第54話:森を抜けた先で
聖力が魔力を隠してくれてる……これならバレずに行けるかも……。
その時、森の深奥で奇妙な聖力の放出を感じる。それは、聖力がまんべんなく満ちる森の中でも容易に感じ取れるほどに奇妙なもので、ナナは金色の龍眼をその方角に向ける。そして、その聖力の影に微かに映るもう一つの力を探知して呆然とする。
「これって……龍脈……お父様の部隊とと天使が衝突してる合図……」
その力の原因をいち早く理解したナナは、絞り出すように声を零す。しかし、自分ではどうすることもできない事を彼女自身よく理解していた。天使どころか聖獣にすら敵わない自分では、例え駆け付けたところで足手纏いにしかならない事は火を見るよりも明らかだった。故に、一瞬の逡巡こそあれども彼女は再び進行方向を向き直る。己の不甲斐なさに涙したくなるが、啖呵を切って独り進んでいる手前ここで戻れば見逃してくれた父の覚悟を無碍にするようなものだった。故に、彼女はアルピナとクオンの元へ急ぐのだった。
お父様、それに皆さん。どうかご無事でいてください。
心の中で同族たちに無事を祈願しつつ、ナナは森を駆け抜けるのだった。
それからさらに数時間、ナナは世界が反転しそうな自然災害に見舞われる森の中を恐恐として進む。強力な聖力と魔力の衝突が生み出す天変地異に押し返されながら、その震源地である地へ足を進める。龍眼を開けば莫大な情報量に頭痛が憎悪され、目眩と吐き気にうずくまる。その為、彼女は龍眼を閉じて進む。これでは目から得られる情報量は半減するが、開眼し続けるのは命の危険が伴うと本能が警鐘を鳴らしていた。
しかし、例え龍眼を開かなくても彼女はその力の出所が誰のものかは容易に想像がつく。アルピナとシャルエルの放つ神の子の力は、それほどまでに強力でありそれほどまでに恐ろしかった。
突風や地震に覚束ない足をどうにか支えて、彼女はさらに奥へ進む。最早周囲の危険に気を配る余地も無かったが、この天変地異が却って身を護るバリアとしての役割も担っていた。ナナは、その自然のバリアを隠れ蓑にしつつ巨木にしがみつきつつ移動する。
凄い力……。まだ距離はあるはずなのにまるで目の前で戦っているような……。これが天使と悪魔の力……。
額に汗が滲み、恐怖と畏怖のどっちともつかない震えが全身を襲う。魂そのものが震えているかのようなそれは、彼女のこれまでの短い人生の中では一度も感じたことがないようなもの。それは決して表面的なものではなく、もっと生物学的な根源を突く様なものだった。
それでも、彼女は進み続ける。それは矮小な羽虫が蠢動する様な速度だったが、それでも確実に前進している一歩だった。風に煽られる草木が擦れる音が間断なく鳴り続け、根元から薙ぎ倒された木々が散在する。その間を花弁が舞い、単色の森にさりげないアクセントを与えてくれていた。しかし、だからと言って倒錯的な自然環境が改善するわけではない。どれだけその中に美を見出そうとも、厳しいことには変わりないのだ。
結果的に、ナナがカルス・アムラ古砦の近くに到着したのは天変地異が治まって暫くしてからだった。聖力と魔力の衝突が止み、カルス・アムラの森はそれまでの静寂のを取り戻していた。それどころか、森全体を覆う濃密な聖力の霧が晴れ上がりつつ経った。
「聖力が……⁉」
聖力の消失は、それを発生させていた要因の消滅を意味する。即ち、カルス・アムラの森を拠点にして蠢動していたシャルエルの死が確定したことの証左だった。
兄との再会に期待が膨らむナナは、森の奥に見える古砦に向けて進むのだった。
その後、聖力の影響が希薄になりつつある森を抜けてカルス・アムラ古砦に到着したのはそれから更に暫くしてからだった。巨木の幹を支えにしながら肩で息をしつつ、頬を伝う玉汗を拭う。空になった魔力を乾いた口腔で渇望しつつ、古砦の根本に空いた入り口扉を草木の影から見据える。
あれが……遺跡の入り口……。アルピナ様もクオン様もあの中に……。
金色の龍眼で二者の魔力を探知しつつ、彼女はその出所である塔の上階を見上げる。しかし同時に、彼女は三つの違和感に気が付く。一つ目は魔力反応が二つではなく三つであること。二つ目はそれらが徐々に降下してきている事。そして三つ目が、その魔力反応の中に小さいながらも龍脈の反応がある事だ。決して見違えることない、彼女が心の底から望んでいたレイスの魂だった。それは、レイスが無事でありアルピナとクオンがシャルエルの手から彼を取り戻したことの何よりもの知らせだった。
それから間もなくして、クオンとアルピナはスクーデリアとレイスを連れて古砦から出てくる。それを視認したナナは、草木の影から飛び出して駆け寄る。
「アルピナ様‼ クオン様‼」
「ああ、ナナか。どうしてここにいるんだ?」
実は、とナナはその尤もらしい質問に答える。アルフレッド達を止められなかったこと、別行動の末独りここまで駆け付けたことを彼女は明かす。それをすべて明かした時、ナナは言葉では言い表せない安心感と後悔の波に襲われる。兄であるレイスが無事であったことは彼女にとって何よりもの安心感ではあるのだが、同時に父親を見捨ててしまったことに対する何よりもの後悔の念が今になって自覚されるのだ。
それを見透かしたのか、アルピナは彼女を安心させるように徐に口を開く。猫の様に大きな蒼玉色の瞳は金色の魔眼に染め替わり、森の奥に仄かに燃える魂を見透かしていた。
「どうやら、君の父親は無事に町まで帰還したようだ。流石に全員無事とまではいかなかったようだがな」
随分と減ったようだな、とどこか物寂し気な声色で彼女は零した。
「それでも、魂が霧散した様子はないみたいね。全ての魂が無事に輪廻の理に乗せられたようだわ」
「相変わらず君は眼がいいな。しかし、そういう事であればリリナエル辺りが上手くやってくれたという事だろう。天使とは言えども、不必要な職務怠慢までは蔓延していないようだ」
金色の魔眼で森全体を見渡すスクーデリアにアルピナは感心するように呟く。
彼女の魔眼はアルピナのそれを上回る性能。アルピナですら認識できない痕跡からその真実を見通すことができるが、その代償として常に開眼し続けている〝不閉の魔眼〟。故に、彼女は金色の魔眼を隠すことなく晒し続けている。
そんな彼女の口から告げられる真実に、ナナは言葉で表せない感情に包まれる。父が無事だったことの喜びと同族が命を散らしてしまったことに対する悲しみ。相反する感情が同時に彼女の心を襲い、まだ稚い彼女には処理しきれない難問として重くのしかかっていた。
それでも、彼女は瞬時に心を切り替える。先ずは、兄レイスを救ってもらったことに対する喜びと感謝を契約主であるアルピナとその仲間であるクオンに告げる必要がある。
「アルピナ様、クオン様。この度は、我が兄レイスを救出して下さりありがとうございました」
「ワタシはあくまでも契約に則り行動したに過ぎない。それに、ワタシ達はワタシ達としての目的があってこの地に来る必要があったからな。結果論的に互いの利害が一致したということにしておこう」
それより、とアルピナは微笑を浮かべる。ナナの瞳の奥にかつての旧友の面影を感じながら、近いうちに訪れるであろう約束の完全なる遂行を夢見る様に呟いた。
「町に戻るとしよう。このままでは、ワタシもクオンも君の兄を誘拐した大罪人として町を追われかねないからな。君の兄に無実を証言してもらうとしよう」
そしてクオンとアルピナは、スクーデリア、ナナ、レイスの三者を伴ってカルス・アムラに帰還するのだった。
次回、第55話は11/21 21:00公開予定です