第59話:不安の雲
前話、誤りがあったので一部修正しました。
そんな不安と違和感の顔色に染まる彼らに対して、町の住民は総じて日常と大差ない顔色のまま。寧ろ、魔獣の存在を察知して駆ける彼らを不思議に思いつつ見つめていた。
平和を与えられることは危険から身を遠ざけること。それは結果として自らの危機管理能力を衰退させ、背後より忍び寄る死の足音を聞き漏らす。
そんな中でも、一部の人たちは慌てて駆ける彼らの姿を見て一抹の不安を脳裏に過ぎらせる。常日頃から魔獣を大量に狩り続け、敗北の二次を遥か彼方に投げ捨てたような二人がそれだけの態度をとっているのだ。ヒトの領域を乗り越えられていない一般人である無垢の民草達が不安に思うのも無理はない。パニックに陥って町の機能が停止いしていないだけでも賞賛に値する。それほどまでに、彼ら英雄と逸脱者の存在は彼らにとって規格外の安全策として機能していた。
しかし、それは裏を返せば町の安全が二人に依存してしまっていることを暗に示しているようだった。公公ではなくあくまで私人の枠組みでしかない彼らに町の安全と平和を預け、能動的に身を守ろうとしない彼らの態度は実に合理的なものだ。しかし、合理的であるがゆえに人間的温かさからは遠ざかる。当事者であるアルバートとカーネリアからしてみればありがた迷惑な話なのだ。
そもそも彼らが魔獣を狩り続ける目的に、平和を奪還するだとか親しい人を奪われたことに対する復讐といった崇高な目的がある訳ではない。ただ純粋な興味関心に由来する魔獣退治と金策でしかない。その為、背後で祈る民草達の優先順位はかなり低めに設定されている。それえも彼らが町の人々のために戦い続けるのは、偏にその名声が自身に対して有利に働くから。名声が高まれば高まるほどに人々からの信頼は上昇し、それが更なる魔獣退治の機会と金銭を生み出す。そしてそれが更なる名声を呼び込むといった、双方にメリットしかない循環構造が形成されていたのだ。
そしてそれはやがて彼らの心に正義感へと形を変え、現在では利己的感情と利他的感情の優先順位が逆転していた。
「でもさ、急になにがあったんだろ?」
「さあな? 恐らく、カルス・アムラの争乱で魔獣の棲息圏が乱れたんだう」
「う~ん、そうかな? それにしては、凄い嫌な予感がするんだけど……」
心臓に刺さるような違和感にも似た不安をカーネリアは吐露する。決して無視できない違和感の正体を拭えない彼女は、この先に訪れるかもしれない悪い未来に表情を曇らせる。
アルバートもカーネリアもそれぞれ英雄や逸脱者として信奉されているが、決して常勝の天才ではいられないのだ。その立場故に誰にも弱いところを見せまいとしているだけで、その裏では無数の挫折と敗北を乗り越えてきた歴史がある。その歴史を無視せずに向き合ってきたからこそ今の自分たちがあると知っているからこそ、カーネリアは敗北の可能性も考慮できる。
それは当然アルバートも同様であり、彼女の不安と悪寒を頭ごなしに否定することはない。同情と賛同の意見しか持てなかった。
「ああ、わかってるさ。だが、ここでどれだけ考えてもわかるような問題じゃない。直截この目で見てみなければ……」
得体のしれない恐怖に彼は舌打ちを零す。そもそもその生態や正体が不明瞭な魔獣から得体のしれない悪寒が走ったところで何ら不思議ではないが、今回だけは本能がそれを否定していた。もっと、これまでの魔獣退治では一度も味わったことがないような最悪の可能性が降りかかりそうな気がしてならなかった。
そんな中、レインザードの町の外には無数の影が姿を現していた。その誰もが人間では遠く及ばない力を持った外敵であり、誰もが人間が住む町に対してただならぬ視線を向けていた。
その上空には不可解なほど重くくすんだ黄昏色の雲が渦巻いて日輪を覆い隠している。冷風が上空から吹き降ろし、死を前にした死刑囚の心情の様な無感情な風景が広がっていた。草木は寂しく揺れ、小動物たちは身の危険を感じたのかどこかへ身を隠す。
それは、いつかのカルス・アムラの争乱を思い起こす程に人間的感情から剥離した奇妙なものだった。それを町の中から見上げていた子供たちは、無知故の幸福感から与えられる好奇心で曇天を指さす。純粋な瞳はまるで新しい玩具を与えられたときのように鮮やかで、それにつられるように周囲の大人達も挙って空を見上げる。
「おい、なんだあれは?」
平和な喧騒がやがて不安と恐怖が齎す動揺に変換され、それは人々の理性と本能の力関係を逆転させる。心の強弱に関わらず、それを見た人々のとる行動は千差万別だった。逃げる者、呆然とする者、興味を抱く者、無視する者。共通しているのは、どれ一人としてそれを日常の一コマとは思わなかったことだ。アルバートとカーネリアが抱く悪寒の正体は、それが視覚化されて初めて民草の心を動かし始めた。
そんな町の入り口広場だったが、そこへ漸くアルバートとカーネリアは到着する。周囲の人々と同じように曇天を見上げ、それが持つ悪意の塊に睥睨する。
「テルクライア様、クィットリア様‼」
英雄と逸脱者の姿をその目に捉えた無力の民草達は、救世主の降誕を見出した孤児のように無際限の救いを求める。誰もが、己の無力を二人の実力の変換することで己の他力基本眼な感情を正当化する。そんな民草を横目に一瞥したアルバートとカーネリアは互いに視線を合わせて無言で頷く。町の外に待つであろう敵が何者かは不明であるが、最悪の事態にまで発展しないことを祈りつつ剣を抜く。
「おおッ‼」
そんな彼らの姿を見た民草はそれぞれ歓声の声を上げる。それは英雄と逸脱者による救済が確定したことに対する安堵に由来するものであり、アルバートとカーネリアはそんな声に背中を押されるような気がする。
そして、人々の期待と羨望の眼差しに背中を見られながら二人は町の外に出る。
町の外には無数の影が蠢き、遠巻きではその個体は識別できないが恐らく魔獣だろうと二人は判断する。
「やはり魔獣だったか……」
「みたいだね。でも、どこか違和感が……」
カーネリアは遠くから徐に近づきつつある魔獣と思しき物体に目を凝らす。やがて朧気ながらも浮かんでくる詳細な輪郭を視認して、カーネリアはその正体に確信を抱く。
「やっぱり、魔獣だ。頭に角があるし間違いないよ」
カーネリアが指さす先に展開する魔獣たちは、それぞれその頭部に角を一本伸ばしてその強烈な殺意を増強させる。しかし、一見していつもの見慣れた魔獣のようでもあったが一点だけ異なる点が見受けられた。
「あれ? 角の色が違う……?」
魔獣の角は本来暁闇色。それが彼ら二人を含む魔獣を知るすべての人物が知る常識だった。しかし、今二人の眼前に出現した魔獣たちは総じて黄昏色の角を曇天の下で輝かせていた。個体差か、或いは別種か。その差異の原因を確定できないアルバートとカーネリアは突撃しようとする足を止める。
「この距離でよく見えるな。何にもわからんが……色が異なる角か……。魔獣じゃないってことか?」
「でも、あんな色の動物っているかな?」
いや、とアルバートは否定する。動物学の権威の様にあらゆる動物に精通しているわけではないため、これまでの魔獣退治で培った知識の上での発言だった。
「ただの個体差であってほしいと思いたいが、別種の可能性も考慮して警戒すべきだろうな」
ふぅ、と息を吐いたアルバートは改めて眼前の魔獣と思われる集団を睥睨する。そして、改めて手にした剣を強く握りしめると徐に歩み出る。それに続くようにカーネリアもまた彼の横に並ぶように小走りで追いかける。
次回、第60話は21:00公開予定です




