第52話:ナナの抵抗
「ところでスクーデリア、龍人を一人見かけなかったか? シャルエルに連れ去られたんだが……?」
「それなら、隣の部屋にいるわよ」
案内するわ、とスクーデリアは先導する。部屋を出た三者は、暗がりの廊下を歩いてすぐ隣に設けられていた小部屋に入る。
そこには、四肢を拘束されたレイスが放置され、命に別状はないがそれなりに衰弱しているようだった。
「命に別状はないようね。……それにしても、まさか攫われたのがジルニアの系譜だとはね」
「君は何か知らないのか、ワタシがいない間に何故龍人などという種族が発生したのかを?」
いいえ、とスクーデリアは首を振る。アルピナと同じくヒトの子を管理する立場にある存在として、スクーデリアもまた龍人の存在は看過できない問題なのだ。
「私が封印された時には龍人なんていなかったもの。でも、この魂の様子なら龍人が発生したのは今から1,000年程前みたいね。私が封印された時期とほぼ一致するわ。まったくの無関係とは思えないわね」
「相変わらず、君は眼がいいな。確かに、他の龍人の話では最初に生まれたのは今から1,000年程前らしい。切っ掛けまでは伝えられていないようだがな」
ナナから聞いた話を思い出しながら、アルピナは呟く。存在してはならない存在の出現に頭を抱えながらも、現実問題としてどう処理すべきかを脳裏に描く。それは、まさしく悪魔として地界を管理する上位者としての顔色に染まっていた。邪魔は出来ないな、とクオンは一歩下がったところから二柱の動向を窺う事しか出来なかった。
「生まれてすぐなら処分もやむなしでしょうけど、これだけ時間と系譜が変遷してしまったら消すに消せないわね。暫くは放置しておくしかないわね。それで、この子はどうするの? 連れて帰るのかしら?」
「ああ。この龍人の妹と契約を結んだからな。連れて帰らねばワタシが処分されてしまう」
アルピナは手際よく拘束を解除すると、魔力でレイスを組宙に浮かべる。帰ろうか、と残る二者に声をかけ、古砦を降りるのだった。
【輝皇暦1657年6月9日 プレラハル王国カルス・アムラ】
宵闇の天蓋を彩る様に燦然と輝くのは満天の星空。太古より人々の道標としてその位置を変えることなくあり続けた星々は、今日も普段と変わらない模様を見せてくれる。季節柄の過ごしやすい気候が幸いし、龍人は森の中を風のように駆け抜ける。
彼女の名はナナ。皇龍と呼ばれる龍の長の系譜にあって龍の長である龍王の実娘でもある。生まれながらに特殊な立場にある彼女は、今日悪魔と契約を結んだことで更なる好奇に巻き込まれる事になる。
今も町はずれの牢屋に幽閉された悪魔に御目通りした帰り道であり、その魂は契約によって結ばれた固い使命に覆われている。
「早く帰らなくちゃ。アルピナ様との契約の為にも、何よりお兄ちゃんを助けるためにも」
悪魔への願いは誘拐された実兄レイスの救出。代償は永劫の忠誠。そして、その使命の為にすべき課題は実父の暴走の阻止。レイスを誘拐したのはその悪魔だと決めつける短絡的な実父はその悪魔を投獄し、自らの麾下の部隊でレイスを救出しようと目論む。しかし、その裏に潜む強大な敵である天使の危険性を知らない父を止めるためにも、ナナは全速力で屋敷に帰還していた。
痛む脇腹も渇くのども気にせず、汗と汚れに塗れた顔を曝け出してナナは走る。そして、実父アルフレッドの執務室の扉を三度叩く。
「誰だ?」
扉の奥から響くのは重く響く壮年の声。何度聞いてもその凄みに圧し潰されそうになるナナだったが、いまさら実父に臆するわけにもいかない、とばかりに声を張り上げる。
「お父様、ナナです‼」
「……入れ」
暫くの沈黙ののちに掛けられるのは入室の許可。空白の数秒の間に、果たしてアルフレッドは何を考えていたのだろうか。それはナナにはわからない。しかし、直截話さなければわからないことなのだからここでナナが迷う必要はないのだ。
ドアノブに手をかけ、その重厚な扉をナナは徐に開ける。質素ながらも煌びやかさを併せ含む装飾品は、龍から龍人へと受け継がれてきた文化文明の表れ。伝統は、それが正統な後継者であることを如実に示す何よりもの証左であり矜持にもなりうるのだ。とりわけ、自らが偉大なる皇龍の血を引くことを何よりもの自慢としている父アルフレッドにとってみれば、この空間は自らの精神の安寧を担う何よりもの場所なのだ。
「……牢屋に顔を出していたようだな、ナナ。あの悪魔どもに何故肩入れする?」
立派な鬚を手で撫でながら、娘の言動を訝しがるような目で見据えるアルフレッドは、冷静とも冷徹ともとれる冷たい口調で語り掛ける。
「あの方々は森の中で私を助けて下さりました。それに、森の中で一度兄を見つけた際も救出を最優先してくださいました」
「しかし、今この場にその兄であるレイスはいないではないか?」
それは、とナナは口吃る。確かに、この場にレイスがいればそれにまさる説得力はないのだが、肝心のレイスを助け出せなかったことで却って疑いの目が強まってしまっている。
「……兄を誘拐した者に……天使には逃げられてしまいましたので」
「神の子同士にどの様な繋がりがあるのかを我々が知る術はない。天使と悪魔は対となる種族であり神話においても敵対していたが、現在においてもその関係性が維持されているとは限らないのだ。それに、悪魔の恐ろしさはお前も知っているだろう?」
しかし、とナナは口吃る。実父アルフレッドの言い分も間違いではないのだ。確かに、直截話したことがなく知識だけで悪魔を語るとするならばこれだけの警戒も当然。ナナ自身、アルピナと会って話さなければ全く同じ考えを抱いていた事だろう。
だからこそ、ナナはアルフレッドに叛逆する。契約を結んだ当事者であるが故の正当な理解力を胸に秘め、毅然と実父に立ち向かう。
「アルピナ様から忠告されました。天使の力は、ヒトの子である人間はもとより半端な存在である龍人ですら到底立ち向かうことができない強さを秘めている。徒に死者を増やしたくなければ大人しく町で待っているべきだ、と」
「つまり、我等龍人を軟弱物として軽んじるという事か?」
「いいえ、違います。寧ろ、実際の悪魔であるアルピナ様の言葉こそ、知識でしか語ることができない我々の覚悟より説得力に富みます。兄の心配も尤もですが、今一度再考ください」
頭を下げて願うナナ。その毅然とした態度は、これまでの生活では一度も見たことがない新鮮なもの。その熱意と情に圧されて、アルフレッドは思考に耽る。しかし、頭では娘の意見が正しいとはわかっていても感情がそれを許さなかった。龍人の長として在り続けるためにも、天使一柱に恐怖して悪魔一柱に言いくるめられている様では未来はない。何より、己の系譜の祖である皇龍の名を汚さない為にも負けるわけにはいかないのだ。
微かな逡巡と僅かな後悔の念が魂の奥底で燻っているような気がしないでもないが、それでもアルフレッドはナナの意見を破棄する決断を下す。
「……お前の言い分も一理あるだろう。しかし、予定に変更はない。明日、レイスを救出するための部隊を派遣する。ナナは自室で大人しくしていることだ」
連れていけ、とアルフレッドは側近の兵士に指示を出す。屈強な兵士に両脇を固められたナナは、そのまま自室まで連行されるのだった。
そして、自室に戻されたナナはジッと天井を見上げる。入り口の扉は外側から兵士が見張り続け、よほどの事情がない限り出られそうにない。それでも、ナナにとってはまだ幸いといったところだろう。下手に抵抗して室内にまで見張りが立てられるよりはまだ自由が確保されている。
うーん……どうしよう? やっぱり明日直接止めるしかないかな?
そうして、明日の予定と止める手段を頭の中で組み立てながらナナは深いとも浅いとも言えない眠りにつくのだった。
次回、第53話は11/19 21:00公開予定です




