第50話:龍魔融離斬
とは言ったものの……。
濃密な聖力と魔力が織りなす不可侵のヴェールに、クオンは恐る恐る足を踏み入れる。心臓の鼓動がその危険性に対して警鐘を鳴らし、呼吸が無意識に荒くなる。手掌には汗が滲出し、遺剣の柄に纏わり付くように付着する。小刻みに震える四肢は緊張故のものか、或いは恐怖に由来するものか。どちらか一方の様でもありその両方のようでもあるが、眼前で繰り広げられる死闘と比較すればその差異など些末事として片付けられる。
いや、こんなところで立ち竦んでる場合ではないな。
クオンはアルピナから授けられた借り物の魔力を魂から溢出させ、遺剣から零れる龍脈と混ぜ合わせる。不思議と心臓の鼓動が緩やかになり、四肢の震えが止まる。暖かな抱擁力と契約が齎す絶対的な安心感に守られたクオンは、止まりかけた足を再び進めるのだった。
そして再び、クオンはアルピナの横に並び立つ。揃わない肩の高さが二人の特殊な関係性を暗に示し、同一波長の魔力が信頼をより強固なものにする。
「状況は?」
クオンは問う。その瞳はシャルエルを注視し、スキのない構えで遺剣を向ける。
「よく戻ってきた。状況は見ての通りだ」
「……いや、悪いが俺にはよくわからないな。シャルエルに何をしたんだ?」
苦悶に顔を歪め、乱れた聖力が彼の凶暴性と攻撃力を阻害する。それでも尚クオンにとっては非常に脅威であることには違いないが、それでも融合直後の状態を比較すれば多少の弱体化が感じられるのだ。
クオンの問いに、アルピナはシャルエルを遇らいながら答える。その相好は戦い始めた直後よりは多少の余裕が感じられ、未だ完全とは言えないながらも平時の彼女に近くなっているようだった。
「どうやら、スクーデリアの封印が解けかけているようだ。シャルエルは以前より封印術をはじめとする搦手を不得手とする。天楔融合で封印の綻びが肥大化したのだろう。未だ融合が破綻していない辺り、シャルエルの力量には感心できるがな」
だったら、とクオンはシャルエルの攻撃を防ぎつつ問いかける。辛うじてながらシャルエルの攻撃に対応できるようになり、それが彼の心に自信と経験値を生み出す。それにより捻出される新たな自己肯定感は、クオンの魔力操作をより効率化させることに寄与する。遺剣から零れる龍脈と織り交ぜて、彼の攻撃は着実にシャルエルの身体に刻み込まれていく。
「今が最大に好機というわけか。スクーデリアが再び抑え込まれる前に決めなければな」
「シャルエルの能力を考えれば、ワタシと戦いながらの再封印は恐らく不可能だろう。しかし、そうして油断してそれが為されてしまえば次はない。君の言う通り、この好機を逃すわけにはいかないだろう」
片腰に手を当て、空いた手でシャルエルに魔弾を撃ち込みながらアルピナは控えめなウィンクでクオンにエールを送る。靡くコートとスカートの裾から覗く雪色の大腿が、暗がりの室内にあって仄かに白く輝く。その横顔は淑やかな少女のようでも快活な少女のようでもあり、金色に輝く魔眼が猫の様な愛くるしさを重ね合わせていた。
その横顔を一瞥したクオンは、再び二柱から距離を取る。数秒の間、瞳を閉じて己の意識に精神を集中させる。魂を始点に循環する魔力と遺剣から産生される龍脈。同程度の力を含むそれらの力が、相互に修飾しながら剣の中で混ざり合う。
やがて徐に開眼したクオンは、スッと腰を落として遺剣を構える。遺剣から零出する魔力と龍脈の混合物が彼の身体の周囲に展開され、独自の支配領域となって他の力を遮断する。もはや、彼一人だけの領域と呼んで遜色ない力は、二柱の神の子が生み出す戦闘余波と互角に競り合う。
深い海の底に沈んでいくような集中力で構えるクオンは、ターゲットであるシャルエルから齎される情報以外を、意識の外へと追いやってしまう。その驚異的な力を目にしたアルピナは、感心と驚愕に由来する瞳で彼の姿を見つめる。ささやかな微笑みの裏では、彼女の本来の目的とそれを補強する予測に間違いがなかったことを確信していた。
「最高だ‼ それでこそ、クオン。君と契約を結んだ甲斐があったというものだろう」
……それにしても、10,000年の時を越す約束は君の意志によって果たされそうだな、ジルニア。君の覚悟と信頼を裏切らない為にも、その力を見せてみろ。
感嘆の想いを心中で吐露するアルピナと時を同じくして、シャルエルもまたその姿に瞠目する。限りなく下の存在だと高を括っていたシャルエルにとってみれば、クオンのその佇まいは本来あり得ないもの。例え悪魔と契約を結び、その上で龍の力を得ようとも決して届くはずがない領域。ヒトの子として前例がないレベルへと至ったクオンの存在は、シャルエルの理解の範疇を逸脱していた。
ヒトの子がこの世に創み出されて凡そ10,000,000年。長い時を経るに従って、シャルエルのヒトの子への理解力は固定的なものとして凝り固まっていた。故に、こうして発生するイレギュラーな存在に対する真っ当な理解力が欠乏してしまっていた。
しかし、例え腐り果てても彼は天使。その中でも最上位に近い存在。生半可な神の子とは異なり、悠久の時を生きた経験に裏打ちされた対応力までは腐りきっていなかった。過去の経験と知識を総動員した彼は、クオンの存在に対して一つの仮説へと至る。その仮説は反例を求めるうちに確信へと変わり、揉み消された正しき歴史の影に潜む、シャルエルすら知らない当事者だけの秘密に辿り着く。
「アルピナ、貴様……まさかッ⁉」
「漸く気が付いたか。寧ろ、天使達は何故この事実に気が付かない? その聖眼は飾りか?」
「それを含めて奴の意志なんだろうな。しかし、まさか奴が——」
己の脳内で至った確信と呼んで差し支えない予測を、シャルエルは口にしようとする。しかし、それをアルピナは許さない。彼の言葉に重ねる様に声を発し、問答無用で彼の声は止められる。
「悪いが、この場においてそれを口外するのは止めてもらおう。精神感応を用いずとも、君が何を考えているのかは大方予想がつく」
それに、とアルピナは補足する。その瞳は、何かを懐かしむ様でもあり何かを喜ぶようでもある穏やかなもの。戦闘中でありながらも、同時にどこか平穏な香りを漂わせていた。
「クオンには、いずれその時が来たときに自らの意志で知ってもらう必要がある。君の様な部外者に口を挟ませるわけにはいかない」
〈魔拘鎖〉
アルピナの手から魔力で形成された捕縛鎖が出現する。黄昏色の輝くそれはシャルエルの身体を雁字搦めに拘束し、シャルエルの一切の動きを停止させる。
「グッ……」
その鎖はアルピナの純粋な魔力を濃縮したもの。たとえシャルエルといえども容易には抵抗できず、それらは全て徒に体力と聖力を消費させる要因として成り下がる。もはや地上に降り立つことすら出来ないシャルエルは、部屋の反対側で今もなおその力を高めているクオンを睥睨する。
「クオンなら心配ないと思うが、万に一つの可能性でもあるのなら対応しておくべきだろう」
「……フッ。例え那由多の彼方にもあれを外すとは思えんがな」
己の敗北と肉体的死を確信したシャルエルは、抵抗を止めて弱々しい声で呟く。聖剣が霧散し、役目を失った聖力は彼の魂へ帰還する。
「これで俺も神界送りか。思えば、死ぬのは初めてだな」
「言われてみれば、確かに君達四天使は誰も殺したことがなかったな」
四天使、即ち天使長の直属に当たる四柱の天使で、全天使の中では天使長の次に位が高い存在。それぞれシャルエル、ルシエル、バルエル、ラムエルと呼ばれる彼ら彼女らはそれぞれが天使の中でも飛び抜けた力を有した存在で、嘗ての大戦以来アルピナ達とは激しい衝突を繰り返してきた。
「復活した時が楽しみだ。何年かかるかわからんがな」
「君達四天使は相当長い時間を生きた。復活にかかる期間はワタシにも想像できない」
そこへ、全ての力を練り上げたクオンがその金色の瞳を輝かせる。彼の背中には龍を思わせる異形のオーラが纏わり付き、悪魔の様に冷徹な覇気が室内を跳ね回っていた。
ヒトの子でありながら、もはや神の子と大差ない存在のようにも思わせるその姿はアルピナもシャルエルも揃って視線を外せなかった。
〈龍魔融離斬〉
クオンの姿が消え、音速を越えた超速の突撃がシャルエルに迫る。彼の体内から練り出される魔力が遺剣の龍脈を修飾し、シャルエルの身体に深々と刺さる。金色の魔眼が融合したシャルエルとスクーデリアの魂を鑑定し、分離のきっかけを生み出す勘所を捕捉する。神業的な剣捌きでそれを穿つクオンの斬撃は、一切のミスなくスクーデリアの魂をシャルエルの魂から引き剥がす。そして、その斬撃はそのままシャルエルの肉体を両断し、彼の肉体に完全なる死を提供する。
やがて、生きる肉体はを失ったシャルエルの魂は彼の肉体より飛び出す。しかし、新たな宿主を求めて暴流する彼の魂はアルピナが出していた鎖によって捕縛され、正しき手順を以て神界へと送られる。それを見届けたクオンは、ゆっくりと地上へ降下していくのだった。
次回、第51話は、11/17 21:00公開予定です




