第53話:不問と単独
翌朝、ナナは巨大な爆発音とともに飛び起きる。それはアルピナが牢屋は破壊した音であり、爆発音とともに齎される莫大な魔力が彼女の脳を激しく打ち付ける。
「これは……アルピナ様の⁉ 早く行かないと……」
痛む頭に顔を顰めつつ、ナナは扉を開け放って飛び出そうとする。しかし、その扉の前で守護する警備兵たちに阻まれる。
「離してください‼」
申し訳ありません、とナナの抵抗を止めるのは龍人の兵士ケンバルド。例え相手が龍王の実娘とはいえ、職務としてそれを止めねばならないのであれば一切の遠慮は取り除かれる。
「これも貴女の御父上からの命令ですので。ナナ様は安全が確認できるまでは自室にて待機していてください」
「安全が確認できるまで? そんなことをしていては何時まで経っても出られません!」
ナナは力任せにその拘束を脾りはらう。年相応の小柄な体格の果たしてどこにこれだけの力が宿っているのだろうか、と驚愕に動きを止めてしまう兵士達。そのスキにナナは廊下を駆け抜けて姿を隠すのだった。
アルピナ様の魔力……。そっか、契約の時にこっそり……。ありがとうございます、アルピナ様。
己の魂から微かにこぼれ出るのは、本来自分の魂には含まれない特殊な力。金色に輝く龍眼で魂を見つめた彼女は、その正体と心遣いに心中で感謝の意を表明する。
しかし、いくら脱出に成功したとはいえ問題はそこから先だった。脱出の事実は瞬く間に町中に伝達される。アルピナの脱出騒ぎに出動しなかった兵士達が挙ってナナを探すために目を皿にして巡回する。その隙間を縫うようにして、ナナは牢屋の方へと急いだ。
そして数分後、ナナは漸く牢屋があった場所まで戻る。アルピナから授かった魔力のお陰か、普通に走るより幾分か早く着いたような気がする。そんなことを頭の片隅に感じながら、ナナは草葉の陰から動向を見守る。
遠くて会話の内容はよく聞こえないが、アルフレッドがアルピナとクオンを見逃すことにしたことは朧気ながらに理解した。その理由までは窺い知れないが、無事に町を離れられた事実を確認してナナはソッと胸を撫で下ろす。
そして、改めて龍王たる父を止める手段を思案する。アルピナとクオンの開放という結果が齎された今、僅かにだが肩の荷が下りた気がして頭の中がスッキリする。しかし、一番厄介な問題がそれを覆い隠す。
今ここで止めに出ても昨日の二の舞になるし……。やっぱり、出動の直前で止めるしかないよね。……きっとお父様はお兄ちゃんの居場所についてある程度の予想はついてるはず。その中で確実に居場所を突き止めようと思ったら、悪魔であるアルピナ様の後を追うようにして展開するはず。だとすれば、またここを通ることになるから、その時が来るまでここで舞っておくべきよね。それに、ここなら龍眼も届かないしそう簡単に見つからないでしょうし。
ナナは草葉の陰に腰を下ろして小さく息を吐く。そして、アルフレッドが再び動き出すその時を息を殺して待つのだった。
そして、それから一時間ほどして、その時はやってきた。龍王である父親を先頭に、カルス・アムラが誇る最大戦力が終結され、レイスを救出するべく覚悟の瞳で森の奥を見据えていた。ナナは、一度大きく息を吐くと、自信とか覚悟に満ち溢れた決死の覚悟で父の前に立ち塞がった。
「お父様、おやめください‼」
「ナナか。まさかここに隠れているとはな。しかし、何故そうまでして父親に逆らう? 或いは、レイスに戻ってきてほしくないのか?」
ナナの叛逆は、見る人が見ればレイスを遠ざけるような態度にも見えるのは事実。しかし、彼女の本質は逆であり、誰よりも兄であるレイスの事を心配した。レイスのみならず、全ての龍人を同じように信頼して大切に思っていた。その命の大切さを誰よりも尊重しているからこその抵抗であり、そうであるがゆえに彼らには伝わらない。
或いは、心の中ではそうだと知っていても立場故に泣く泣く棄却しなければならないのかもしれない。いずれにせよ、両者は決して分かり合えることができない関係でありこの対立は必然とも言えるのだ。
「そうではありません! 私は、皆さんには死んでほしくないだけです」
「例え死ぬ危険性があろうとも、これは龍人の問題であり、龍人の手で解決しなければならない。ましてや、悪魔を信じるということは決してあってはならない事。それは、ナナも重々承知のはずだ」
アルフレッドの諫言は痛い程理解できる。それ故に、ナナはその言葉に対抗することができなかった。
しかし、アルフレッドも二児の父であり非情の鬼ではない。ナナの言い分を頭ごなしに否定できるほど龍人として落ちぶれているつもりはなかった。しかし、龍王としての立場と父親としての親心に板挟みにされ適切な判断を下せていないのもまた事実。そのため、アルフレッドはどうにかして尤もらしい折衷案を導き出してナナに伝える。
「……脱走した件については不問にしておく。これが最後の警告だ。家に戻っていなさい」
「お断りします」
アルフレッドの懇願を、ナナはハッキリと拒否する。アルフレッドがどれだけ悩みに悩みぬいてその答えを導き出したのか、ナナは理解していた。しかし、だからといってその通りに引き下がれるほど従順にもなれなかった。反抗期にはまだ早いが、それでも龍人の種族としての未来や龍王の一族としての誇り、そして何より体内に宿る皇龍ジルニアの魂を汚さない為にも彼女は覚悟を決めた。そして、アルフレッドの制止を無視して森の奥へと消えるのだった。
深緑の中に消えゆく一つの背中を目で追いつつアルフレッドは無言で立っていた。同じくその背中を横目で追いながら、バレンシアは問いかける。
「連れ戻しますか?」
「……好きにさせてやれ。私達は私達で動くとしよう」
しかし、と反論したそうなバレンシアを手で制しつつ、アルフレッドは再び部隊全体に指示を飛ばして森の奥へ入っていくのだった。
森の中に入って数時間、ナナは足を止めることなく不安定な足場を駆け抜けていた。アルピナから授かった微かな魔力をを気力に変換して深緑をかき分ける。だが、その魔力も限りなく残量が減りつつあるのが現状だ。
やっぱり、元々自分の力じゃないし、回復はしないよね。だったら、魔力が尽きるまでにいかないと。
クオンと異なりナナに付与された魔力は回復しない。それは、二者への魔力の付与方針が異なるため。クオンはこれからの旅の全てを見越して魔力の産生機能を付与されたのに対し、ナナは仮初の魔力を与えられていたにすぎないのだ。それはアルピナの意志によるもの。それぞれの役割と能力に応じて適切な処置を施したのか、或いは彼女の感情による格差なのか。ジルニアに対する敬愛がそれを決定づけたのかもしれないが、それを知る術はなく彼女のみが知ることとなる。
森の中は高濃度の聖力が毒霧となって蔓延しているが、龍の血が齎す相性のお陰で苦痛らしき苦痛は感じられない。しかしその本質が聖力であるために、それを隠れ蓑にして潜む天使や聖獣の存在には気づき難い。
しかし、何の幸運か不思議と天使や聖獣と遭遇することはない。凪いだ森は耳に痛いほどの静寂に包みこまれている。天使と悪魔、天使と龍人の攻防が行われているとは思えないほどに平和な森の中は却って恐怖心を煽られる。若しくは、そうした攻防が行われていることでナナの周りに平和が集中しているだけかもしれない。いずれにせよ、それはナナにとって好都合なことに変わりない。ナナは限りある魔力を惜しむことなく溢出させて森を疾走する。
次回、第54話は11/20 21:00公開予定です




