第57話:悪魔達の茶会
第一章完結。次回より第二章に突入します。
一方その頃、クオン達と別行動する二柱の悪魔は近くの喫茶店に立ち寄る。特別変わった店でもなければ旧時代から存在する様な老舗でもない。ただ目に入ったから立ち寄っただけの、いわば気まぐれにしか過ぎない。しかし、不思議と彼女達の嗜好に合って店内は自然と心落ち着かせてくれる。
空いた席に腰を下ろしてで足を休めつつ、アルピナとスクーデリアは和やかな時を過ごす。テーブルに置かれた紅茶は芳醇な香りを漂わせ、二柱の鼻腔を癒す。温かさを存分に示す湯気が仄かに立ち昇り、彼女達の冷めた感情を温める。
窓辺に視線を傾け、頬杖をついたアルピナは口唇を艶やかに濡らし、対面に座る妖艶な悪魔を見る。スクーデリアもまた長い脚を組んで腰掛け、瞳を閉じて甘い口どけを静かに楽しむ。
そんな二柱が齎す空間は、何て事無い喫茶の一欠片にあって何て事無い非日常的な高貴な空気を齎す。
そしてそれは、二柱だけの空間を飛び出して店内全体に振り撒かれる。彼女達がヒトの子ならざる存在である事を知らない無垢の民草達は挙って彼女達の相好に頬を染め、視線が右往左往する。しかし、そんな彼らの心持ちなど露知らずといった様子でアルピナとスクーデリアはそれぞれ微笑を浮かべる。その心は久しぶりの再会を喜ぶ穏やかな感情しか持ち合わせていなかった。
「こうして落ち着いて君と話すのも懐かしい。何年振りだろうか?」
「ええ、そうね。貴女がこの世界から去ったのが今から10,000年前。丁度、第二次神龍大戦の終戦直前だったかしら?」
「大戦自体は1,000,000年ほど続いたな。と、なると直近の平和は最短でもそれ以上前になるか。君はこれを長いと思うか? それとも、神の子の視座では短いと思えるか?」
「そうね。この星の暦の影響でしょうけど、随分時間がかかったように感じるわね」
「それでも、ワタシ達が生きてきた時間を想えば大したことないだろう」
スクーデリアは無言でティーカップを口元に近づける。まるで鏡写しの同一人物のようにアルピナも動きを同調させ、窓越しの青い空を見つめる。遠くの空には純白の翼を羽ばたかせる小さな鳥達が飛び交い、聖獣——ヒトの子から見れば魔獣——被害を忘れた民草達の喧騒と併せて和やかで陽気な陽が射し込む。大人も子供も、若者も老人も、男も女も、その国民性を対外に見せつける様に分け隔てなく入り混じり喧騒を奏でていた。
スクーデリアは手にしたティーカップをソッとソーサーの上に置き、テーブルの上に戻す。紅色の口唇がより一層艶やかに染まり、目にするだれもが頬を同色に染める。対面するアルピナもまた、系統こそ違えどその悪魔的魅力は同様の注目を集める。猫の様に大きな蒼玉色の瞳は彼女の少女的な可憐さを助長させるが、その鋭利な眼光と無感情な口調は快活さの中に潜む冷徹さを表面化させる。それでも、そのギャップが却ってそれを聞く人々に蠱惑的な魅力として映っていることを彼女は知る由もない。物好きな人間もいるものだな、と適当に遇らいつつ神妙な面持ちで彼女は問いかける。
「なあ、スクーデリア?」
両手両足をそれぞれ組み、その視線は対面に座すスクーデリアの目を見据えていた。蒼玉色の瞳が無意識に金色の魔眼に染め替わり、それに見据えられたスクーデリアの相好は否応なく緊張する。
「どうしたのかしら、そんなに改まって?」
「この旅の終着点はどこにあるだろうか?」
スクーデリアは、龍魂の欠片を集める旅やアルピナとクオンの契約について全てアルピナから説明されている。それこそ、いまだクオンにすら伝えていないアルピナだけが知っている秘密についても部分的に知らされている。故に、スクーデリアはアルピナと同じ視座からこの旅の行方を思う。
「難しいことを聞くわね。それは貴女にしかわからないんじゃないかしら? 天使達の暗躍に関しては私にも関係あるけど、龍魂の欠片については貴女とジルニアしか知らないもの」
スクーデリアからの指摘を聞きつつ、アルピナは龍魂の欠片をめぐる一連の出来事を思い出す。
それは、彼女にとって最も信用深く付き合いが長いスクーデリアにすら教えていない秘密。ジルニアとアルピナのたった二柱だけが知っているはずの出来事。
一部の天使達は知っている様だが、既に知っている者についてはどうしようもないと諦めが付いていた。それでも、あまり多くを語りたくない程の出来事が彼女とジルニアとの間に会った事は事実であり、それは彼女の心に大きな悔恨となって渦巻いているのだ。
「それより、シャルエル達が能動的にこれだけのことをするとは思えないわ。きっと天使長辺りが何か企んでるのでしょうけど……」
天使長という階級を聞いて、アルピナもスクーデリアも同じ人物を脳裏に思い浮かべる。それは、背中に三対六枚の翼を生やした小柄で可愛らしい少女の姿をだった。
「天使長と最後に会ったのは終戦直前だけど、恐らくあの子よね?」
「ああ、あの子が10,000年程度で代替わりする訳が無い。そもそも、交代すれば私達が知らないはずがない。と、なるとやはり……だろうな」
「ええ」
やれやれ、とばかりに二柱は揃って溜息を零す。喫茶店全体を漂う朗らかな雰囲気、陽気な音楽。それと相対する重い空気がそのテーブルを沈み込ませる。ティーカップの水面が風も無しに波打ち、湯気が朧気に揺れる。彼女達の魂から零れ落ちる微小な魔力が、店内に実害が及ばない程度の微かな影響を齎す。
そんな重苦しい空気を振り払うように、アルピナは徐に口を開く。
「フッ。折角の再会だ。湿った話は野暮か? それより、もっと明るい話をするべきだな」
「そうは言っても、貴女は外の世界を彷徨い、私は天使の掌の上。明るい話題も無いでしょう」
「ないならこれからつくればいい。幸い、ワタシ達に時間の制限はないからな」
そうね、とスクーデリアは微笑む。その顔は悪魔より天使に近く、視界に映った誰もがその相好に心奪われる。長身に鈍色の長髪を持つ大人びた女性然としたその外見は、見る人に安らぎと信頼を与える。室内を風が通り抜け、柔和なウェーブを描く彼女の腰に届く程に長い髪が揺れた。
同胞の悪魔が封印されていてもなお彼女達がこうして余裕を持った心持ちでいられるのは、偏に彼らに対する信頼があるからこそ。ヒトの子では到底敵わない長い時間で培われた信頼は、長い長い戦いによる生と死の綱渡りを共に乗り越えた為。それは敵である天使に対しても同様であり、封印までした悪魔を態々殺しはしないだろうというくだらない信用を抱いていた。
「それで、次はどうするのかしら? 魔力が感じられない以上、恐らく他の子達も私と同じ状況になっているのでしょうね」
「ああ。ワタシがいた時と変わっていないのなら確か北がクィクィで南がヴェネーノで東がワインボルトだったか?」
「ええ。貴女が去ってからもそれは変わってないわ。……そうね、クオンがいるのなら先にクィクィのところに行くべきでしょうね」
「そうだな。あの子はヒトの子が好きだからな」
「それに、性格的にも丁度よさそうじゃないかしら?」
決まりだな、とアルピナは笑う。それは新たな旅の始まりを期待する好奇心と、古い友人と再会できた喜び、そしてこれから会う新たな友人との再会を夢見る喜びからくるものだった。
二人は喫茶店を後にすると丁度通りかかったクオンと合流する。
「あっ、いたいた。一体どこまで行ってたんだ?」
「気にするな。ワタシも君も幼子ではない。常に手を握っておく必要もないだろう。それとも、それを望むか?」
「え、遠慮しておく」
「冗談だ。それより、そろそろ次に行こう」
「ああ、次は何処に行くんだ?」
「目的地は北だ」
王都より北方、通常の馬車で数日程かけた先に広がるのは長閑な町レインザード。次の目的地はそこだった。
次回、第58話は11/24 21:00公開予定です