第65話:公邸へ
数分歩いて、アルバートとカーネリアは町の中心部へと戻る。相変わらず大勢の人が行き交い、それは中心部へ近づくにつれてその密度が増してゆく。喧騒が厚みを増し、熱気が町の最盛を迎える。華やかに彩られた店々が色彩豊かな商品をこれ見よがしに陳列して客を誘う。
しかし、アルバートもカーネリアもそんな誘惑には一瞥もすることなく大路を進む。石畳で舗装されたそれは町の裕福さを象徴し、それを彩る様に随所に散在されたモニュメントが民草達を見守る。
「公邸はどこだったかな?」
「え~っとね……たしか、あそこじゃない?」
カーネリアが指し示す先に聳えるのは、町の雰囲気を損なわない限界まで大きくつくられた建物だった。白い外壁に赤色の屋根は日輪の下で眩いほどに輝く。周囲を囲むように植えられた樹木や草花が通りを駆け抜ける風に靡き、それらに誘われるように小鳥達が飛来する。
レインザードに関わる一切の公的業務を請け負う機関がこの一軒に集約され、円滑な町の発展と運営のために多数の人員が配置されている。当然、町としてのみならず国として重要な位置に就く人間も多数存在することから、彼らを守り抜くために選抜された精鋭たちが目を光らせている。
一秒たりととも欠かすことなく警戒令が敷かれたその敷地に、アルバートとカーネリアは悠々とした態度で足を踏み入れる。当然、部外者が足を踏み入れてよい場所ではない。故に、一歩でも足を踏み入れた瞬間に無数の兵士達に周囲を取り囲まれる。しかし、それを彼らの当然の職務と心得ている二人は決して抵抗することも不満に思う事も無く大人しく立ち止まる。
「止まれ‼ ……あッ。失礼いたしましたテルクライア様、クィットリア様」
英雄や逸脱者として名声を得ている二人は、当然のことながらその顔は知れわたっている。その為、兵士達は自分達が取り囲んだ人が誰だったのか瞬時に判断してその矛を収める。
「いえ、こちらこそ突然申し訳ありません。今、町長はおられますか?」
「はい……先日の件でしょうか?」
アルバートは無言で頷く。その相好は真剣そのものであり、その雰囲気に兵士達は揃って気圧される。英雄の名は伊達ではなく、実績を伴う実力はそれに触れた人々を無意識に圧倒する。生と死の賭け事をしていない時でさえこれだけの覇気が生じるというのは驚異的だろう。
「今後を考えたら、私やアルバートだけだとちょっと手に追えそうになくて……できれば公的な支援が頂ければと思いまして」
一般人が彼らと同じように頼んだところで、その先にあるのは拒否しかないだろう。どれだけ熱意以て頼み込んだところで、正規の手順を踏まず口先だけの文句を並べたところで結果は眼に見えている。しかし、二人は英雄であり逸脱者である。それは二人の足元に確かな土台として備わり、事の重大性と対処の必要性を補強する。
「畏まりました。ご案内いたします」
この二人が嘘を言うはずがないだろう、という確固たる自信は、それだけ二人が信頼されていること。そして、期待されている事。魔獣が蔓延り人間の生活圏が侵略されつつある昨今の国内情勢を打破する起爆剤としての価値を見出されているが故の異例の対応である。
こうして、二人は特別苦労を必要とせず公邸に通される。
公邸の中に足を踏み入れたアルバートとカーネリアは、兵士の後を大人しく追従しつつその内装に目を配る。質素なのか豪華なのか素人目に区別できないが、わからないほどの価値を秘めているのだろう。往々にして、一軒豪勢に見せるものはそう見せかけるための欺瞞であったりするのだ。一見質素なように見えて実際は高価なものこそが、真に高価なものだったりするのが世の常。生活の中で直接触れることはないものの、英雄として持て囃されれば否応なしに目にすることが多いため、二人は知識としてそれだけは理解していた。しかし、やはり自分自身で所有していないためかどうしてもそれらを鑑別できるだけの眼は持ち合わせられないでいる。
しかし、それを二人は決して後悔することも不満に思う事もない。二人は単純に魔獣と呼称されている外敵を狩って楽しく生きていられたらそれでいいのであり、それを基にして成金として持て囃されようとは思ってもいないのだ。
「でもさ、アルバート。支援って言っても、具体的な策でもあるの?」
「現実的じゃないだろうな。俺達が相手にすらならなかった敵だ。言っては何だが、例え兵士を千人集めたところでどうしようもないだろうな」
二人は再び無言になる。窓から差し込む陽光が嫌になるほど眩しい。深刻な心境と相反する牧歌的な温もりは、町の平和の表れであると同時に二人の心の影の増強剤だった。
影は光があるからこそ影としてあり得る。そして、光が強くあればあるほど、影はその暗がりを明確にする。二人の心の影はそれと同じだった。世界が同じく陰に落ちていたらそれほど苦痛には感じなかっただろう。なまじ平和な町を維持しているが故に、その影は苦痛となって心を穿つ。
そして、数分ほどかけて二人は町長が待つ部屋の前にたどり着く。町長の時間が丁度空いていたのは全くの偶然だが、こうも抵抗なく通されるのは幾ら英雄とは言えどもやりすぎなのではないかとアルバートは常々思っていた。しかし、今回に限ってはありがたい思いでいっぱいだった。
権力は行使してこそ価値がある。ただ所持しているだけでは宝の持ち腐れであり、それは己の立場に甘えて胡坐をかいているだけの無能でしかないのだ。
兵士は、扉を三度ノックする。重厚な木製の扉が振動し、低い音を奏でる。
「テルクライア様とクィットリア様が来られました」
「通してくれ」
中から帰ってくるのは男の声。声色からして壮年の男性の様だった。そして、その声を合図にして扉が開かれ二人は室内に通される。
「よく来てくれた、英雄殿」
「英雄だなんてよしてください、ルビンスさん。俺達は、ただ普通に魔獣を狩ってるだけなんですから」
マルクロ・ルビンス。レインザードの町長として辣腕を振るう壮年の男で、物腰柔らかい態度は多くの町民から好かれている。アルバートやカーネリアも彼の態度には好印象を抱いており、マルクロもまた二人に対して最大限の敬意と信頼を抱き丁重に扱っている。
双方が双方を信頼しているがゆえに生じる心地よい空間は、瞬間的に事の重大性を忘れさせてくれる。しかし、そうも言ってられない事態であることを肝に銘じている二人はすぐさま元の緊張感を取り戻す。そして、まっすぐにマルクロの前に歩み寄る。
「それで、突然どうしたのかね? 先日の魔獣侵攻の件か?」
「はい。今回ばかりは、私やカーネリアでも手に余るほどの事態です」
「……詳しく教えてくれ」
愚昧な政治家だったら、彼の発言を楽観的視座で否定しつつ二人を下がらせていただろう。英雄乃至逸脱者として武勲を立てているほどの世界的強者が泣き言を言うはずがない、と大抵の場合なら考える。アルバートも、最悪の可能性としてそれを考慮していた。
しかし、マルクロは違っていた。アルバートとカーネリアの切迫した瞳から事の重大性を把握し、彼らの言葉に真摯に対応する。それは彼が決して無能な政治家ではない事の証左でもあり、過度な楽天家ではない事の表れだった。
二人はマルクロに促された腰掛けると、小さく息を零して冷静さを保つ。激情に駆られて真実を歪曲してしまわないように、過度な恐怖も過小な評価もしないよう留意しつつ語る。
次回、第66話は12/2 21:00公開予定です




