第510話:神龍大戦③
セツナエルはそのまま振り返る事なく空へと消える。生憎、次元の渦を介した移動は、三界の間を移動する場合に限られる。今回の様に龍脈に出ようと思えば、如何してもこうして直接移動するしかないのだ。何とも面倒な事この上ないが、しかし幸いな事に、龍の都は、今現在、地界の直ぐ側に来ている。アルピナ達が龍の都を避難地に選んだ理由の一つにはこれも含まれているのだろうが、だからこそ、結果的に、お互いに何ら苦労も不都合も生じ得なかった。
そうしてアルピナ達を追いかけて消えていったセツナエルの背中を、アウロラエルは静かに見送る。恐らく大事になる事は無いだろう、という信頼と、もしかしたらという警戒心を合わせ抱きつつ、彼女は静かに息を吐いた。そして、セツナエルが無事に帰還する事を祈りつつ、その留守を背負う様に部下達に指示を飛ばすのだった。
龍の都へと到着したジルニアは、フラフラとぎこちない動きで地面へと降下する。体力と気力を激しく消耗した状態での全力飛行は、流石の彼と雖も相当の負担だった様子。底を突きかけた龍脈を振り絞りつつ、彼はやっとの事で息を吐き溢した。
「何とか戻ってこれたか……」
竜眼を開いて都の外を探知するジルニアの心には、その言葉とは裏腹に安堵の心は無い。未だ強い警戒の糸が張り詰められており、最早それは逃避的な保身の言葉に近かった。それ程迄に、やはりセツナエルを始めとする天使達の猛勢というのは厳しく、決して生半可な気持ちだけは此処迄生き延びる事は出来無いのだ。
「アルピナ、死んだか?」
「……勝手に殺すとは随分なマネだな、ジルニア。尤も、真面に動ける迄はもう暫く掛かりそうだがな」
ジルニアの背中にうつ伏せになった儘、アルピナは弱々しく笑う。こんな冗談を言い合っている余裕など無いのだが、しかし同時に、こんな余裕を言っていないとやっていられない程に余裕が無いとも言える。
第一次神龍大戦の時もそうだったが、天使長となったセツナエルは異様な迄に強い。新たに獲得した天使の力に加え、元来持って生まれた悪魔の力も未だ保有した儘なのだ。相性上の優位不利に対して常に優位を確保出来るというのは、幾ら年齢的に上を取れるジルニアとは雖も後手に回らざるを得なくなってしまう。
如何にかしてこの状況を打破出来る、ある種の起爆剤の様な何かが欲しかった。劇的な一手と迄は求めずとも、微かな切っ掛けでもいいから欲しくて堪らなかった。
「そうか。だが、此処もいつ迄保つかは分からない。セツナの事だ。俺達が此処に逃げ込むであろう事も予想が付いている筈。ともなれば、虱潰しにでも探して此処に攻め入るだろう」
「……或いは、態々虱潰しに探さずとも、計算で凡その位置を特定してくるかもしれない。ワタシだってそれくらいの事なら出来る。ならば、あの子に出来無い筈も無いからな」
彼方が此方を知っている、という事は、此方も彼方を知っている、という事でもある。セツナエルがジルニア達の動向をほぼ正確に予測出来る様に、ジルニア達もまたセツナエルの考えそうな事ややりそうな事は粗方考えつく。数億年の間柄なのだ。生半可な騙しが刺さる様な間柄な筈も無い。幾ら思想が対立しているとは言え、根っこは同じなのだ。
だからこそ、それと同じ様に、ジルニアはセツナエルに関するもう一つの事に関しても、ある程度の予測を立てていた。それは、何故彼女が態々当時天使長だったミズハエルを殺害して迄彼らと対立したのか。そして、対立して迄何を求めているのか。この二つだった。この二つの関しては、セツナエルがジルニア達の知らない何かを知っている為なのか、その行動原理の予測がまるで立たないのだ。
その時だった。ジルニアは徐に笑い声を上げる。それも、良い事ではなく悪い事が生じた時にありがちな、現実逃避的な乾いた笑い声だった。
「ハハハッ。アルピナ、地界の方を見てみろ。如何やら、俺たちの読みは合っていたみたいだな」
ジルニアに促される様に、アルピナは魔眼を開いて地界の方を見る。もうそんなに遠くを見ていられる程の魔力なんて殆ど残ってなどいないのだが、しかし如何にか無理やりこじ開けてジルニアと同じ景色を見る。
「……チッ。思ったより早かったな」
二柱の瞳に映ったもの。それは一つの魂。何億年も昔からよく見慣れた懐かしい魂が、超高速で此方に向かって飛んできてきているのだった。
見間違える筈も無い。それは間違いなくセツナエルの魂だった。嘗てと異なり天使の色に染まり切った暁闇色の魂だが、しかしこの二つの神龍大戦で嫌になる程見続けてきたのだ。最早見たくもなくなってくる程だ。
そして、彼女の魂の動き方からして分かる。如何やら、彼女は真っ直ぐと此方にやってくる様子。決して虱潰しに探している訳でもなければ世界の外へ出て神界へ向かおうとしている素振りでは無い。確固たる自信を以て、彼女は此方へとやってきているのだ。
……やはり、そうきたか。
二柱の思考がピッタリと一致した瞬間だった。




