第61話:闘争観戦
魔物達と英雄達はその殺気と覚悟を衝突させる。
運命を二分する闘争は、一方の信念と他方の遊興によって構成される。その乖離した心持ちは、しかし戦いの場にあって何一つ影響を及ぼさなかった。本来であればアルバートもカーネリアも、半端な気持ちで襲い掛かるだけの相手に後れを取るほど軟弱ではない。他者の意のままに襲撃するだけの傀儡人形如きに負けるはずはない矜持を常に持ち合わせていた。
しかし、その前提と実績は眼前の魔物の前で音を立てて崩れ去る。謎の三人組が裏工作を施したのか魔物と聖獣の差異によるものかは不明だが、これまでの戦いで培われてきた戦法が揃って役割を放棄しかけている。全く通じない訳ではないものの、まるで魔獣退治を始めた当初の様な苦戦を強いられる。
「くッ……どうなってるの?」
カーネリアは苦悶に相好を曇らせながら魔物達に剣を突き立てる。苦戦こそしているものの勝てない相手ではない絶妙な実力差。しかし、これまで戦い続けてきた聖獣と唯一異なる黄昏色の角に最大限の警戒を継続しながらも、彼女は微かに戦い方を理解しつつあるようだった。
「ほう、なかなかどうして面白い戦いになっているようだ」
「そうね。でも、それを含めて貴女の想定内でしょう? 随分、ヒトの子に優しくなったわね」
やれやれ、とばかりに微笑を浮かべるのはスクーデリア。彼女達は眼前の戦いを、まるで演劇を観賞する様な穏やかな態度で見据える。そんな彼女たちの会話は、まるで遠い昔を懐かしむよう。それも、つい最近の事ではなく遥か永劫の過去に思いを馳せるような儚い瞳。彼女達の外見からは到底計算が合わない様な色めきを浮かべるその様は、アルバートもカーネリアも揃って違和感を覚える。
しかし、そんな余裕が続くほど彼らの置かれている状況は喜ばしいものではない。負けそうではないが、決して楽に勝てる訳でも無い相手との長時間の戦いは、着実に二人の体力と気力を蝕んでいく。
一向に減る気配がない魔物達の様子は、まるで見えないところで補充されているのではと錯覚するほど。たった二人で相手取るにはどうみても多すぎるほどだ。
「クソッ、終わる気がしねぇな……。カーネリア、そっちはどうだ?」
「う~ん、こっちも同じかなぁ。それなりに殺せたと思うんだけど、全然減った気がしないよ」
辟易するほどに迫りくる魔物達は雪崩となって二人を覆う。それでも彼らを完全に殺しきれないのはそれだけ彼らが強い為か、或いは殺さない様に何かが手ぐすねを引いているのか。決して真相に至ることができない二人の逸脱者は、弱音を吐くのをやめて黙々と魔物を狩り続ける。
一方その頃、そんな彼らの苦労を露と知らないレインザードの民草達は徐々にではあるが落ち着きを取り戻しつつある。絶えず上空で渦巻き続ける曇天と、それを補強するように時折轟く魔獣の雄たけび。それらが絡み合うことで、レインザードにはこの世ならざる恐怖と死の香りが間断なくなだれ込む。それにあてられた民草達は、そうじてその精神を平穏から最も遠い場所に置き去りにすることとなる。それは、群衆の中に不規則な恐慌状態を引き起こす。そして、その恐慌状態が更なる恐慌状態を誘引し、結果として町は町としての機能の大半を喪失する。
統率力を亡失し、個々人が個々人の本能に由来する不規則行動をとることは、その集団から集団的自衛能力を奪うことに等しい。個人で魔獣に勝てないからこそ集団として行動をしているにもかかわらず、各個人が単独の意志に置かれてしまえば誰一人として自分の命すら保障できなくなるのだ。
そんな彼らだが、唯一共通してその心に秘めているのは英雄乃至逸脱者に対する絶対的な信頼と信奉だった。
彼らならどんな窮地も覆してくれる。人類社会の文化文明を脅かす絶対悪的存在である魔獣を必ずや駆逐してくれる。そんな思いは例え恐慌状態にあっても失われることはなかった。寧ろ恐慌状態にあってこそ、その信仰心は輝きを増す。
その力は、恐慌状態の群衆の中で団結力を齎し、結果的に恐慌状態が治まらないまでもそのベクトルを同一方向に向けてくれる。そのお陰もあり、昨日を失った街でありながらも火事場泥棒の様な一定の愚行は行われる事無かった。そしてそれは無駄な不利益を予防するのみならず、残存する公的な暴力装置を町の外に向ける余裕を生み出す。
しかし、余裕がある事と実行することは同一ではない。英雄様がいるから、という希望が徒に危険に身をさらす可能性を抑え込み、警備と守護の為に駐在する兵力は誰一人として町の外へ出行くことはなかった。
その結果、余剰戦力を有していながらもアルバートとカーネリアは魔物相手にたった二人での戦いを余儀なくされていた。そんなことを露と知らない二人は、玉汗と返り血で肌を濡らしながら肩で息をする。
一体何分経過しただろうか。数分の様でもあり数十分の様でもある。或いは、数時間経過したかもしれない。日輪が曇天に覆われて正確な時間が把握できず、経過時間を数えられるほど心理的余裕もない。それが結果的に二人の時間感覚を喪失させるが、そんなことは二人にとってどうでもよいことだった。
眼前の魔物を排除する。ただそれだけが二人の脳裏にこびり付き、圧倒的不利な対面に会ってさえ希望の光を奪うことができなかった。
「どうする、アルピナ?」
クオンはアルピナに問いかける。心配というよりは単なる疑問であり、その相好はどこか退屈そうでもある。そんな彼を一瞥しつつ、アルピナはごく自然なウィンクと共に一つの提案を投げる。
「暇そうだな、クオン。君が戦ってみるか?」
「……流石に人間と剣を交えられるほどヒトの子としての道は踏み外してないな」
眉を潜めつつ、彼は声を小さくして反駁する。しかしその手は腰に携えた剣にしっかりと伸び、いつ何が起きても対応できるだけの戦闘意識だけは確保されていた。そんな彼の態度を見たアルピナは、それを嘲笑するように指摘する。
「そう言いつつも、君の本能は戦いを渇望しているようだな」
「あの二人がいつこっちに矛先を向けるかわからないだろ? 本能ではない。俺がそんな同族に対する殺人に快楽を見出すタイプではないことぐらい、お前なら知ってるだろ?」
「冗談だ」
しかし、とアルピナは心中で吐露する。例え読心術があろうとも決して悟られることがない深層心理の中で、彼女はクオンの横顔から過去の体験を想起していた。
強ち嘘ではないはずだ。現状それを知るのはワタシとスクーデリアだけだが、いずれ君自身も知らなければならない事。失望するなよ、クオン。
闘争の直中にあってさえ純粋に輝く碧眼を金色に染めかえて、アルピナは戦場とクオンは交互に見据える。その深層にあるのは誰にも打ち明けられない歴史。最古の友人の一柱であるスクーデリアですら表層しか知らされていない歴史に、彼女は無際限の感情を向ける。何れ訪れるであろうその時を確実に迎えるために、彼女は眼前の闘争に注力するのだった。
一方、同時進行的にアルバートとカーネリアは疲労が蓄積する心身に鞭を打ちながら剣を振り続ける。英雄乃至逸脱者と崇められている矜持が不屈の闘志となって二人を鼓舞する。
爪や牙を用いた攻撃のみならず、黄昏色の角から放たれる各種魔法が二人を追い詰める。それは、二人がこれまで戦い続けてきた聖獣が使用してきた魔法——正式名称は聖法だが、人間社会にそれらを判別する知識はない——とは少々異なるように体感する。しかし、だからと言って受けられないわけではなかった。これまでの戦いの経験を応用することで、二人は魔物達が放つ魔法を打ち払う。
そんな天賦の才とも感じられそうな戦闘方法にアルピナ、スクーデリア、クオンはそれぞれ関心の眼を向ける。
「魔法への対応力も悪くないな」
「魔法と聖法は根源とする力は対極する。ワタシやスクーデリアは魔法の本質が具現化したような存在である以上その対応は慣れているが……」
「ヒトの子の身であれだけの対応力を見せるということは、答えは一つしかないわね」
フフッ、と柔和な笑顔を浮かべるスクーデリア。しかし、その瞳は一切笑っていなかった。まるで氷の様な冷たい視線が金色の双眼から放たれ、眼前で死闘を繰り広げる二人の逸脱者を睥睨する。
次回、第62話は11/28 21:00公開予定です




