第51話:再会
そして、そのまま地面に足を着けたクオンは崩れる様に倒れ込む。天井を見つめ、大きく息を吐くクオンの体内から溢出する疲労感が全身を隈なく満たす。
「ハァ……ハァ……。終わった……のか?」
最早周囲を確認する体力も残されていなかった。辛うじて残る気力で魔眼を開き、天井を見つめたまま室内をグルリと索敵する。そこで漸く、クオンはシャルエルの魂が地界から消え失せた事を理解出来た。肩の荷が下り、張りつめた緊張の糸が解ける様な感覚を肌一杯に味わう。
そんなクオンから少し離れた場所では、アルピナが床に膝を付けて一人の女性を見下ろしていた。シャルエルとの融合から分離されて封印術も完全に解除されたスクーデリアが、弱々しい魔力を放ちながら横たわっていた。頭上から見下ろすアルピナと顔を合わせ、懐かしき旧友との再会に微笑を浮かべていた。
「10,000年振りだな、スクーデリア」
「そうね。貴女は相変わらずかしら?」
柔和なウェーブを描く鈍色の長髪が背中を覆い、知的な印象を与える落ち着いた眼差しが一心にアルピナを見つめる。金色の魔眼が彼女の魂を読み取り、懐かしさと嬉しさに頬を綻ばせていた。
「まさか、君がシャルエルに負かされるとはな。一体何があった?」
「10,000年振りに天使長が動き出した様ね。理由までは分からないわ」
スクーデリアは徐に身体を起こして立ち上がる。フゥ、と小さく息を吐いて自身の身体を一瞥する。封印する前と何ら変わりない肉体であり、取り分け後遺症やシャルエルの置き土産も残されていないようだった。魔力操作も封印前と同程度に熟せる事が分かり、そこで漸くスクーデリアは安堵感に胸を撫で下ろす事が出来た。
腰に届く程の鈍色の長髪が靡き、淡いドレスワンピースがその長身と併せて彼女の妖艶な出で立ちを強調する。向かい合うアルピナと対極する落ち着いた印象は、二柱が同族である事を疑わせる。しかし、そんなスクーデリアを見つめるアルピナの瞳はこれまでクオンや天使達に見せてきた冷徹なそれとは全く異なるもの。まさに旧友との久しぶりの再会を喜ぶ柔和なものだった。
スクーデリアは周囲を一瞥すると、遠くで倒れ込んでいるクオンを発見する。金色の魔眼で彼の魂を見定めると、その正体を確信したのか仄かな笑い声を漏らす。
「どうして貴女がヒトの子を連れているのかと思ったら、そう言う事だったのね。封印の中からだとよく分からなかったわ」
「ああ。あの日の約束通りだろう? まさか10,000年程度という極短時間、しかもこの世界で果たされるとは思ってもいなかったがな」
ところで、とアルピナは首を傾げる。腰に手を当て、宝石の様な蒼玉色の瞳でスクーデリアに尋ねる。
「天使が一体何を目的に画策しているのか、君は知っているのか?」
「いいえ。詳しい所は私にも分からないわ。それと、詳細はまた後で話しましょう。久しぶりに外に出たいわ」
そうだな、とアルピナはスクーデリアと共にクオンの側に歩み寄る。徐に近づくその足音は軽やかなもの。平静を保つ相好とは裏腹に、その足取りは彼女の心情を如実に表していた。
すぐ傍にまで歩み寄ったアルピナは、地面に仰向けに倒れ込むクオンを見下ろす。両腰に手を当て、悪戯好きな童の様な冷徹な相好で見下ろす彼女は、年頃の可憐な少女の様に朗らかな態度で彼の疲労を癒す。
「よくやった、クオン。やはり、君はワタシの見立て通りの事をしてくれる」
「それはどうも。……悪いが、魔力を分けてくれないか? あの一撃で使い果たして、このままだと暫くは動けそうにない」
仕方ない、アルピナは微笑を浮かべる。彼女が指を鳴らすとクオンの魂の上に魔法陣が浮かび上がり、それを介して彼女の魔力が彼の魂に補充される。それにより、彼の体力と気力は見違える様に回復する。瞬く間に戦闘前の身体感覚を取り戻したクオンは、身体を慣らす様にして立ち上がる。魔眼で自身の身体と魂の双方を確認し、改めてアルピナに感謝を伝えた。
「貴方が、アルピナの契約者ね。よろしく頼むわ」
「クオン・アルフェインだ。契約を結んだのはただの成り行きだがな」
双方が簡単な自己紹介を交わし、互いの存在を認識する。必要最低限の会話しかなかったが、出会ったばかりのヒトの子と悪魔との会話は往々にして淡泊になり易いものだ。それを知悉しているスクーデリアは取り分け気分を害する事無く流す。
ところで、とクオンはアルピナに視線を戻して尋ねる。そして、此処に来た本来の目的を思い出す様に言葉を紡ぐ。
「此処に来たのはスクーデリアの救出もあるが、それ以前に龍魂の欠片の回収が第一だったろ? 結局、それは何処にあるんだ?」
「ああ、そうだったな。スクーデリア?」
アルピナは横目でスクーデリアを一瞥しつつ返答を促す。分かったわよ、とスクーデリアは彼女に後押しされる様に返答する。彼女が指を軽く鳴らすと、その指尖には小さな光球が浮かんでいた。
「見つけるのに苦労したのよ。貴女達、見境なくばら撒くんだもの」
まったく、とばかりに溜息を零しながら見せつけるスクーデリア。口では呆れつつも、その口調は何処か楽しそうだった。まるで、この手の面倒事ならいつもの事だ、と言わんばかりの態度は彼女のこれまでの苦労を暗に示す。旅を通して短いながらも共に時間を過ごしたクオンは、その理由がそれとなく察せられて同情の心持ちで乾いた笑いを零した。
「やはり君が持っていたか」
よく見つからなかったな、とクオンは問いかける。それが当然だ、とばかりに流すアルピナには悪いが、いまだ神の子の本質に滅法無知なクオンにはその当然さが理解出来ない。勿論、先程までの戦いを思えばシャルエルがどれだけ凄い存在なのかは痛いほど理解出来る。だからこそ、クオンはその成果の裏に隠された真実を尋ねずにはいられなかったのだ。
「頑張ったのよ。或いは、欠片とはいえ龍魂の意志がそれを助けたくれたのかもしれないわね。それとも、これが生み出される経緯を思えばそれしかないと思った方がいいかしら?」
「何故それをワタシに聞く? 何れにせよ、君がそれを死守した上でワタシ達に齎してくれた事実は揺るがない。今後の為に、それは必要になるからな」
必要ってなんだ、とクオンは首を傾げる。ここに来る道中にも一度尋ねた様な気もするが、改めてクオンはアルピナとの旅の目的を擦り合わせる様に問いかける。
「何れ時が来れば君にも分かる。それまでは深く考える必要はない」
さて、とアルピナは息を吐く。そして、彼女の指示でクオンは胸元に仕舞っていた首飾りを引っ張り出してスクーデリアに見せる。その首飾りの先端には小さな宝玉が二つ嵌り込み、淡くも存在感を放つ光が零れていた。
スクーデリアがその首飾りに宝玉を翳すと、龍魂の欠片からは更に強い光が零れる。そして、光の粒子となったその宝玉は首飾りに空いた空の台座の一つに納まる。
「これで残り三つね」
「ああ。10,000年ほど前に君達に探すよう頼んでいたが、その様子では無事に集まっている様だな」
「ええ。クィクィもヴェネーノもワインボルトも、すぐに見つかったって言ってたわよ」
僥倖、とばかりに微笑むアルピナ。旧友を信頼した自分の選択は間違っていなかったとばかりに胸を張るその姿は彼女の本心だろう。憖力を持っているだけに、他者に頼るという選択が彼女の心の奥底では足枷となって燻っていたのだ。
「しかし、ワタシがこうして戻って来ても顔を見せないという事は、あの子達も君と同じく天使達に囚われていると思っていいだろうな」
「ええ、そうね。私も封印されてたから確信は持てないけど、今も姿を見せてないって事はそう言う事でしょうね」
仕方ないな、とアルピナは舌打ちを零す。その口調とは裏腹に、相好はどこか楽しそうでもあった。天使に対する苛立ちよりも、旧友と再会出来る事の喜びの方がそれを上回っていたのだ。
次回、第52話は11/18 21:00公開予定です




