが、ただ力を使い切ったわけではないのか?」
「はい。順を追って説明します」
アルバートとカーネリアは、当時の状況を時系列に沿って説明する。多数の魔獣が襲撃して生きた事。従来の魔獣と異なり額に生える角の色が異なる事。強さ自体は大差なく容易に斃せたこと。そして、その先に待ち構えていた魔王衆の存在について。
「魔王?」
マルクロは尋ねる。至極当然の反応だろう。魔王などという存在は史実上存在したことはない。一部創作物においてのみその存在が確認される空想の産物でしかない。或いは一部神話のその名が浮上することもあるが、それでも所詮は神話である。神話を史実と捉えるか創作と捉えるかは個人の宗教観と信仰心に左右されるが、その内容から過度に誇張された史実だと解釈される場合は大半である。つまり魔王の存在もまた虚飾された偶像であり、強大な自然災害を擬人化した者だろうとする解釈が一般的だ。
そんな魔王が実在の存在として英雄の口から語られる。これが一般人の発言なら、適当に嘲笑しつつ追い返していただろう。可能ならそうであってほしかったし、そうしたかった。しかし、英雄の口から語られるという事実がそれを拒絶する。英雄の言葉を蔑ろにすることはできないのだ。それが魔獣に関わる内容であるが故に尚更である。
英雄や逸脱者は魔物退治を専門としてこれだけの地位や名声を高めてきた。政治を専門畑とするマルクロとは異なり、魔獣に関しては彼らに一日の長がある。その為、彼らの言葉を否定できるだけの力をマルクロは持ち合わせていないのだ。
「魔王という名称は、私が便宜上そうつけただけなので正式名称は不明です。彼らは三人組で、いずれも人間と同じ外見をしていました」
「クオンと呼ばれていた男っぽいのが一人で、女っぽいのが二人、それぞれアルピナ、スクーデリアと呼ばれてました。外見年齢は何れも私達と同じくらいでした」
人間と同じか、とマルクロは率直な感想を零す。情報を得られることは嬉しいが、得られる情報が何一つとして嬉しくない内容。嘘であってほしい、とどれだけ願ったところで過去を覆すことはできない。
「探し出そうにも人間と同じであれば探しようがないな」
「はい。その後の行方も不明ですので、或いはこの町の中にいる可能性すらあり得るでしょう」
アルバートとカーネリアは、それぞれ脳裏に三人の姿を思い浮かべる。魔獣や魔物と呼称する敵のように角がある訳ではなく、かといって特殊な出で立ちをしているわけではない純粋な人間。服装もまたこの国ではありふれたもので、その気になれば時や場所に応じて服装に着替えることもするだろう。そうなれば、後は顔だけで探さねばならない。
この町どころかこの国、延いてはこの星全体の中でわずか三人を探さなければならない。それは誇大な砂漠の中から一匹の蟻を探し出すかの如き難題で、例え百年あっても不可能だろう。
「唯一の手掛かりは、私達の記憶だけです。似顔絵を基に捜索する方法もありますが、それでも大きな問題が二つあります」
「二つ?」
「はい。一つは、まだ何も問題行動を起こしていない事です。確かに魔王衆は魔物と共に町の前にまで来ましたが、何らかの被害を引き起こしたわけではありません。それに、過去の魔獣被害が彼らの仕業だとする証拠もありません。二つ目は、見つけたところで誰も止められない点です。私やカーネリアですら、魔王衆の内の一人相手にして手も足も出ませんでした。仮にこの国の兵士を総動員したところで、得られる結果は悲惨な末路の可能性が大きいでしょう。決して私達の実力を誇張している訳でも無ければ国の兵士達の練度を乏しているわけではありませんが、そうなる可能性が高いかと」
英雄の言葉には覇気が込められている。覚悟が滲出している。未来を憂慮している。限りある可能性の糸を掴むために、彼は一切の遠慮も嘘も語らなかった。それは、彼の瞳に大きく映し出されている。これまでの、利己的な目的のために魔獣を退治していた時の瞳ではなかった。カーネリアも同様だった。彼女の瞳もまた覚悟を決めた、数少ない希望の糸を手繰り寄せようと藻掻く戦士の瞳だった。可憐さの裏から溢出する気丈な佇まいは、マルクロを怯ませる。
そして、マルクロは大きく息を吐く。事の重大さをヒシヒシと感じる彼の心は、これまでの政治家人生で感じたことがないような苦痛を受けていた。
気分が悪くなるような苦悶に、彼はテーブルの引き出しに手を伸ばす。そこから愛用の葉巻を取り出すと、火をつけて口元へ運ぶ。紫煙が口腔を満たし、快楽物質が脳を麻痺させる。しかし、普段と異なり今日はどうしても葉巻が美味しくない。心は多少落ち着くが、それでもその芯まで癒すことはできないでいた。
吐き出す紫煙が執務室を白くする。強烈な匂いにアルバートとカーネリアは揃って眉間に皺を寄せる。しかし、それがマルクロの精神を落ち着かせる手段だと知っているため、二人は敢えて無言を貫く。そして、ある程度精神状態が良くなったのかマルクロは葉巻を置く。
「英雄や逸脱者と呼ばれるだけの実力を疑うつもりはない。だからこそ、余計に対応が難しいな。二人で相手にならないとなると、相当の犠牲を覚悟しなければ……」
そもそも、魔王衆の目的すら定かではない現状を思えば対応策を打ち立てることは不可能である。その為、三人は揃って頭を抱える事しか出来ない。
「現状は、相手の出方を探るべきでしょう。しかし、対処は出来ずとも備えることはできます。ルビンスさんには、各地への喚起をお願いしたいのですが」
「わかった。できるだけのことはしておこう。二人も、何かわかったことがあればすぐにでも教えてくれ」
マルクロは深々と頭を下げる。それに対して二人は快諾の意を伝え、徐に立ち上がる。
「では、失礼します」
アルバートとカーネリアは部屋を出る。紫煙が滞留する執務室には、マルクロだけが残された。冷えた紅茶が町の未来を暗示するように不吉な波を立てた。
頼むぞ、英雄様。
マルクロは、無力な自分を卑下するように二人への祈りを心中で唱える。そして、プレラハル王国の各地に対して英雄から齎された情報を発信するのだった。
執務室を後にしたアルバートとカーネリアは、肩を並べて廊下を歩く。無言で歩く二人の覇気は、すれ違う人たちを無意識に威圧する。誰もがその姿に怯え、ただならぬ気配に不穏な気配を感じる。逃げるように立ち去る彼らを余所に二人は歩き続け、やがてカーネリアは徐に呟く。
「結局、具体的な解決策なんて思いつかなかったね」
「まぁ、元から出るとは思ってなかったさ。それに、無理やり出したところでそれが最善策になるとは思えないだろ」
だよね~、とカーネリアは天井を見つつ溜息を零す。横から射す陽光が眩しいほどに輝き、仄暗い天井が不穏に圧し掛かる。
次回、第67話は12/3 21:00公開予定です




